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太平洋戦争80年 アーカイブスでたどる 終戦までの道
 1941年

太平洋戦争が始まった1941年12月から終戦を迎えた1945年8月まで、 NHKアーカイブスに保存されている番組や証言などを元に、 80年前の出来事を日を追って振り返ります。
1941年12月8日(月)日本海軍がアメリカ・ハワイ真珠湾を奇襲攻撃

1941年12月8日(月)

日本海軍がアメリカ・ハワイ真珠湾を奇襲攻撃

 1941年(昭和16年)に始まった太平洋戦争。それから終戦となるまでおよそ3年と9カ月の出来事を、日を追いながらたどります。12月8日、日本海軍の航空部隊がアメリカの太平洋艦隊の基地、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃しました。その目的は、太平洋のアメリカ海軍に打撃を与え、東南アジアの資源地帯と日本本土を結ぶ海の制海権を確保するためでした。リンク先は、太平洋戦争ヒストリーマップ内にある、ハワイ真珠湾攻撃関連の動画をまとめたページです。関連する当時のニュース映画や攻撃隊に加わったパイロットの証言が聞けます

1941年12月8日(月)日本陸軍がイギリス領マレー半島に上陸

1941年12月8日(月)

日本陸軍がイギリス領マレー半島に上陸

 ハワイで真珠湾攻撃が始まるおよそ一時間前、マレー半島でも日本軍の奇襲攻撃が始まっていました。イギリスやオランダの植民地となっていた東南アジアを武力で攻め、石油をはじめ各種資源を確保するためでした。リンク先は、太平洋戦争ヒストリーマップ内にある、日本軍のマレー半島上陸の動画をまとめ実は、たページです。関連する当時のニュース映画や戦いに加わった兵士の証言が視聴できます。

太平洋戦争 開戦の日のラジオを録音したレコード

太平洋戦争 開戦の日のラジオを録音したレコード

開戦や戦況はラジオで伝えられました。リンク先は、大本営の戦果発表や、戦地からの実況放送の録音を、まとめて日曜日に放送した「勝利の記録」というラジオ番組です。12月8日のニュースによると、開戦日に日本は上海でイギリスの軍艦を撃沈、シンガポールやダバオ、ウエーキ、グアムにも爆撃を行っています。また、アメリカ・イギリスとの戦争を「大東亜戦争」と呼称することも、ラジオでこの日に発表されています。

1941年12月10日(水) マレー沖海戦

1941年12月10日(水)

マレー沖海戦

 日本軍のマレー上陸作戦を阻止するため出撃したイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが、陸から発進した日本軍の飛行機による爆弾と魚雷の攻撃を受けマレー半島東方沖で沈没しました。行動中の戦艦が飛行機の攻撃のみで沈んだことは、軍艦に対する航空機の優越を実証することにもなりました。また、この戦いでイギリス海軍はアジアでの制海権を失います。リンク先は、日本ニュース第80号で報じられる「マレー沖海戦」です。

建設進むグアム島

1941年12月10日(水)

日本軍 グアム占領

 日本軍は当時日本の委任統治領であった南洋諸島に対する敵の脅威を取り除くため、グアム島の攻略を開戦前から準備していました。開戦と同時に航空機による爆撃を開始。9日深夜から10日にかけ、南海支隊のおよそ5000の兵隊が3方面から上陸、400人足らずのアメリカ守備隊は50人の死傷者を出しその日のうちに降伏しました。日本側の戦死者は1人負傷者は7人でした。その後、南海支隊はさらに南のラバウル攻略に向うことになります。1月1日付でグアム民生部が設置され、海軍の警備部隊指令が民生部長を兼務、グアム島は海軍部隊が統治することになります。リンク先は、日本ニュース第98号の日本占領下のグアム。(※音声が一部残されていません)

1941年12月11日(木)ドイツ・イタリアが、アメリカへ宣戦布告

1941年12月11日(木)

ドイツ・イタリアが、アメリカへ宣戦布告

 日米開戦から3日後のこの日、日本と三国同盟を結んでいたドイツとイタリアがアメリカに対して宣戦布告しました。それに先立ち同日、ベルリンで日独伊三国単独不講和条約も締結され、お互いの完全な了解がなければ、アメリカ・イギリスのいずれとも休戦・講和をしないことが約束されました。リンク先は、日本ニュース第80号で報じられた「独伊両行対米戦参加」。※サムネイルはオットー駐日ドイツ大使。

