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広島大学文化サークル連合の公式オンラインジャーナルです。

リタ・アゼヴェード・ゴメス作品をめぐる対話:(横川シネマ)

本記事では、12月18日から20日にかけて、アテネ・フランセ文化センターで開催されるリタ・アゼヴェード・ゴメス特集に合わせて、2023年8月26日に日本初上映された『変ホ長調のトリオ』の上映後に行われた赤坂太輔さんのトーク(聞き手:小城(本誌編集部)の様子を採録したものである。なお、採録に際しては赤坂太輔さんから提供いただいたものを、本誌編集部で修正作業を行った。
本特集に合わせて、リタ・アゼヴェード・ゴメス作品を理解する一助となれば幸いである。

 

赤坂太輔:映画批評家。1965年生まれ。2003年にNew Century New Cinema(シネクラブ)を創設して以来、様々な映画の紹介を手掛ける。主な著書に『フレームの外へ 現代映画のメディア批判』(2019)。

 

トーク

小城(以下O):本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。それでは早速トークに移らせていただきます。まず、トークゲストをご紹介いたします。ニューセンチュリー・ニューシネマのプログラムディレクターで、立教大学でご教鞭を取られている映画批評家の赤坂太輔さんです。みなさん、拍手でお迎えください。 (拍手)

 

赤坂(以下A):よろしくお願いします。

 

O:赤坂さんの代表的な著作である『フレームの外へ』を今日持ってきたのですが、この著作の中でも本日上映しているリタ・アゼヴェード・ゴメス監督が取り上げられています。それでは早速始めていきます。
まず、本企画の趣旨について簡単にご説明いたします。広島大学映画研究会では、2018年以降、不定期に年2回程度を目安として上映会を行っており、これまでクリス・マルケルやゴダールといった監督の作品を広島大学で上映してきました。今回はポルトガル大使館文化部とのコラボレーションにより、リタ・アゼヴェード・ゴメスの作品を日本初上映・広島初上映として2作品紹介できることになり、このような形で企画を組ませていただきました。以前から女性監督の特集を行いたいという思いがあり、その中でまず思い浮かんだのがこの監督だったということが挙げられます。そして、ポルトガル映画のトークをどなたにお願いするかというときに、真っ先に思い浮かんだのが、ポルトガル映画の上映に長く関わり、オリヴェイラやモンテイロといった監督の作品紹介にご尽力されている赤坂さんでした。

 

A:ありがとうございます。

 

O:赤坂さんは8年ぶりにこの場所での登壇ということで、そのときも実はモーレン・ファゼンデイロ監督の特集でしたよね。広島国際映画祭2015年の特集で、そのときにミゲル・ゴメスなど、(当時においては)多くの若手の――

 

A:もう若手じゃないですけどね(笑)。そうですね、ミゲル・ゴメス監督ですね。ファゼンデイロ監督は最初の映画でしたかね。広島映画祭で、この会場で上映されたので、そのときにご一緒したわけです。

 

O:実はゴメス監督とファゼンデイロ監督は、一昨年(2021年)でしたかね、日本では『ツガチハ日記』というタイトルの共同監督作品がありまして、日本でも確かイメージ・フォーラム・フェスティバル(2022年)で上映されたりしています。まさに赤坂さんが紹介されている作品が、いろんなところで現在進行形で上映されているというのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 

A:いや、ミゲル・ゴメス監督に関しては……2000年を越えたあたりからはアルゼンチン映画の紹介などもしていたので、ポルトガル映画からは少し離れていた時期があったんです。なので、その後の世代の人たちは――そうですね、ペドロ・コスタまでですかね。その後はあまり関わってはいなかったんです。
ただ、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督に関して言うと、実はリタ監督は年齢的には70歳を超えているので、実質的にはペドロ・コスタなど、いまよく知られているポルトガルの監督たちよりも少し上の世代なんですよね。同時代的には、たぶんポルトガルで民主革命があった1974年に20代だった人たち――ジョアン・ボテリョとかジョアン・マリオ・グリロといった人たちの世代だったと思います。
ポルトガルの独裁政権下では、どちらかというと男性優位の映画業界の中で女性が出てくるのは非常に難しい時代で、その頃に映画を撮る機会を得られた女性というのは、マルガリーダ・ジルのように女優から転向する場合に限られていた時代でした。ですので、やはり非常に困難な時代だったと思います。
それで、彼女が第一作を撮られたのは1990年代になってからですね。年齢的には少し上ですが、そうした困難な時代を経てデビューされたので、デビューの時期としてはペドロ・コスタの世代とほぼ同じ頃になります。ただ、実質的にはやはり少し上の世代にあたる方ですね。

