もしも願いが叶うなら、何を願うだろう。
俺の可愛い妹が痛い事も、悲しい事も無縁のまま生きて欲しいって、願うかもしれない。
もしも願いを聞いてくれるなら、何をお願いするかな。
私の大好きなお兄ちゃんが、幸せに生きられますようにって、辛いことは私が代われますようにって願うと思う。
聖杯。
そんな夢幻のような物があるのなら、きっとそれに縋ってしまうんだろう。
こんな地獄の様な世界でも、片割れには幸せになって欲しいから。
昔昔、カルデアの歴史がまだ浅かった頃、数え切れない程多くのサーヴァントと縁を結んだマスターがいた。
このマスターには魔術の素養も知識もなく、ただレイシフトの適性がずば抜けて良いという理由だけで呼ばれた、言わば【穴埋め】だった。
しかし、どういう訳かこのマスターは数多くのサーヴァントに愛された。
だが、そう言われてはいるものの、その真偽を確かめる術もなく、表向きのカルデアの記録には、このマスターの記録がほぼ残されていなかったのだ。
この真偽が定かでない夢物語のような話を一体誰が信じるのでしょう。
そう話し終えた褐色の肌をした女性は、長い巻物をしゅるしゅると閉じた。
まるで意思があるかのように自在に動く巻物は、彼女の能力そのものだった。
公園の片隅で、女性と少女が向き合って地面に敷かれたマットの上に座っている。
「ねーねー、シェヘラザードは本当に魔法とか何とかってあると思う?」
巻物を珍しそうに眺めていたオレンジ色の髪をした少女が尋ねた。
そんな少女は、シェヘラザードが巻物を自在に動かすのは、マジックか何かだと思っている口ぶりだった。
「さて、どうでしょう?」
ふふと笑いながら、シェヘラザードは巻物を持ち上げ、腰のホルダーにしまう。
「ところでさ、いつも言ってるカルデアって何なの?」
少女は首を傾げる。
そんな少女の頬に手を当て、シェヘラザードは優しく笑いかけた。
「カルデアという場所は、いずれ貴女が辿り着くであろう場所です。立香、貴女の幸せを願った人と巡り会うための場所です」
「私の、幸せ?」
立香はむむむと頭を悩ませた。
「私の幸せを願う人がいるの?」
「そうです。誰よりも深く」
「…そっか。誰か分かんないけど、そんな人もいるんだ」
立香ははにかむ。
そんな立香を、シェヘラザードはギュッと抱きしめた。
「ごめんなさい、貴女をこんな目に合わせている。ごめんなさいマスター」
ぽろぽろと零れる涙が、立香の服を濡らす。
「また泣いてる。ほんっとに泣き虫なんだから。それに、またマスターって呼んでる!私は立香だよ」
「そう、でしたね。立香」
シェヘラザードから立香と呼ばれ、少女はうんと頷いてから、ふと空を見上げた。
「あ、もう暗くなってきた。帰らないと怒られちゃう…」
先程まで、満開の桜のような笑みを浮かべていた顔が、どんよりと曇る。
そして、「やだなぁ」と小さく零された。
「立香、また会いましょう」
「うん。また、明日」
立香は立ち上がると、シェヘラザードに手を振り、夕闇の中走り去っていった。
「もう少し…もう少し待ってください。そうすれば、準備が整うのです」
手を振った立香の腕や、スカートから覗く脚にある無数の痣を思い出し、シェヘラザードはまたぽろぽろと涙を流す。
「あぁ、マスターが望んだのはこんな事ではなかったはずなのに」
誰にも聞こえないその呟きは、シェヘラザードの姿と共に暗闇へと消えた。
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「帰るのが遅いんだよ!!!!!!」
「痛っ、ごめん、なさい」
バシッと激しい音が玄関に響き渡る。
「お前は言う事を全く聞かないな。そんなだから貰い手も見つからねぇんだよ!!この金喰いが!」
もう一度、叩く音が響く。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
立香はひたすらに謝った。
謝って、時間が過ぎるのを待つ。
1度抵抗した事もあったけれど、逆上させるだけだった。
それなら、ただじっとして耐えるのが1番早く終わる方法だった。
しかし、今日は違っていた。
「おい、立香。役に立たないお前の為にいい事を思いついたんだ」
「え、な、何」
「お前みたいな悪い子を、代わりにお仕置したいって奴が沢山いてなぁ?さて、お仕置の時間だ。立香」
男は立香の髪をむんずと掴むと、引き摺るように引っ張った。
「や、やめて、やめてよ!!ごめんなさいってば!!」
「うるせぇぞ!!!」
引き摺りながら男は立香に蹴りを入れる。
ぐっと小さく呻く。
しかし、それでも抵抗しなければ、今以上の恐ろしい事が起きるのは明白だった。
「やだやだやだやだやだ!!!!」
泣きじゃくりながら必死に男の手から逃げ出そうともがく。
どうして、私はいつもこんなに不幸なのだろう。
生まれた時から、私はこんなクソみたいな孤児院に棄てられて、毎日毎日叩かれた。
周りの大人達は見て見ぬふりをした。
最近やっと楽しい事が出来たのに。
シェヘラザードにあって、知らない事沢山教えてくれて、【明日】がちょっとだけ楽しみになって。
でも、それも許されないの?
