「ビートルズみたいになりたい」。そして、デビューから半世紀――「サボテンの花」「心の旅」など数多くの名曲を手掛けたシンガー・ソングライター、財津和夫さんの最新刊『 大丈夫さ 私の履歴書 』は初の自伝。デビューまで、チューリップ時代、ソロ活動、病気を経験して変わった音楽への向き合い方など、その半生を率直に語っています。音楽評論家のスージー鈴木さんが、本書を通して浮かび上がる人間・財津和夫の魅力に迫ります。

 どこよりも誰よりも早く、この一冊について書かせていただくのを、とても光栄に思っている。

 財津和夫氏ご本人と、取り立てて面識があるわけでもなく、また彼について、私よりも詳しい音楽評論家もたくさんいるであろうなか、なぜ私ごときに発注が来たのか。

 理由はたった1つ。2025年11月1日、日本経済新聞に掲載された連載初回を見て「これはすごい!」と思った私が、SNS(交流サイト)や、いくつかの発表原稿で、先んじて推しに推したからである。つまり私は、2025年秋の段階ですでに、この本の「世界最速推し」を済ませていたのだ。

 この新刊の、何が「すごい!」のか、どこを推すのかについては、本稿後半に取っておくものの、仕事柄、数々のミュージシャン自伝本を読み漁った立場からでも、自信を持っておすすめできる一冊であることを先に保証しておく。だから信じてくれても――大丈夫さ。

まずはちょっと遠回り、この本の話から

 では、まずはちょっと遠回り。私が考える「日本ミュージシャン自伝本史上最高傑作」の話から。

 矢沢永吉『 矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG 』(角川文庫。リンクは新装版)こそが、その一冊である。累計200万部というから、何ともすさまじく、また物書きとしては実にうらやましい。なお姉妹編ともいえる『 アー・ユー・ハッピー? 』(同)もまた傑作。

 まずは『成りあがり』。200万部も売れたのだから、傑作たらしめるポイントも、たくさん擁していると思うのだが、私なりに、たった1点挙げるとすれば、その「あけすけさ」である。

 とにかく何も包み隠さない。そこまで書くかというところまで書き、そこまで吐くかというところまで吐き出している。私も小6の頃に読んで、まずはサクセスストーリーや女性関係のあけすけさに惹き付けられた(12歳には刺激が強かったが)。

 しかし今再読して、いちばん驚き、そして笑ったのは、キャロル以前に矢沢永吉が組んでいた人気バンド「ヤマト」の解散理由である。

 オレが、歯を悪くしたわけよ。オヤシラズ。死にそうになったんだ。(中略)それで、腐ってきだしたわけよ、奥歯が。化膿しだしたのね。強力に。ものすごく腫れたわけ。口が開かなくなるほどだった。(中略)結局、一か月間、バンド活動ができなかった。一か月後に戻った時に、バンドは、もうダメだった。

 ヤマト解散の真相は「矢沢永吉の親知らずが腫れたから」――。

 ミュージシャン自伝本の中で、心の痛みについて書かれたものは多いと思うが、親知らずの痛みについて、ここまであけすけに赤裸々に書かれたものは、世界中探しても、この一冊だけだろう。このあたりが『成りあがり』の決定的な魅力だったと思うのだ。

 また姉妹本『アー・ユー・ハッピー?』では、糟糠(そうこう)の妻がいながらも現在のマリア夫人と関係を深めていく過程や、レコード会社=ワーナー・パイオニアと決別する瞬間のあけすけな描写に、ページをめくる手が止まらない。

自分を絶対化しない感覚

 さて、ミュージシャン自伝本をたくさん読んで分かるのは、特に、本人の執筆や語りによるものには、多かれ少なかれ、必ず「歴史修正」が潜んでいるということだ。

 まずは「自己弁護」。いい話、かっこいい話しか書かない(語らない)。都合の悪い話には触れない。結果、リアリティのない薄っぺらな自慢本になってしまう。

 また「誇張」という問題も発生しがち。ミュージシャンとは、音楽だけでなく自分の言葉についても、受け手の反応がとても気になる人種だ。ウケたらうれしい、すべったら悔しい。

 だからついつい誇張してしまう。盛ってしまう。ブレイク前の貧しさ、ブレイク後の羽振りのよさ、モテなかった話、モテた話、売れた話、売れなかった話…。とにかく盛りに盛ってしまって、真実からかけ離れた創作本になったり。