 

O:今回の特集では、権利などの都合もあって、本当に最新の作品しかご紹介できていません。そこで、リタ監督の初期の作品がまずどのようなものだったのかについて、伺いたいと思います。

 

A:まあ、ちょっといくつか断片をピックアップしてみたので、お見せできると思います。最初の作品ですね、『大地が揺れる音』という作品があるんですけど……もう出しちゃいましょうか。はい、どうぞ。

(上映)

『大地が揺れる音』

 

A:はい、第1作目の作品ですね。冒頭の部分なんですけど、これを見てみると、昨日・今日上映した最近の作品とは非常に異なっています。
カメラが非常によく動いているような、印象的なシーンがこの後にあるんですけども、これをパッと見て思い浮かぶのは、窓に向かってずっとカメラが近づいていって、そしてこれがバーッと破れて海に行けば、ヒッチコックの『海外特派員』のクライマックスになるわけですが、そういうことは起こらない。海が映るだけ、というシーンなんですね。
ただ非常に、カメラの動きがですね、この後の作品にも共通していて、ヒッチコック的なカメラワークが随所に見られるような気がします。
もう一つは、作家が書斎で執筆していて、そのテキストを読み上げていくと、カメラが動いていって海が映る、つまりまったく違う場所へと行ってしまうという――映像がそういうことを起こすわけです。
つまり、テキストと映像が必ずしも一致していない、むしろ自由に離れていてもいいんだという、ある種の自由さのようなものが初期から現れている気がします。後の作品でも、テキストには沿っているけれども、そこから離れてもいいという、そうした距離感や自由さのようなものが、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督の映画の感覚として随所に現れています。

 

O:1990年といいますと、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督が38歳のときで、その前に、例えばオリヴェイラの『フランシスカ』の現場に入っていたりして、けっこうデビューが遅いということがありながら、こういう作品を作られるというのも面白いですよね。ポルトガルの過去の監督からの影響や、先ほどお話に出たヒッチコックからの影響もあるとのことでしたけど、ポルトガルの監督から受けた影響というのはありますか。

 

A:最初にリタ監督が美術助手として参加したのが、オリヴェイラの『フランシスカ』という映画だったんですけど、その前はですね、カーネーション革命の時期に美術大学に通われていたんです。それが革命の影響で大学を中退されて、その後は映画の美術監督や舞台美術の仕事を続けながら、一方で美術学校などで教えてもいらっしゃったわけですね。だから常にそうした美術関係の仕事に携わっていたという、そのバックボーンがあるんです。それが一番よく現れているのが、『ポルトガルの女』だと思います。
もう一つ挙げると、ドイツ・ニュージャーマン・シネマの非常に重要な映像作家の一人であるヴェルナー・シュレーターという人がいます。この劇場でも後に上映される『天使の影』のダニエル・シュミットという監督、そしてライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとともに、ドイツやスイスで1960年代から80年代にかけて活躍したトリオとして知られています。彼には、ある種のデカダンス、ドイツ・デカダンスの美学といえるようなものがあって、その影響がリタ・アゼヴェード・ゴメス監督の中にも見られると思います。
この後お見せしますが、『Fragil como um mundo/世界のように脆い』という映画があります。花が咲くシーンがあるんですね。

(上映)

『Fragil como um mundo/世界のように脆い』

 

ここでもカメラが動いていて、もう一つは位置関係ですよね。少年少女がいて、カメラがずっと動いていくと、消えたはずの二人が寄り添っていて、そこにカメラが近づいていく。つまり、こちらにいたはずの人物が別の場所に現れるという、観る側の位置感覚を揺さぶるようなカメラワークなんです。
思い浮かぶのは、カール・T・ドライヤー監督の『吸血鬼』ですね。白い壁を追っているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう――あの感覚に似ています。

