甘くないという名の日本的美学。初代「甘くないイタリアーノ」に寄せて
コンビニの棚で、そのボトルのデザインが変わったとき、私の中の「甘くないイタリアーノ」は静かにその幕を閉じた。
サントリーのクラフトボス「甘くないイタリアーノ」。発売以来、一度だけ行われたリニューアル。赤い帯が巻かれ「ラテ専用ミルク」という文字が大きく躍るようになったその姿を見て、私は何とも言えない寂しさを覚えた。なぜなら、私があの飲料に惚れ込んでいた理由は、その名に隠された「日本的な奥ゆかしさ」にこそあったからだ。
甘くないと言いながら、甘い
初代の「甘くないイタリアーノ」は、実に不思議な飲み物だった。甘くないと断言しておきながら、実際に口に含んでみると、そこにはほんのりとした確かな甘みが存在していた。
もちろん、砂糖をふんだんに使ったラテのような分かりやすさではない。乳脂肪分の豊かなコクや、微かな糖分がもたらす、喉の奥をなでるような充足感。それは「甘くない」という言葉を信じて手に取った者を、そっと裏切るような優しい甘さだった。
商品名に込められた美学
この「甘くないですけど?」と言いながら甘いという構造は、日本語における「つまらないものですが」という表現に実によく通じている。
つまらないものと謙遜しながら、実際には相手を想い、選び抜いた至極の品を差し出す。言葉では期待値をコントロールし、自分を下げながら、中身で最高の満足を届ける。初代のあの味は、まさにそんな日本文化特有のおもてなしに近いものがあったのだ。
失われた曖昧さの豊かさ
リニューアルによって登場した「赤い帯」のボトルは、以前とは全く別の思想で作られているように感じる。
「ラテ専用ミルク」という文字はあまりに直接的で、そこにはかつての初代が持っていた、名前の付けられないような曖昧な豊かさはない。白黒はっきりしない境界線にこそ宿っていた、あの微かな甘みの美学は、機能性や分かりやすさを優先したデザインの中に埋もれてしまった。
建前と本音の間にあった心地よいギャップ。甘くないふりをして寄り添ってくれるような、あの奥ゆかしいバランスこそが、私たちの心を充足させてくれていたのではないか?
傑作の不在
言葉による否定の裏側に、そっと本音を忍ばせる。あの一本が体現していた日本的な機微は、記号化された現代の棚ではもう居場所がないのかもしれない。
表向きの看板とは裏腹に、実態はほんのり甘い。あの矛盾した調和の中に、私は作り手のプライドと、飲み手の感性を信じる深い配慮を感じていた。
言葉通りの正解で溢れた世界を眺め、私は思う。あの日愛した「甘くないイタリアーノ」は、もうどこにもいない。今、棚に並んでいるのは、私にとってはただの「うまくないイタリアーノ」である。
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