 ここで、言いたいことは、あまたあるミュージシャン自伝本の抱える危うさに対して、矢沢永吉本、そして今回の財津和夫『大丈夫さ』は、「あけすけさ」という一点において、貴重かつ、信じるに足るということだ。

 『大丈夫さ』を数ページ読めば分かる。「歴史修正」とは無縁の実にニュートラルな筆致であることが。こういうミュージシャン自伝本は、極めて珍しい。

 それは、矢沢永吉本とも共通するところなのだが、違うところがあるとすれば、矢沢本の場合は、行間から、熱気のようなものが強く立ち込めてくるのに対して、財津和夫の場合は、熱気というよりも、著者のほのぼのとした人間性がふわっと浮き出てくるということ。

 背景には、財津和夫という人が、自分を絶対化しない感覚、ある種、普通人としての感覚を持ち合わせていることがあるのだろう。だから、どんなに劇的なエピソードでも、スイスイと読める。

 「姫野達也にリードボーカルを奪われた悔しさ」「松本隆に作詞を奪われたショック」「オリジナルメンバー吉田彰の脱退理由」「事務所社員Aの失踪事件」「1989年チューリップ解散の真相」、さらには「うつやがんの経験」まで――。

 詳しくは本書をあたっていただきたいが、普通のミュージシャンならかっこつけて書かないであろうことも、平気であけすけに書かれてある。こんなミュージシャン自伝本、なかなかない。

強く感じ入った現在の人生観

 そして個人的にクライマックスだと思ったのは、現在の人生観に関するくだりである。

 普通、財津和夫クラスの大物ミュージシャンになれば、自分を絶対化することに慣れた結果、今でも、年を取っても、自らが手掛ける作品は素晴らしい、完璧だと思い込んでいるはずだ。しかし、彼は違う。

 時折、歌を作ってみようとするのだが、説教がましくなってしまう。「俺はこの境地に達したぜ」みたいに。何を言っても妙に格好悪いなあと思ってしまう。

 ここに表れている客観性、自己批評性は、ある意味で、まったくミュージシャンぽくない。というか、まるで普通人シニアの感覚といっていいだろう。

 でもこういう感覚こそが、他の誰でもない財津和夫という音楽家の魅力を形作ってきたのだろう。

 なお、上の引用の続きに「○○○のように、いつかなれるだろうか」という一文があるのだが、その「○○○」に表れた人生観、さらには達観に私は強く感じ入った。座右の銘、いや「財津の銘」にしようと思ったほどだ。ぜひ確かめられたい。

 繰り返すが、こんなミュージシャン自伝本はなかなかない。

その功績・魅力はもっと広く語られていい

 私は音楽評論家として、チューリップは、財津和夫は、もっと論じられていい・論じられるべきだとずっと思っていた。

 洗練されたハーモニーやコード進行。卓越したコーラスワーク。そして成功した音楽家の多くが、マニアックになったり、聴き手と遊離していったりするなか、ひたすらポップであり続けたという大きな功績。

 という問題意識から、微力ながらも拙著『 日本ポップス史 1966-2023 あの音楽家の何がすごかったのか 』(NHK出版新書)で「1972年の財津和夫」という項を立てて、先の功績について、私なりに論じてみたのだが。

 しかし、この『大丈夫さ』の刊行は、「財津和夫論」が一気に広がる大きなきっかけとなるのではないか。

 本書の影響で、拙著がなくても「大丈夫さ」となっては困るのだが、本書をテキスト、拙著をサブテキストとして、音楽家・財津和夫の功績、人間・財津和夫の魅力が、もっともっと広く、かつ的確に語られていけばいいなと思っている――。

 と、何だか大所高所の話に終始してしまったので、最後は、本書で知った最高のトリビアで締めさせていただく。

――財津和夫と財津一郎は親戚だった。

<評者> スージー鈴木(すーじー・すずき) 音楽評論家
1966年、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲まで幅広いジャンルの楽曲を、社会的な視点からも読み解く。『日本ポップス史 1966-2023』『桑田佳祐論』『大人のブルーハーツ』『中森明菜の音楽 1982-1991』『EPIC ソニーとその時代』『幸福な退職』『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』など著書多数。新刊に『日本の新しい音楽1975~』(日刊現代)。