 

O:私は最初に見たとき、初期のペドロ・コスタっぽいなと思いながら見ていたんですが、動いているうちに、白黒からカラーへの切り返しが、なんというか、ギイ・ジルのような、パッと見て効果的な使い方だと感じました。ただ、ギイ・ジルほどの悲壮感はなくて、むしろ躍動的で、動いているもの――そうしたところが、リタさんの映画の強さなのかなと思いました。

 

A:ペドロ・コスタとリタ・アゼヴェード・ゴメスの二人が、どちらも好きだと言っている監督が一人いまして……まあ、一人だけではないんですけどね(笑)。それがニコラス・レイなんですよね。ニコラス・レイの『夜の人々』に出てくる恋人たちの影というのが、ペドロ・コスタの場合は最初の映画『血』の中――あの白黒映像や森の中のシーンにも見られると思うんです。
一方で、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督の場合は、もう少しメルヘン的ですよね。この映画のアイデアのもとになったのが、アレンテージョで若い少年と少女の遺体が発見された事件で、それが心中ではないかと言われたものの、はっきりとはわからなかった。そこから、「どうしてこの二人がこんな場所で見つかったのか」ということを想像して脚本を書いていったというんですね。
この映画は、特にカメラワークや物語の運び方がメルヘン的なんですが、『ポルトガルの女』という作品にも、そうした感触がありますよね。王女といっても一応結婚している女性ですが、ある王に囲われた女性というような、メルヘン的なイメージを受け継いでいるのではないかと思います。

 

O:とはいえ、『ポルトガルの女』の場合、特に女性の強さというか――2018年、2019年といえば、アメリカからMeToo運動が起こってきて、最近では『バービー』(2023)のような映画もヒットしているという状況の中で、僕はこの作品に、メルヘンでありながらも、最終的には「留守番」というか、ある種、男に囲われながらも、その中で女性がいかに生き抜いていくかという強さを感じました。
それこそ、アゼヴェード・ゴメス監督自身がなかなかデビューできなかったポルトガル映画史の中で、それでも1990年代から力強いカメラワークで、30年間コンスタントに作品を作り続けている――その監督の強さと、あるいは主人公の女性が走っていく、駆け上がっていくといった印象的なシーンが多いこと、その二つが重なって見えるように思います。

 

A:この次にお見せする『ある女の復讐』という映画があるんですが、これはバルベ・ドーヴィイーの短編集に収められている作品で、日本語でも読むことができます。
この映画は実現までに15年ほどかかったといわれていて、最初の映画も非常に長い時間をかけて作っているんですね。やはり、そうしたものを実現する強さというのが、監督自身に備わっているのではないかと思います。
彼女は、男性優位の社会の撮影現場の中で、長い間、美術スタッフとして下積みをしてきた人で、それから自分の映画を作るようになった。今から考えると、その時代、他の国ではすでに映画学校を出て、あまり下積みを経ずに監督になる人が多くなっていた頃ですから、そういう意味ではかなりの苦労人ですよね。そうした経験からくる「強さ」みたいなものが、作品の中に現れているのかもしれません。

 

O:ありがとうございます。『ある女の復讐』という作品は、おそらくリタ監督の中でも、世界的に最も知られている作品の一つだと思います。今回も本当は上映したかったんですが、叶わず終いで……。この作品は本当に素晴らしいんですよね。リタ・ドゥランという、『変ホ長調のトリオ』で主人公アデリアを演じていた女優さんが主演していて、彼女がものすごく力強い役を演じています。
では、ぜひクリップを見ながら考えてみたいと思います。

(上映)

『ある女の復讐』

 

A:はい。前の映画よりも、より舞台で上演される演劇のように作られた映画――いわば、その方向に完全にシフトしていった作品ですね。

 

O:私はこの映画を見たとき、オリヴェイラの映画以上に、モンテイロの『シルヴェストレ』を想起しました。この本にも書かれている通り、アゼヴェード・ゴメス監督が、彼らの「上演の映画」の後継者であることを、完全に示した一本だと思います。

