1945年、もし京都市に原爆が投下されていたら 広島とともに一時「AA目標」、具体的な被害をシミュレーション
■死者10万4千人以上、負傷者13万5千人以上
投下から1年間で、現在の京都市域で10万4230人、向日市域で147人、計10万4377人の住民が死亡(行方不明5777人を含む)した。うち9割程度は投下2週間以内に死亡した。爆心地周辺では、熱線や爆風で負傷しなかった人も急性放射線障害で相次ぎ死亡した。 広島市に比べて死者数が少ないのは、爆心地が都心から外れており、南西方向に農地が広がっていたためだ。また、軍関係者や、投下後に京都を訪れ被爆した「入市被爆者」を含めると、さらに犠牲者は多い可能性が高い。 重軽傷者数は、京都市と向日市で計13万5195人に上り、広島市を大きく上回った。当時の推定人口約34万~35万人だった広島市に比べ、京都市と向日市は計約2・5倍の人が住んでおり、爆心地から北に広がる京都市街で負傷者が多くなった。 救援は、伏見区深草にあった陸軍第16師団をはじめ、大阪府や滋賀県などからも軍や医療関係者が駆けつけた。広島市に比べ周辺人口が多く、救援や親族の安否確認のために京都市を訪れた入市被爆者は、広島市の約8万9千人を上回った可能性がある。
■がんの発症率増加、被爆後80年たっても高いリスク
原爆の被害は投下直後にとどまらず、長く現在に至るまで続く。 京都市では、がんの発症率が上昇した。被爆2~3年頃から特に白血病が増え始め、50年代前半にピークとなった。爆心地から1・2~1・3キロ以内にいた人は、50~85年に白血病で死亡するリスクが5倍近くになり、その他のがんを含めても1・5倍ほど高い死亡リスクを抱えて生きることになった。2025年現在も、被爆しなかった人に比べてがんの発症率が高い状態が続く。 こうした原爆症のほか、熱傷後のケロイドで苦しむ人が続出した。多くの被爆者が、結婚差別や就職差別、貧困、トラウマ(心的外傷)などに直面した。胎内被爆者には、脳や体に障害がある原爆小頭症患者として生まれる人もいた。自身が無事でも、家族を失ったり、孤児になったりした人が多数いた。 広島市と長崎市は、元の人口水準回復に約10年を要した。55年の京都市は実際は約120万人だったが、原爆投下があった場合は大幅に少なくなった可能性がある。多くの京町家や文化財が失われ、戦後の発展や観光産業にも影響した可能性が高い。