「孤立無援」と「社交性」の半世紀 過激派メンバー「桐島聡」の逃亡生活

2024年01月31日

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 1974年、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配中の過激派組織メンバー「桐島聡」(70)を名乗る男が現れ、入院先の病院で死亡した。過激派の長期逃亡では、7年前に別組織の活動家が逮捕された事件も大きく報じられたが、2つの逃走劇は様相が大きく異なる。死亡した男が桐島容疑者であれば、半世紀に及んだ逃亡生活は「孤立無援」だった一方、社交性に満ちていた。(時事通信社デジタル編成部・榊原康益 社会部・森拓馬、牧田しおり、 岡田帆奈、 廣野優一郎)

月に1度、決まって1人で

 「最期は本名で迎えたい」。末期の胃がんを患って神奈川県鎌倉市の病院に入院していた男が、自ら「桐島聡だ」と名乗り出たのは、死亡する数日前のことだった。

 桐島聡は、連続企業爆破事件を起こした過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバー。爆発物取締罰則違反容疑で75年5月から指名手配を受け、警視庁公安部が行方を追っていた容疑者だ。連絡を受けた公安部が2024年1月25日から事情聴取を開始。男は桐島容疑者の家族について詳しい情報を話し、身体的特徴も一致したが、4日後に息を引き取った。

 捜査関係者によると、男は「内田洋」の名前で約40年間、神奈川県藤沢市の工務店に住み込みで働き、職場近くの木造2階建て住宅に暮らしていた。病院でも当初は「内田洋」を名乗ったが、健康保険証や運転免許証など身分を示すものは持っていなかった。

 およそ25年前から通い始めた藤沢市内のバーでも「うっちー」と呼ばれていた。居合わせた客と会話を交わし、「楽しそうに酒を飲んでいた」と知人男性は振り返る。月に一度は顔を見せる常連客となったが、来店するときは決まって1人だったという。

「治療薬を早く」と組織に

 7年前に逮捕された別の過激派組織「中核派」のメンバー、大坂正明被告(74)=殺人罪などで懲役20年の1審判決=は、長期の潜伏生活を送った。大坂容疑者は1971年11月、過激派の仲間と集まった東京・渋谷で警戒中の警察官を殺害したとされ、72年に指名手配された。17年5月に発見されるまで46年間にわたって逃亡を続けたが、大坂被告の潜伏は、中核派が全面的に支援していた。

 捜査関係者によると、大坂被告をサポートしたのは、中核派の非公然活動家ら少なくとも10数人に上る。隠れ家を用意した上で月に1回程度接触し、生活費を渡したり、文書をやり取りしたりしていた。病気になっても医療機関を受診できないためか、接触の際に持病の薬も届けられていた。「早くビタミン(=治療薬)を送ってくれ」「どうして送ってくれないのか」。大坂被告が作成したものと解析された文書の中には、そう抗議・督促する内容があり、中核派の幹部が「滞って申し訳ない」と釈明する返信を出していた。

 組織とやり取りを続けることで、大坂被告は精神的にも支えられていたようだ。11年の大みそかに指名手配中のオウム真理教元幹部が出頭した後、大坂被告が中核派に提出した文書には、出頭を「指名手配攻撃」「警戒しないといけないのはこうした攻撃」と評した上で、「必ず逃げ切る」との決意表明が記されていた。

社交生活がコロナで一変

 一方、「桐島聡」を名乗る男に、大坂被告のような支援はなかったとみられる。「中核派と違って、東アジア反日武装戦線は早々に消滅した。支える組織がない中、初期の頃は親族や友人に助けてもらった可能性はあるが、その後の大半は自力で生き延びたのだろう」。警視庁公安部の元幹部はそう見立てた。

 孤立無援となったせいか、男は逃亡者のイメージとはかけ離れた社交的な生活を送った。男が通ったバーの店主(54)によると、規則正しい生活を送り、常連客同士でバンドを組んでボーカルを担当した他、スキーやキャンプへも行った。近所の男性も「あいさつをすれば返ってくるし、目が合えばニコッとする」と振り返る。一般市民として溶け込み、疑いの目を向けられることはなかった。

 ただ、携帯電話は持たず、写真に写るのを嫌っていた。逃亡中の身で健康保険証を持っていないためか、体調管理に人一倍気を遣っていると周囲には映った。バーの店主は、男が散歩する姿をよく見かけた他、毎月足を運んだバーにも新型コロナウイルスの流行後は来なくなったと証言した。コロナ感染を警戒したとみられる。毎日のように通った銭湯では、男がストレッチ器具を使って運動する様子が従業員の印象に残っている。

「すごく軽い」痩せた体

 それでも、男は大病を患った。知人男性は約1年前、がんになったことを告白された。少なくとも1年間の闘病生活を送った末、24年1月には、路上で動けなくなるほど衰弱した。このときは近所の住人によって自宅まで運んでもらったが、直後に入院した。

 「痩せていて、体がすごく軽かった」。近所の住人はそう振り返った。男の部屋は6畳もない広さで、段ボールや鍋が足の踏み場もないほど乱雑に置かれていたという。

 11年末に出頭したオウム真理教の元幹部もまた、組織の支援を受けていなかったとみられる。女性信者の助けで潜伏を続けたが、「東日本大震災で罪のない人が多く亡くなったことに不条理を感じ」て出頭を決意。17年間の逃亡生活に自ら終止符を打った。大々的に報じられた元幹部のニュースに接したとき、男の胸には何が去来したのだろう。

 「事件について後悔している」。男は死期が迫った病床で、公安部の聴取にそんな趣旨の話をした。

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