 

A:それはつまり、カメラの前で演劇を演じるように映画を作る、ということなんですね。カメラの前で上演される演劇であると同時に、そのときの時間や空間のドキュメンタリーでもある。俳優のドキュメンタリーでもある。そうした、フィクションでありながらドキュメンタリーでもあるという両面をもつ映画の系譜です。
1960年代に登場した作家たち、あるいはそれ以前から映画を作っていた巨匠たちが、晩年にそうした形の映画へと向かっていった。たとえばカール・テオ・ドライヤーやジョン・フォードの晩年の作品がそうですね。そして、その流れを引き継ぐ形で、ジャック・リヴェットやジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレのような新しい世代が登場し、それをさらに発展させていった――その時期が1960年代というわけです。
ポルトガル映画の場合、これは非常に象徴的なんですが、1974年にカーネーション革命(民主革命)があり、その2年後に、ストローブ=ユイレのレトロスペクティブがドイツ文化会館で開催された。それが若い映画作家たちにとって「今まで見たことのない映画体験」として決定的な影響を与えた――ということを、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督自身のインタビューでも語っています。おそらく、ペドロ・コスタのような新しい世代の作家たちにとっても同じだったでしょう。
そしてもう一つ興味深いのは、ジョアン・ボテリョの証言です。彼はアゼヴェード・ゴメス監督とほぼ同世代なんですが、彼の話によると、ストローブがオリヴェイラの『春の劇』(1963)を観たとき、「自分がやりたかったことはもうここでやられているじゃないか」と言って、非常にいらだった、というんです。つまり、必ずしも世界的潮流を受けてポルトガルでそうした映画が生まれた、というのではなく、ポルトガルの内部にもそれを生み出す必然的な理由があった、ということなんですね。
それは何かといえば、ポルトガルが独裁政権下にあったということです。映画は当然、ある種のプロパガンダの手段として機能していました。たとえばレイタン・ド・バロスの『カモンイス』など、国の偉大さを讃える詩人の伝記映画のような作品も作られていた。そうした歴史映画には、常にプロパガンダ的側面があったわけです。
一方で、マノエル・ド・オリヴェイラの『春の劇』は、スペインとの国境にある村を舞台にしたドキュメンタリーですが、その村で行われる雨乞いの儀式――つまり、キリストを磔にする受難劇の上演を毎年撮影していた。それをドキュメンタリーとして撮ろうとしたところから、逆にフィクションの領域にまで踏み込んでしまった。つまり、「ドキュメンタリーでありながら劇映画でもある」映画として、フィクションとドキュメンタリーの境界を発見するようなプロセスで作られた作品なんです。
そうした映画は、演劇とは何かを再発見する試みでもあります。劇として行われていることが「真実」であるという思い込みから、意識的に、歴史的に距離を取る。つまり、「それは人為的な構築であり、プロパガンダではない」と示すことで、観客が各要素を自ら分析できるようにする。そういう性格を持った劇映画、言い換えれば、ドキュメンタリーとフィクションの両面を備えた映像作品なんですね。そうした重要な変化が、まさにポルトガル映画の中で起こっていた。そして、『春の劇』に助監督として参加したパウロ・ローシャやアントニオ・レイスといった人たちが、それぞれのかたちでその発見を引き継いでいく。
たとえばアントニオ・レイスは、妻マルガリータ・コルデイロとともに『トラス・オス・モンテス』を制作し、今度は山間の村に暮らす素人の人々を用いて、ドキュメンタリーでありながらフィクションでもある作品を作り上げた。また、パウロ・ローシャは後年、『恋の浮島』で日本を舞台に、カメラの前で演劇を上演するような映画を撮り、日本とポルトガルの歴史を相対化するような作品に仕上げています。
そうした個々の努力によって、ポルトガル映画は独自の進展を遂げていったわけです。

 

O:フィクションとドキュメンタリーの二項対立が批判されるようになって、もうずいぶん長く経ちますけれども、2001年のジャック・ランシエールのテキストの中でも、クリス・マルケルの『アレクサンドルの墓』を論じながら、両者の二項対立そのものが批判されています。先ほどのお話を伺っている限りでも、昨年惜しくも亡くなったストローブの影響というのは、やはり相当強いなと感じましたね。

