太平洋戦争80年 アーカイブスでたどる 終戦までの道
1941年
1941年12月10日(水)
日本軍 グアム占領
日本軍は当時日本の委任統治領であった南洋諸島に対する敵の脅威を取り除くため、グアム島の攻略を開戦前から準備していました。開戦と同時に航空機による爆撃を開始。9日深夜から10日にかけ、南海支隊のおよそ5000の兵隊が3方面から上陸、400人足らずのアメリカ守備隊は50人の死傷者を出しその日のうちに降伏しました。日本側の戦死者は1人負傷者は7人でした。その後、南海支隊はさらに南のラバウル攻略に向うことになります。1月1日付でグアム民生部が設置され、海軍の警備部隊指令が民生部長を兼務、グアム島は海軍部隊が統治することになります。リンク先は、日本ニュース第98号の日本占領下のグアム。(※音声が一部残されていません)
1941年12月23日(火)
日本軍 ウエーキ島占領
ハワイとグアムの中間に位置するウエーキ島(現在はウェーク島)へ、日本軍は開戦直後12月8日から攻撃を開始していました。しかし、アメリカ側の反撃で駆逐艦を2隻失うなどして一時敗退。その後21日に真珠湾攻撃を終え日本に帰る途中の空母2隻を含む増援を加え再び攻撃を開始、23日に同島を占領しました。この戦いで捕虜になった1235人のアメリカ兵は横浜経由で上海に送られますが、途中、反乱を企てたとして5人が処刑される事件が起き、戦後GHQにより調査されています。リンク先は、日本ニュース第85号から「捕虜になったアメリカの司令官と兵士」を報じた部分です。
1941年12月25日(木)
日本軍 香港占領
当時イギリス領だった香港への攻撃も12月8日からはじまり、12月9日にイギリス軍の防衛線「ジン・ドリンカーズ・ライン」を突破、12日に九龍市街制圧。18日に香港島上陸。25日にイギリス軍は全面降伏しました。(香港ではこの日をブラッククリスマスという。)この戦闘で、イギリス軍は死者1,555人、捕虜9,495人。日本軍の死者は683人、戦傷1,413人と記録があります。その後、香港は軍政下におかれましたが、イギリス領の東南アジアやオーストラリアなどとの貿易が無くなり、食糧不足が深刻化、餓死者も出たといいます。軍は人口を減らすため中国人を半ば強制的に香港から追い出す「帰郷政策」を実施、1941年に161万あったといわれる香港の人口は1945年には60万に減少します。リンク先は、日本ニュース第83号から「香港陥落」です。