現場検証をする沖縄県警(共同通信社)
警官に「お前から先に殺してやる」
上原一家が山口組大平組に加入し、東亜友愛沖縄支部から分派した琉真会が、当時、大平組だった古川組と結縁すると、抗争はさらに激化する。1977年には旭琉会の4人が上原一家の組事務所に貼り付き警戒をしている警察官に向かって「イッター・カラサチニ・クルサイヤー(お前から先に殺してやる)」と叫んで発砲、その隙に手榴弾を投げ込んで襲撃した。この事件によって沖縄県警は「発砲もやむなし」との通達を下している。しかし、その後の第5次抗争で2人の警官が誤射され殉職した。
東京都の石原慎太郎都知事下で副知事となり、「歌舞伎町浄化作戦」を敢行した竹花豊氏は、1978年、沖縄県警捜査第二課長として『沖縄県における暴力団の実態と取締まり』を執筆した。原稿によると、1961年9月の第一次沖縄抗争勃発から1978年11月までの間、〈殺された暴力団員は25名、抗争中に殺されかかった者延36名にのぼる〉という。
沖縄暴力団にはヤクザの順列とは別に、地縁・血縁の縛りが濃厚に残っており、人間関係が複雑だ。うるさ型が多い地元の先輩連中が、最終的に年が若い糸数体制を受け入れたのは、二代目会長が身体を懸け、“ジギリ”と呼ばれる抗争事件の当事者だったからに違いない。
糸数二代目は、初代富永会長と同じ久米島出身で、富永初代の出身母体である富永一家の三代目を継いだ子飼いだ。若い頃は2022年にNHKで放映された連続テレビ小説『ちむどんどん』の舞台となった横浜市鶴見・潮田地区の沖縄人集住エリアに住み、富永一家川崎支部を率いていた。ドラマの放映時、鶴見時代の思い出を訊いたことがある。
「本土復帰の前だから、パスポートを持って沖縄と鶴見を行ったり来たりの生活。鶴見はアパートや飲み屋でも、沖縄人お断りのところがたくさんあった。なにせすぐ喧嘩をするしね。朝鮮の人たちとは仲が良かった。地域には共産党もあちこちにいた」(糸数会長)
他団体との小競り合いもあったが、「相手があることだから」と詳細を話すことはなかった。当時はまだ関東も、もめ事は暴力でカタを付ける荒事第一主義の時代だったから、差し障りも多いのだろう。