 

A:まあ、ヌーヴェル・ヴァーグの伝道師というか、ドイツやイタリア、ポルトガルでも、それぞれの国でカイエ派のエッセンスを伝染させていくような役割を果たしていた人たちですよね。もちろん、ストローブ=ユイレの映画はカイエ派の映画とは違いますけれども。ゴダールやリヴェット、ロメールといった人たちは、基本的にはロッセリーニの影響が強いわけですが、ストローブ=ユイレの場合は、「ロッセリーニは人間しか見ていない。もっと空間を尊重すべきだ」と言っていて、むしろ古典派の映画のほうがよいと主張していたんです。
そういう意味では立ち位置が違うんですけれども、劇映画というものを解体する視点を観客に与えるような映画を作っていたという点で、現代のオーディオヴィジュアルが発展していく上で非常に重要な意味を持っている。そういう「上演の映画」という概念を広めたという点では、非常に大きな力があったのではないでしょうか。

 

O:では、昨日と今日で上映した2つの作品に話題を移したいと思います。1つ目である『ポルトガルの女』は、ドイツ語の作品をポルトガル語に翻案し、言語を変えて上演する映画。2つ目、今日上映した『変ホ長調のトリオ』は、フランス語を一切変えずにそのまま上演する映画。つまり、2本ともある意味で“言語の実験”を行っている作品と言えますね。まず『ポルトガルの女』というのは、ロベルト・ムージルの小説を脚色した作品ですよね。

 

A:そうですね。それはアグスティナ・ベッサ・ルイスとのコラボレーションがあったからなんです。アグスティナ・ベッサ・ルイスというのは、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督が参加したマノエル・ド・オリヴェイラ監督の『フランシスカ』の原作を書いた作家でもあります。その関係から自然に出てくる組み合わせなんですけれども、やはり彼女が翻案することによって、一つの距離感や歴史的な印象が変わってくるんですよね。

『ポルトガルの女』

 

O:この作品をご覧になられたときに、「一つのカットの中で複層性がある」というお話をされていたと思うんですが、その点についてもう少し伺いたいと思います。

 

A:あの、実は見ていてかなり疲れていたので、うとうとしてしまったりもしていて(笑)。でもそのときに思ったんです。今日もそうなんですけど、一つのカットを非常に長い固定画面で撮るときに、人の出入りがあったり、大勢の人が動いたりするんですが、そのときに意図的に止まったり、動かなくなったり、奥に行ったり前に出てきたりする。つまり、同じ人物で構成されている画面なんだけれども、動いたり静止したりすることで、違う絵画を作るというか、絵が生まれる瞬間をその都度作っているような感じなんです。
『Fragil como o mundo』のモノクロ画面でも、そうしたことをやっていたんですが、本人が言っていたのは「それはカール・ドライヤーへのオマージュなんだ」ということでした。ただ今回は、それを色彩でやっている。ドライヤーは色彩で撮影することはできなかったわけですが、非常にそういう意味では、ヴェルナー・シュレーター的な色彩と、ドライヤー的な静止や出入りといった要素を融合させて、いくつもの異なる絵を同じコンポジションの中で作り出しているように感じましたね。

 

O:なるほど、ありがとうございます。ドライヤーからの影響かどうかはわからないんですけれども、リタ・アゼヴェード・ゴメスって、定期的にドキュメンタリーも撮っていますよね。たとえば、オリヴェイラと誰かの対話ドキュメンタリー『15個の石』でしたっけ?

