勝てないドラゴンズ、球団史上最低の勝率だった46年前に起きていたこと
国内外も激動の年だった
この1980年は、ドラゴンズだけでなく、日本も世界も大きく揺れた年だった。時の大平正芳総理が急死して、初めての衆参同日選挙が行われた。自民党は圧勝して鈴木善幸内閣が誕生した。旧ソ連よるアフガニスタン侵攻に抗議して、夏のモスクワオリンピックは米国や日本など不参加が相次いだ。 プロ野球界でも、讀賣ジャイアンツの長嶋茂雄監督が、3位という成績にもかかわらず辞任し、王貞治選手も現役引退した。ドラゴンズでも高木守道選手(※「高」は「はしごだか」)が背番号「1」のユニホームを脱いだ。ドラゴンズの圧倒的な最下位も霞むような激動の年だった。
井上竜のベンチに言いたい!
中監督は、現役時代に首位打者にも輝いた職人肌、紳士的な監督だったが、率先してベンチを鼓舞するタイプではなかった。今の井上一樹監督は、監督1年目には「どらポジ」を、 そして2年目の今季は「ドラあげ」を、それぞれスローガンに掲げて"ポジティブ"を売りにしている。 しかし、今季、最下位予想を覆して大躍進している東京ヤクルトスワローズのベンチを垣間見るにつけ、井上竜ベンチの沈滞ムードが気になる。けが人も多く、采配もうまくいかないことが多い。それでも"元気だけはある"ことが、井上監督がめざすチームだったのではないか。 ちょうど1週間前に拙コラムで書いたことをくり返す。浮足立っているように見える采配を落ち着かせること。まず1勝目、次に2勝目、そして3勝目、そうでなければ「46年ぶり」という残念なフレーズが、これからも付いて回ることになる。歴史はくり返さなくていい。 【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】 ※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が"ファン目線"で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)ほか。
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