御厨貴さんが語る中道改革の「通信簿」 失われる言葉の重みと気概
7月17日までの特別国会は、間もなく折り返しを迎える。高市早苗政権への対抗軸を目指して結成された中道改革連合は、存在感を発揮できずにいる。御厨貴・東京大名誉教授(近現代日本政治史)は、言葉の重みも政権交代を狙う気概も失っていると指摘。野党の弱体化は政治全体の緩みにつながると警鐘を鳴らす。
高市早苗首相による衆院の「急襲解散」に対応するため、急ごしらえとなった中道改革連合。様々な課題が浮き彫りになっている。
《今回の衆院選で、中道は公示前の167議席から49議席に減らす惨敗だった。武器輸出の拡大や憲法改正などタカ派的政策を打ち出す高市早苗政権に対抗する「中道勢力の結集軸」を目指すが、存在感を示せていない。憲法改正や安全保障など重要政策をめぐる立ち位置も定まらない。》
戦後の日本政治で、ここまで野党第1党が弱体化したことはありません。国会論戦を見ていても、衆院選で負けすぎて政権を追及する力もないという状況です。「高市人気」のなかで追及すれば、批判の矛先は自分たちに向かうと恐れ、及び腰になっている面もあります。権力監視という野党の役割を果たしているとは言い難いでしょう。
立憲民主党と公明党の衆院議員による衆院解散・総選挙直前の中道結成が選挙対策だったことは明らかで、これは「滅びの道」になりかねません。
《昨年10月に高市氏が自民党総裁に選ばれた直後、公明は26年間にわたる自民との協力関係を解消した。自民の「右傾化」への拒否感が強かった。24年衆院選、25年の東京都議選や参院選で敗北が続くなか、中道結成は党勢低迷からの脱却も狙っていた。》
公明の連立政権からの離脱は、自民の体質を変容させる大きなインパクトがありました。高市政権の発足から半年が経ち、保守的な政策に大きくかじを切っています。自民内からは「公明と組んでいたから、本来手をつけるべき政策に手をつけられなかった」という声が上がります。公明にしても、ずっと自民の「ブレーキ役」でいることに疲れたのでしょう。
中道結成は、公明の非常にしたたかな戦略だと思います。衆院選で立憲出身者は軒並み落選しましたが、公明出身者は比例区での「公明優遇」により28人全員が当選しました。いまの「中道たたき」は「旧立憲たたき」であり、公明はマイナスの影響を受けていません。創価学会という強固な支持母体もあり、公明は今後も生き残っていくはずです。
2度目の失敗で「終焉」迎える
《既存政党への忌避感が強まり、衆院選では枝野幸男、小沢一郎、岡田克也3氏ら民主党時代からの重鎮が相次いで落選。日本政治は転換点を迎えているとの指摘がある。》
中道の敗北により、源流である民主、さらに前の社会党からの系譜が終わったとみています。55年体制で自民と対峙(たいじ)した社会は「自社さ連立政権」によって事実上崩壊した。これが1度目の失敗です。
社会から多くの議員が民主に転じ、その流れをくむ中道の惨敗が2度目の失敗。かつての小沢氏のように野党結集を仕掛けられる勝負師もいなくなりました。今回の衆院選で「民主党的な流れ」は終焉(しゅうえん)を迎えたと言えるでしょう。
決定的だった「事後処理」の失敗
《中道の衆院選総括案では、若年層や女性、無党派層などから支持を得られなかったと振り返り、幅広い層で拒否感が示された背景には「選挙目当ての急造新党との批判」があったと分析した。》
有権者の不信感は、民主までさかのぼると考えています。民主には政権運営の稚拙さなどの問題があったのは確かです。しかし、決定的だったのは12年に政権の座を失った際の「事後処理」に失敗したことでした。
政権に復帰した安倍晋三首相(自民総裁)は「悪夢のような民主党政権」と徹底的に攻撃しました。民主が公約に掲げた子ども手当や高校授業料無償化は財源確保の課題はあったにせよ、時代に即した政策でした。それなのに民主幹部らは有効な反論を展開できなかった。幹部経験者らの回顧録では、自己弁護や他者への批判が目立ちます。「反省しない政党」という印象が固定化し、不信感を払拭(ふっしょく)できませんでした。