私が望んじゃいけないことなの?
誰でもいい
誰でもいいから
「助けてよぉ」
もう限界だった。
とめどなく溢れる涙で視界が滲む。
「もう死にたい!!!」
立香がそう叫んだ時だった。
「立香ちゃん、だめ。それはダメだ」
ぎゅーっと抱きしめられた。
「え」
「ちょっとだけ、目を閉じてて」
そう言った声は男性で、立香は目を何かに優しく覆われた。
言われた通りに目を閉じていて、暫くすると「もういいよ」という声と共にふわりと身体が浮いた。
「うわっ」
驚いて声を上げる。
立香は、白い服を着た少年に抱き上げられていた。
年齢は立香と同じくらいだろう。
「…こんなに泣いてる。もっと早く来てあげられたら良かったのに。ごめんね」
少年は、袖で立香の目元を拭う。
「あの、誰?」
立香の問に、少年は一瞬驚いたように目を開いたが、すぐに「そうだよね」と言った。
「俺は藤丸。サーヴァントって言って、立香ちゃんを守る為に来た。えっと、分かりやすく言えば…守護霊?は違うか…うーん」
藤丸はなんて言えばいいかなと首を傾げる。
「ふじまる…」
「うん?」
立香が名前を確認するように反芻すると、藤丸は「なぁに?」と嬉しそうに笑った。
その声と顔に一瞬何かが立香の脳裏にチラつく。
しかし、それが何なのかは分からなかった。
「あの、そろそろ降ろして下さい」
「あ、そうだね。はい、足元気をつけて」
藤丸はそっと立香を降ろした。
そして降りてから気が付いたが、先程まで立香を引きずり回していた男の姿が消えていた。
ぐるりと見渡しても、異様な程静かだった。
立香と藤丸以外に物音がしない。
「あの、おじさんは?」
恐る恐る立香は藤丸に問う。
しかし、藤丸はにっこり笑うと「トイレじゃない?」と言った。
それ以上聞くのも良くない気がした立香は、今のうちに逃げる事を決意した。
どのみち、この場所から居なくなったとて、誰も探す人なんて存在しないのだ。
「あの、助けてくれてありがとうございました。どうやってここに入ってきたのかは分からないけど…私、もう行かなきゃ」
立香はぺこりとお辞儀して、藤丸に背を向けて出口に向かおうとしたが、またも抱き上げられてしまった。
「あ、あの!私、ほんとに逃げないと!さっきの見てたでしょ??」
じたじたとするが、藤丸は慣れた手つきでよしよしと立香の背をぽんぽんとする。
「大丈夫、もう怖いのは居ないよ。俺が守るから。大丈夫、大丈夫。」
優しく何度も言われ、本当に大丈夫な気がしてきた立香は、じたばたするのを諦めた。
「うん、いい子。立香ちゃん、今からカルデアって所に行くんだけど…荷物とかある?」
唐突な藤丸の言葉に、聞き慣れた単語があった。
「カルデア…?」
「そう。カルデア!そこに行けば、立香ちゃんに嫌な事をするやつは誰もいない」
「…そう、なんだ」
「あ、えっと…もしかして、嫌だった?…あ、ほら!カルデアはご飯もすっごく美味しいよ!!それにめちゃくちゃ大きな青い狼とか、ティラノサウルスがいたり!あとは…」
立香の反応を、嫌がってると捉えた藤丸は、わたわたとする。
そんな様子に、胸の底で懐かしむ気持ちが湧き上がった。
不思議と初めて会うはずなのに、立香にとって藤丸は全く怖くないし、なんなら好きな方だった。
「カルデアってめちゃくちゃな場所なんですね」
くすくすと笑う立香に、藤丸はホッとしたような表情になる。
「カルデアってね、とても良い場所なんだ。俺達にとっても凄く関わりの深い場所なんだ。きっと好きになる」
綺麗な青い目を優しく細めて藤丸が笑う。
立香は、恋愛とかそんな感情じゃなくて、「好きだなぁ」と思った。
そして、本当に今さっき会ったばかりだけど、藤丸が言うならそうなんだろうと妙に納得してしまうのだ。
「うん!それなら早く行きたい!荷物なんて何にもないし、もうこのまま行こ!カルデアって遠いんでしょ?お小遣い…足りるかな」
そもそも、カルデアを知らない立香は、電車や新幹線、飛行機や船での移動を想像していた。
しかし、その予想は大きく裏切られた。
「あぁ、お金は要らないから大丈夫。レイシフトっていう…まぁ、実際に体験してもらった方が早いかな?ダ・ヴィンチちゃーん!準備出来たよ!」