1941年12月16日(火)第78回 臨時帝国議会

1941年12月16日(火)

第78回 臨時帝国議会

 開戦後初となる帝国議会がこの日開かれ、東條首相が戦争の理由として「米英の暴政を排除して大東亜諸地域を明朗なる本然の姿に復し、新たなる大建設を行わんとする」と演説しました。真珠湾攻撃で勝利する前は「自存自衛のため」としていた開戦理由に変化が見られます。また副議長による「陸海軍に対する感謝 並びに戦死者に対する敬弔決議案」は、万籟の拍手と共に全会一致で可決しました。リンク先は、日本ニュース第81号の東條首相の演説と議会の様子です。

1941年12月16日(火)戦艦大和 完成

1941年12月16日(火)

戦艦大和 完成

 この日、戦艦「大和」が完成しました。全長263メートル、最大幅36.9メートル、主砲46センチと世界最大の戦艦です。大きな船はパナマ運河を通れないことから、アメリカは主砲40センチ以上の戦艦はつくれないと判断した海軍が、それを上回る巨砲を持つ大和があれば洋上決戦でアメリカに勝利できると考え建造されました。しかし、その存在は極秘で、国民一般に知らされることはありませんでした。リンク先は、1943年7月に大和に配属になった元乗組員が、初めて大和を見たときの証言です。

1941年12月21日(日)日泰同盟条約調印

1941年12月21日(日)

日泰同盟条約調印

 この日、日本とタイ国の間の軍事同盟「日泰同盟条約」が調印されました。条約の前文で両国は「東亜新秩序」の建設のために協力するとされ、相互の主権尊重、第三国との武力紛争に際しての相互援助、単独での休戦・講和の禁止などが記されています。これによって、タイは第二次世界大戦に関して宣言していた中立を破棄することになりました。リンク先は、日泰攻守同盟の合意を伝える日本ニュース第82号。(この後、条約文作成の交渉があり、日泰同盟として21日に調印)※サムネイルはピブーンタイ国首相

1941年12月23日(火)日本軍 ウエーキ島占領

1941年12月23日(火)

日本軍 ウエーキ島占領

 ハワイとグアムの中間に位置するウエーキ島(現在はウェーク島)へ、日本軍は開戦直後12月8日から攻撃を開始していました。しかし、アメリカ側の反撃で駆逐艦を2隻失うなどして一時敗退。その後21日に真珠湾攻撃を終え日本に帰る途中の空母2隻を含む増援を加え再び攻撃を開始、23日に同島を占領しました。この戦いで捕虜になった1235人のアメリカ兵は横浜経由で上海に送られますが、途中、反乱を企てたとして5人が処刑される事件が起き、戦後GHQにより調査されています。リンク先は、日本ニュース第85号から「捕虜になったアメリカの司令官と兵士」を報じた部分です。

ウェーク島攻撃に参加したゼロ戦搭乗員の証言

ウェーク島攻撃に参加したゼロ戦搭乗員の証言

 航空母艦「飛龍」所属のゼロ戦パイロットだった城 武夫さんはウェーク島攻撃で、上陸作戦の援護にあたりました。そして、内地に帰ってから、同じ年で共に爆撃訓練をした金井昇さんが戦死したことを知ります。リンク先は、BSプレミアム 零戦 ~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争~ (2013年放送)の取材時のインタビューです。

1941年12月25日(木)日本軍 香港占領

1941年12月25日(木)

日本軍 香港占領

 当時イギリス領だった香港への攻撃も12月8日からはじまり、12月9日にイギリス軍の防衛線「ジン・ドリンカーズ・ライン」を突破、12日に九龍市街制圧。18日に香港島上陸。25日にイギリス軍は全面降伏しました。(香港ではこの日をブラッククリスマスという。)この戦闘で、イギリス軍は死者1,555人、捕虜9,495人。日本軍の死者は683人、戦傷1,413人と記録があります。その後、香港は軍政下におかれましたが、イギリス領の東南アジアやオーストラリアなどとの貿易が無くなり、食糧不足が深刻化、餓死者も出たといいます。軍は人口を減らすため中国人を半ば強制的に香港から追い出す「帰郷政策」を実施、1941年に161万あったといわれる香港の人口は1945年には60万に減少します。リンク先は、日本ニュース第83号から「香港陥落」です。

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