一年を振り返って⑴
母の入院期間は6日間で大変短かったが、私は術後すぐに、病院の相談窓口で母のこれからの生活について相談をしていた。乳癌のせいで、急に決まった同居だったので、私は高齢者との今後の生活を急いで組み立てていかなければならなかったからだ。私は母には内緒でデイサービスを考えていた。
幸い、地方のこの大きな病院の職員は、どなたもとても親切だった。担当の看護師は親身に話を聞いて下さった上、地域包括センターを紹介して下さったので、私は心底ほっとした。
しかし、退院後、デイサービスの必要性を母に話してみたが、到底受け入れられないとの返事。やっぱり、そうだろうなとは思ったが、諦めたくはなかった。ただ家に居て、足腰が弱ることの心配もそうだったが、人との関わりを一切持たない生活に娘の私のほうが不安だったからだ。
私の夫と会話すると言っても、ひと言ふた言だし、話す相手は私ひとりだけだった。夫の親族とも、療養中を言い訳にまともに会おうとはしない。要するに、この街で話し相手は私だけということになる。その私ともうまく関係を築けないでいたから、あの頃は口喧嘩が絶えなかった。とにかく、頑固な母相手に、悉くぶつかり、その度に、私は泣きながら家を飛び出し、義実家に駆け込んだ。渡鬼のドラマとは真逆だったのは、今にして思えば笑える。
それでも、何度かの喧嘩の挙げ句、ケアマネに会う所まではこぎつけた。とにかく、普通のお年寄りのような扱いをされたくない91才母は、将棋、囲碁、麻雀、書道ができるところをご所望で、ようやく、体験入所までの段取りが進んだ。しかしながら、当日朝、体験に行きたくないと言い出し、デイサービスもやめると。それまでに費やした時間と私の我慢は限界に達し、ケアマネにも小言を言わしめることになってしまった。あちこち動いてくれたのだから、ケアマネの気持ちもわかる。私はひとまず、保留にしてもらい、再び、母と話をしたのだが、頑として譲らない。私は母に対する怒りで、またまた家を飛び出した。今度は義実家ではなく、ケア付き有料老人ホームを探す為に車で市内を駆け巡ったのだ。もう無理だと思った。


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