《1990年代の「平成の政治改革」では、小選挙区制の導入により与野党の候補が政策本位で競い合う二大政党制が定着するとの期待が高まった。2009年に民主政権が発足したが、12年には自民が政権に復帰。これ以降、自民に対抗する野党勢力は生まれていない。》
「平成の政治改革」の時、欧米のような政権交代可能な二大政党制が誕生すると私も主張しました。欧米の政治制度のほうが進歩しているという考えを持っていました。しかし、30年経っても日本では第2党が育ちにくい。日本人は政権の枠組みがガラッと変わることに抵抗があるのでしょう。民主政権の失敗も決定的な影響を与えました。
《リベラル政党の代表格だった立憲は中道にシフトし、共産党やれいわ新選組、社民党といったリベラル・革新勢力の退潮も際立っている。》
自民で最初に「リベラル」と評されたのは宮沢喜一元首相で、人の意見を受け入れる寛容さが特徴でした。リベラル・革新政党に共通することですが、基本的に「上から目線」で、自分たちの主張が正しいと硬直的です。与党を批判するが、自分たちへの批判には向き合わない。この不寛容さがリベラルなどへの嫌悪感につながっていると思います。
《中道は出だしで勢いを失い、国会論戦で存在感を発揮しようとしたが、それも奏功していない。》
いつの頃からか国会論戦が「ショー」と化してしまったと感じます。予算委員会で質問に立つ議員はテレビ映りをとても気にするようになりました。しかし、国会論戦は本来、言葉で勝負する場です。丁々発止の、その政治家にしか紡ぎ得ない言葉の応酬。そうした論戦は見られなくなりました。光る演説を聴くこともない。言葉の重みが失われていると感じます。野党第1党の中道に最も求められる地力の一つが言葉です。
野党の地殻変動を引き起こすのは…
《有権者によるSNS利用は、選挙にも大きな影響を与えている。誤情報や偽情報、誹謗(ひぼう)中傷などが深刻な問題になっている一方で、国民民主党や参政党、チームみらいは、いずれもSNSによるネット世論を通じて支持を広げてきた。》
かつては政治への不信があったとしても、経済成長である程度はカバーされた。しかし、物価は上がるのに給料は上がらないという厳しい経済状況が続くいま、国民は「政治に遊んでもらっていては困る」と切実に感じています。
その結果、身近なSNSを通じて政治にアクセスし、既存政党以外の選択肢を探すようになります。中道は既存政党に分類され、他党との差別化を図る看板政策も打ち出せなかった。その一方で、「手取りを増やす」という単純明快なスローガンを掲げた国民民主は24年衆院選と25年参院選で伸長しました。しかし、特定の政策に特化しており、国家ビジョンは描けていません。
《中道の結成当初、立憲と公明に残ったままの参院議員と地方議員の中道合流が前提だったが、中道の衆院選惨敗で機運は一気にしぼんだ。野党の多党化も進み、主義・主張の幅は大きい。「巨大自民」に対抗しようと結集する動きは見えない。》
野党には「政権を取りにいく」という気概自体がなくなっています。野党が弱体化した先にあるのは、政権与党の緩みです。選挙は楽に勝てるし、国会で厳しく追及されることもなくなるからです。多くの議員を抱え込み、党内が百家争鳴になって、統率できなくなる問題も起こる。与野党間の緊張が失われれば、政治全体が崩れてしまう。強い野党があるからこそ、政権与党は引き締まるのです。
保守自民と肩を並べる中道リベラル勢力は必要ですが、中道では厳しい。野党再編が起こるなどして新しい政党が誕生しなければ、無理でしょう。いまは光が見えないものの、政治史を振り返れば、ある時に強烈な個性を持った人物が現れ、政治が大きく「化ける」ことがある。この先、野党に地殻変動が起きるかもしれない。これが政治の面白いところでもあります。
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みくりや・たかし 1951年東京生まれ。専門は近現代日本政治史。政治家の証言を聞き取る「オーラルヒストリー」を長年にわたり手がけてきた。著書に「権力の館を歩く」「日本政治史講義」など。