 

A:そうですね。あれはポルトガル・シネマテークの館長だったジョアン・ベナール・ダ・コスタとの対話ですね。彼は俳優としても、ラウル・ルイスやオリヴェイラの映画に出演しています。

 

O:あとは、最近のドキュメンタリーとして、ついこの間亡くなられたジャン=ルイ・シェフェールと、今日ポールを演じていたピエール・レオン、そしてリタ監督の3人が共作していた作品があります。これが結構長い題名で、『Danses macabres, Squelettes et Autres Fantaisies』というタイトルだったと思うんですけども。
この作品の中で、ドライヤーの『彼らはフェリーに間に合った』という作品が、最初のシーンと一番最後のシーンで引用されていて、リタ監督の相当なドライヤー愛を感じる方も多いのではないかと思います。

『Danses macabres, Squelettes et Autres Fantaisies』

A:そのタイトルを日本語にすると『不気味なダンス・骸骨・その他のファンタジー』といった感じですかね。一般的に言ってしまうと、ジャン=ルイ・シェフェールの絵画論を、他の2人がインタビューして聞くという構成の映画で、そんなにわかりづらい映画ではないと思います。ジャン=ルイ・シェフェールの本はとっつきにくい印象がありますが、彼の話し方がとても魅力的で、思わず最後までスルスルと見てしまうようなタイプの映画なんです。

 

O:ジャン=ルイ・シェフェールの本といえば、『映画を見に行く普通の男』というのが翻訳されていますよね。あの本も、翻訳をされた丹生谷貴志さんが「原文がものすごく難解だったので、翻訳でできるだけわかりやすくしました、ごめんなさい」といったニュアンスのことを後書きで書かれていたのを思い出します。

 

A:映画で見ると本当に魅力的な話し方をする人で、もっとそういう講義系のドキュメンタリーを撮っても良かったんじゃないかと思うんです。逆に言うと、それがなかったからこそ、ピエール・レオンとリタ・アゼヴェード・ゴメスは、そういう映画を作ろうと思ったのかもしれませんね。そういった経緯があるというのは、改めてちょっと不思議な感じがします。
その前に作られた『コレスポンダンシア』というのも、二人の詩人の往復書簡を描くわけですけど、それを複数の国籍・言語の違う人、例えばロシア人とかスペイン人とかフランス人、エヴァ・トリュフォーとか、そういった人たちが来て、それぞれの母語で朗読するんです。そしてその中にフィクションが入ってくるというような映画で、やっぱりこれもさまざまな形式のコラージュで作られた映画なんです。
それを見ていて思ったんですけど、その往復書簡は、手紙とか、あるいは普通の会話、演劇としての戯曲として書かれた会話とか、いろんな言語で書かれた会話のあらゆる部分を混ぜたり、コラージュしたり、あるいはあっちからこっちに移ったりというようなことで、さまざまなレイヤーを渡っていくということの楽しさを、映画の中で見る側にわからせてくれるような、そういう映画を作っているんじゃないかなと思うんですよね。

『コレスポンデンシア』


O:『ポルトガルの女』の中で、主人公とその親類の女性が会話するシーン(45分ごろ)がありますが、そこではフランス語とポルトガル語が交錯していますよね。今日の『トリオ』でも、監督と助手の間なでで、ポルトガル語とスペイン語が交わされていて、フランス語の台詞に対してポルトガル語で指示を出すような場面もあって、その言語の混ざり方が非常に面白いと感じました。そうした部分を聞いている中で、何か納得できるものがありましたし、リタ監督の意図がより明確に感じられたように思います。
……さて、時間もそろそろですので、最後に簡単に『変ホ長調のトリオ』についてお話を伺いたいと思います。この作品には、やはりリタ監督の音楽へのこだわりが強く現れているのではないでしょうか。『Fragil como o mundo』にも通じる部分があるように思いました。

『変ホ長調のトリオ』

 

A:これはもともとエリック・ロメールが1960年代に書いた戯曲で、彼自身が1988年に『四つの冒険』の最後の部分として映像化しようとしたものなんです。けれども結局それは実現せず、代わりに舞台として上演されました。そのとき、主演は『四つの冒険』でミラベルを演じたジェシカ・フォルド、そしてロメール作品の常連だったパスカル・グレゴリーが務めています。
ロメールは『モーツァルトからベートーヴェン』という本も書いていますが、音楽への深い関心を持っていました。そう考えると、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督のこの映画は、ロメールが書いたある種の「戯曲」=「楽曲」を、彼女なりの解釈でどう演奏するか、という試みであると言えると思います。
すでに亡くなっているロメールの作品を、いかにして自分の手で“演奏”するか。その試みの中で、映画スタッフたち自身が画面に登場し、そこで一つの枠組みを作り、演じることと撮ることの間に距離を置く。つまり「私たちはいま、この作品を演奏しているのだ」という意識を観客に見せている、そういう映画になっているのではないでしょうか。