藤丸がそう言うと、声に反応したように何も無い空間に美少女が浮かび上がった。
「はいはーい。こっちもOKだよ、藤丸くん。これでやっと2人が帰ってくるんだね。長かったなぁ」
「ふふふ、俺も楽しみ!」
「えっと…」
2人の会話に置いていかれた気分になる立香。
それに気が付いた藤丸は、「立香ちゃんのあたらしい家に行くよ」と楽しそうに笑った。
空間に浮かび上がった美少女がカウントダウンを始める。
緊張で心臓が飛び出そうだが、そんな立香を藤丸は宥めるように背中をさする。
その手から「大丈夫」と伝わると、立香の気持ちも幾分か落ち着いた。
美少女のカウントがゼロになると、2人は真っ青な光に包まれた。
目が開けていられないほどの眩しさに、立香は思わずぎゅっと目を瞑る。
だが、すぐにその眩しさは去った。
「藤丸くん、立香ちゃん、おかえり」
「ただいま!ダ・ヴィンチちゃん!」
「?」
立香がそっと目を開けると、先程見た美少女が実際に目の前にいた。
そして、その後ろにシェヘラザードもいる。
「あ、え???シェヘラザード???何で???」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔の立香。
藤丸は、それを見て「あはは」と声を出して笑う。
「立香。いえ、マスター。お帰りをお待ちしておりました。ここがカルデア。貴女の幸せを望む者が居ると、以前話しましたよね?」
シェヘラザードの言葉に、立香は頷く。
「もうお気付きでしょう?」
ね?とにっこり微笑む。
「カルデアには貴女の知らない秘密が沢山あります。それを1つずつ紐解いていきましょう」
シェヘラザードは恭しく礼をすると、部屋から出て行った。
「立香ちゃん」
藤丸に呼ばれ、立香は藤丸を見る。
「覚えてなくてもいい。思い出せなくてもいい。ここなら痛い事も、辛い事もきっと無い。おかえりなさい」
「……」
立香は藤丸をじっと見る。
優しくて、暖かくて、大好きな笑顔。
青くて綺麗な目に、自分の姿が映るのが好きで、いつも瞳を覗き込んでは「立香ちゃん、見すぎ」て、照れたようにそっぽを向くキミ。
……キミ?
「あ、あれ?何で?」
立香のオレンジの瞳からぽろぽろと涙が落ちた。
「哀しくないのに、何で?」
少量だった涙は、次第に増えていく。
どうにも止められなくて、立香は藤丸に抱きついてわんわん泣いた。
哀しくないのに、どうして涙が溢れて止まらないのか分からなかったけど、立香にとって、決して嫌な涙ではなかった。
「ごめん、色々あって混乱したよね!ゆっくりでいいから慣れてくれると嬉しいなーなんて…」
「うん…」
「よし!そうと決まれば、まずは部屋に行こうか」
藤丸は立香の手を引き、部屋を後にする。
振り返れば、「行ってらっしゃい」とダ・ヴィンチが手を振っていた。
マイルームに移動するまでの間に沢山の人とすれ違ったのだが、藤丸は全員を知っているようで、「マスター!やっと来たか!」と、とても親しげだった。
そして立香に対しても、皆口を揃えて「おかえり、マスター」と声を掛けた。
立香は、それに対してどう応えるべきか困惑しながら曖昧に笑う。
けれど、それに対して嫌な顔をする人は誰も居なかった。
その中には、藤丸が言ってた通り、デカすぎる青い狼とティラノサウルスがいて笑ったり、他にもケンタウロスやロボがいたり本当にめちゃくちゃな所だと立香は思う。
そして、やはり脳裏にチラつく何か。
その何かが分かった時、自分はどうなるのだろうかと不安は無いとは言えなかった。
「立香ちゃん」
不意に藤丸が立香を呼ぶ。
「何ですか?」
立香が返事をすると、藤丸は少し迷っているような表情をしてから、少し恥ずかしそうに口を開いた。
「1度でいいんだ。その……」
「うん」
「……【お兄ちゃん】て呼んでくれないかな」
「ふぇ?」
立香は、予想外の言葉に思わず変な返事を返した。
それに藤丸は慌てたように「いい!やっぱり聞かなかったことにして!」と顔の前で両腕でバツを作った。
「いや、そんなに焦ることでは」
「いや、いい。大丈夫。変なこと言ってごめん」
そんな事を言っていると、立香のマイルームに着いた。