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御厨貴先生が抱く、野党第一党が弱体化したことへの危機感がひしひしと伝わる記事です。高市政権のいびつな高支持率の原因の一つが野党の弱体化にあることはいうまでもありません。そして野党だけではなく、先の総裁選で争った小泉進次郎防衛相は20日の三陸沖地震の直後にもかかわらず会食に参加し、しかもそこに総裁選で小泉選対をつとめた岸田元総理、木原誠二氏が同席していたという呆れ果てた与党内の緩みっぷり......。かくしてこの国の政治はポピュリズムに飲み込まれるがままになっています。 御厨先生がおっしゃるように「中道の敗北により、源流である民主、さらに前の社会党からの系譜が終わり」を迎えたのは間違いありません。先生の「与党を批判するが、自分たちへの批判には向き合わない。この不寛容さがリベラルなどへの嫌悪感につながっている」という指摘は、民主党だけではなく、共産、社民、れいわという左派政党にも向けられています。つまり「戦後革新」を構成してきた勢力が一挙に崩壊局面を迎えているのです。 パンドラの箱が開き、左派・リベラル系にとっての災いが次々と飛び出し、日々SNS空間を席巻しています。では最後に「希望」は飛び出てくるのか。 御厨先生は「保守自民と肩を並べる中道リベラル勢力は必要ですが、中道では厳しい。野党再編が起こるなどして新しい政党が誕生しなければ、無理でしょう」と論じます。確かに、このままの中道改革連合では絶望しか待っていないでしょう。参議院との合同すら果たせない勢力に期待を寄せることはできないからです。この期に及んで保身を「正しさ」にくるんで結集を妨げる政治家たちに、世論は呆れていることでしょう。 ただ、戦後政治における「強烈な個性を持った人物」を見つめ続けてきた先生は「ある時に強烈な個性を持った人物が現れ、政治が大きく「化ける」ことがある」ことを示唆されています。この民主政治にとっての地獄のような状況こそが、時代を変える個性を持った人物を、あるいはそうした人物の成長をもたらすのかもしれません。 政治は作用と反作用の無限の過程であり、終結こそが発端であり、それはまさに敗戦という機会を捉えて駆け上がり戦後政治をつくりあげた政治家たちの軌跡そのものでした。その軌跡を追いかけてきた御厨先生が「面白い」と思えるような機会が、いまふたたび開かれようとしているのかもしれません。
2026年4月27日 13:54 - 長島美紀国際NGOプラン・インターナショナル視点
この記事は「中道」というよりも、実質的には立憲民主党がなぜ弱体化したのか、戦後政治の文脈から読み解く、示唆に富む内容だと感じました。 3月の衆院選での決定的な敗北に至る以前から、立憲民主党の主張には、理想と現実の接続の弱さがあったように思います。掲げる理念自体には一定の妥当性があるものの、それを具体的な政策として実装する段階で説得力を欠き、結果として自民党の議論の土俵に乗り切れず、論点が噛み合わない印象がありました。 比喩的に言えば、自民党がある種の現実適応型の政治スタイルを取るのに対し、立憲は規範や正しさを重視する姿勢が強い。しかし、民主主義においては「正しいこと」がそのまま支持につながるわけではなく、人々の感情や生活実感とどう接続するかが問われます。その接続の設計が十分でなかったことが、支持の広がりを欠いた一因にも見えます。 また、2012年の政権交代後の総括や説明の不十分さが、その後の不信感の固定化につながったという指摘は重要であり、今回の敗北もその延長線上にあると考えられます。 今後求められるのは、理念の提示にとどまらず、有権者の「地べたの感覚」と接続する言葉と政策の再構築でしょう。なぜ声が届かないのか、どのような言葉であれば対話が成立するのかを問い直すことが、野党再生の出発点になるのではないかと感じます。
2026年4月27日 15:04