私たちは「変わる」という言葉を、つい努力や決意や根性の話に結びつけてしまいますが、自然界を眺めていると、変化というものは案外もっと無造作で、もっと静かで、 もっと勝手に起きている現象のようにも見えてきます。気づけば姿が違っている、気づけば生きる場所が違っている、気づけば口にするものが違っている――そんな“いつのまにか”の連続が、いきものたちの世界にはあふれているように思えるのです。 しかもそれは、当の本人(本虫?)にとっては、さほど劇的でもなく、ただ時間が流れただけ、ただ季節が巡っただけ、ただ体がその都度、環境に合わせて応答しただけ、という顔をしているのかもしれません。外から眺めている私たちだけが「おお、変わった!」と騒いでいるだけで、本人にとっては、いたって自然な経過なのではないか、とも思えてきます。 脱皮と聞くと、皮をバリッと脱ぎ捨てる派手な瞬間を想像しがちですが、よく見ると、毛がいつのまにか入れ替わっているタイプもあれば、姿形そのものが別物になってしまうタイプもあり、さらには、食べるものや暮らす場所までもがすっかり変わってしまうタイプもあります。脱皮と一口に言っても、その様子は実にさまざまで、むしろ「変わり方の多様さ」に驚かされます。 それで、脱皮は結局、いろんな形で行われます。 イノシシやシカだと、毛が生え変わる。 昆虫だのメタモーフォシス! ゴキブリやバッタみたいに脱皮するヤツと違います。 子供の頃、時々、セミの幼虫狩りに行きました。 朝、太陽が出る前、ここ!という場所で待機するんです。 あちこちの地面に小さな穴があって、そこから出て来る。 何年も土の中で大人しく暮らして、ある日出て来て、セミになる! 感動的ですよ。 脱皮を100回分、1回で済ましてしまうんです(笑) ホタルもすごいですよ。 幼虫は水の中でカワニナを食べて、成虫になると… 「こっちの水はあーまいぞ!」 水しか飲みません、何も食べないんです。 いろんな生き方があるもんですよ(笑) タバコシバンムシもそうです。 そこで質問ですが、 私たち人間にも、セミのように長いあいだ見えない場所で静かに時を重ね、ある朝ふいに別の姿で現れるような「一気の脱皮」はあるのでしょうか? それとも、イノシシやシカの毛がいつのまにか生え変わっているように、本人すら気づかないほどの小さな変化を、季節ごとに、場面ごとに、そっと重ね続けているだけなのでしょうか? あるいは、ホタルのように、生きる場所そのものが変わることで、食べるものも、動き方も、見える景色もまるごと入れ替わってしまうような転換が、私たちのどこかにも潜んでいるのでしょうか? 私たちの「変わった気がする」は、はたしてどのタイプの脱皮に近いのでしょうか? ๕/๑