 

O:このアド・アリエッタ(アドルフォ・アリエッタ:名前を何度も改名しており、現在はこの名前になっている)というのが本当に不思議な存在で、最初はアド・アリエッタというのは、エリック・ロメールを脱構築するために、リタ・アゼヴェード・ゴメス監督が自由にやってほしい、そういったキャラクターなのかなと思いました。

 

A:アド・アリエッタも、映画のポールの役で出ているピエール・レオンも、映画監督として自分の作品を持っているんですけど、アド・アリエッタはスペインの独裁政権下、フランコ政権の時代に、1970年に亡命しているんです。ゲイだったので弾圧されてフランスに亡命して、自主映画を撮っていて、ジャン・コクトーっぽい映画が多いんです。中編、短編、長編もありますけど、ほとんどがアングラ的で、そういう意味では「完成しない映画の監督」にふさわしいというふうに言えると思います。
それからもう一つは、ピエール・レオンは自分でも監督作品を作っていますけど、これはドストエフスキーの『白痴』とか、あるいは『エレクトラ』を、日常の言葉で演じたらどうなるか、スマホ時代にそういうものを演じたらどうなるかというぐらい、日常的なところに持っていこうとするような試みをしている作家なんです。そういう意味では、ある種、劇映画や商業映画の世界ではともに認められなかったという部分のある二人が、ここで組んでやるというのは、エリック・ロメールのような、ある意味ヌーヴェル・ヴァーグの中でもメジャーになった作家の戯曲を取り上げるという意味で、いろいろ屈折した部分が非常に見えてくるんじゃないかと思います。

 

O:ロメールのテレビ版をご覧いただいた方は分かると思うんですけど、ものすごく比較的動きがあって、若々しいというイメージがあります。一方、こちらの方は、ある種、初老の男性と女性が演じているような形で、一見しゃがれたような映画ではあるんですけど、実は最終的には、映画の作り方そのものを問いかけるという点で、逆にものすごく若々しいと思えるような、そういう映画として帰結しています。

 

A:だからここにもやっぱり、「できているもの」や「過去のもの」を取り上げて演奏する、でも演じるのは現実の我々だよ、みたいな、そういう距離とか現実のコンテクストがある。それを踏まえてください、みたいなことだと思うんですね。
それともう一つは、「上演の映画」というのは、撮影することで俳優たちの肉体や身体を擁護するという側面もあるんです。たとえばテレビの劇場中継とかだったら、セリフを言っている人しか映さないので、劇場中継というのは、ある種その周りの人たちがどこへ行っちゃったんだ、みたいなことになるんですけど、映画作家の場合は自分の距離で作るので、そういうところまで配慮した映像を作ることができる。
『変ホ長調のトリオ』は2人しか出てきませんけど、その前の『ポルトガルの女』は非常にロングで引いた画面で、大勢の人たちが動いたりするわけですよね。実況中継、舞台中継なんかを見ている感覚でこれを見ると、「すごく遠くに行っちゃったな」という感じがするんですけど、実はスクリーンというのは、それぞれの作家が撮る距離で、俳優たちや空間や時間を配慮し、記録することと同時に、後に残すために「こういう人たちがいた」「こういう時代空間があった」ということを後世に伝えるための、配慮が非常に重要だったりするアートなんです。
これはメディアとの違いで、メディアというのは言語に従属する映像を作ることで、すべて文字情報が優位になるんですけど、映画の場合はそうじゃない。各要素が等しく尊重されるんだ、ということを示す映像作品なんです。舞台として、アートとして、そういうことができるんだということを示すことができる。そういったところが多いにあるんじゃないかと思います。

 

(2023年8月26日:横川シネマにて)

※本対談の採録は、NCNCと弊誌の共同発表物となります。
編集・構成:小城大知(Re:Public On Web映画・文化担当、映画研究・表象文化論)