「戦術がない」と言われがちだったジーコ、それでも中村俊輔が「僕は伸びた」と言い切る理由
元日本代表で、セルティック(スコットランド)やJリーグ横浜F・マリノスなどで活躍した中村俊輔さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。ワールドカップ(W杯)ドイツ大会などで一緒に戦った番組MC・中澤佑二さんと、日本代表での戦いを振り返った。収録は3月15日に行った。(読売新聞ポッドキャスト 山根秀太) 【写真】これは貴重…レッジーナでプレーする中村俊輔
シドニー五輪とアジア杯
中村さんと中澤さんはトルシエ監督が率いた2000年のシドニー五輪から代表で共に戦ってきた。
中村さんはシドニー五輪で4試合に先発出場。フル代表では、シドニー五輪の直後に行われたアジア杯で優勝し、ベストイレブンにも選ばれた。
2000年にレバノンで開催されたアジア杯は2人にとっても印象深い大会だったようだ。
中澤さんは「これ、覚えてるんだよ。同じ部屋だったっけ?」と振ると、中村さんも「アジア杯は同じ部屋。レバノンな」と応じた。
この大会で日本は2大会ぶり2回目の優勝に輝いた。
中村さんや中澤さん以外にも、稲本潤一さん、小野伸二さん、高原直泰さんら、その後の日本代表を引っ張る若手。そして、川口能活さん、森岡隆三さん、名波浩さん、森島寛晃さんら一世代上の経験が融合したチームだった。
1998年のW杯フランス大会を経て、フル代表の「王様」として君臨していた中田英寿さんが不在の大会での優勝でもあった。
また、大会が行われたレバノンは、10年前に内戦は「終結」していたが、その後も散発的な戦闘やテロ行為が続いていた。
「おばちゃんのいる日本食を食べに行った」(中澤さん)
「いた、いた」(中村さん)
「なんか独特だったよね、レバノン。(内戦やってたから)大丈夫かっていう雰囲気でやってたな。初戦のサウジに4対1で勝って、俺、ベンチにいたけど『日本代表、すげえ強えわ』って思ったもん」(中澤さん)
「ボンバーが言ったみたいに、自信にはなったんですけどね。その後、サンドニでフランス代表に鼻をへし折られた。そこからです。自分の中で本当の代表がスタートしたのって」(中村さん)