藤丸がまずドアの開け方を説明しながら、ドアロックを解除する。
開かれたドアの向こうには必要最低限のベッドと机、そして小さなリボンの着いた箱。
「ここが立香ちゃんの部屋になるから、好きに模様替えとかしてね。あと、あの箱は俺からのプレゼント」
「プレゼント?え、本当に?初めて貰うんだけど!!」
立香はそう言うと、箱を手に取った。
開けてもいいかと藤丸に目で訴えると、藤丸は笑いながら「どうぞ」と促す。
ワクワクしながら開けた中身は、シュシュだった。
「可愛い!!ありがとう!!!」
立香はシュシュを手に取る。
すると、藤丸がそれを取り上げ、立香の髪を結んだ。
「うん、似合う。やっぱりこうだよね」
「髪を結うの上手いんですね」
立香が言えば、藤丸は嬉しそうに目を細めた。
「よく結んであげてたからかも」
「そうなんだ」
シュシュを付けた自分を鏡で見る。
妙にしっくりくる姿に、欠けたパーツが嵌ったように感じられた。
「さて、ちょっと俺は用があるから。あとは好きに過ごしててね。探検してもいいし、疲れたなら眠っててもいいし」
藤丸はそう言って部屋から出ていこうとした。
「あ、ありがとう!えと、お兄ちゃん!!!」
立香が何かお礼をと思って咄嗟に出た言葉だった。
「お兄ちゃん」と呼んで欲しいと言ってたから、そうしただけの話かもしれない。
だが、事の他藤丸には効果覿面だったようで、一瞬だけ嬉しそうで、でも泣きそうな顔をしたような気がした。
そしてそのまま藤丸は出て行った。
「あ、あれ?間違っちゃったかな」
立香は髪に添えられたシュシュに手を当てながら、藤丸の出て行ったドアを見つめるのだった。
▶︎▶︎▶︎𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹
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「みんなぁぁあ!!!」
立香のマイルームから出た藤丸は、早足で食堂へと駆け込む。
「お、おいどうしたマスター??」
食堂は歓迎会の準備でわちゃわちゃしていたのが、藤丸の登場でピタリと止まる。
「聞いて、立香ちゃんが……」
「マスターが……?」
藤丸を見つめるサーヴァント達が、ゴクリと固唾を飲む。
「お兄ちゃんて言゛って゛く゛れ゛た゛ぁぁぁあああ」
うわぁーっと泣き出す藤丸に、サーヴァント達はホッと胸を撫で下ろしつつ、「良かったじゃねぇか!」とぐわんぐわん頭を撫で回した。
「因みになんだがマスター、忘れてるかもしれないが、マスターも歓迎会の主役なんだがね」
「あ」
忘れてたとばかりに、藤丸は目を開いた。
「何年越しの再会だと思っているんですか…ここまで来るのに沢山苦労して…」
よよよ、と泣き真似をされる。
「ご、ごめん。俺の記憶だと、ほんと昨日の事みたいな感じで。サーヴァントになるってこんな感じなんだね」
藤丸の言葉に、微妙な顔をするサーヴァントもいたものの、それ以上にお互い再会出来た事の方が大切な事実で、そこに至る苦労はマスターは知らなくていいと、それが皆の一致した意見だった。
「けれど……その身体の傷痕は消せなかったわ。ごめんなさい、マスター」
サーヴァントは、絶世期の姿で召喚されるものだ。
藤丸のそれは、カルデアで幾つもの特異点を駆け抜けてきた頃が、正にそれだったのだ。
「いや、俺の傷痕は別にいいんだ。男だしお兄ちゃんだから。それよりも妹の身体に傷が残ってなければそれでいい」
藤丸の言葉に、周りのサーヴァント達は、一斉に大きなため息を吐く。
全く…我らのマスター達はどうしてこうもお人好しというかなんと言うか…
藤丸も立香も2人とも同じ事を言うのだ。
「妹が幸せなら」
「お兄ちゃんが幸せに生きられるなら」
と。
お互いがお互いを一番に想うが故の言葉なのだろうけれど、サーヴァント達からすれば、どちらともがとても大切で、幸せになって欲しい対象なのだ。
ちょっと違うが、親の心子知らずというやつだろう。
楽しそうに笑う藤丸を見ながら、これから先のカルデアの賑やかさを遠い日と共に思い出すのだった。
レイシストではなくレイシフト 一文字違うだけで全然違う意味だから気を付けてください