会話

ウクライナ民族主義者とCIAの関係史より CIAによるウクライナ人との作戦は、 1948年、コードネーム「CARTEL」の下で開始され、 まもなく「AERODYNAMIC」へと改称された。 アメリカ側は、ニューヨークに移住して米国市民権を取得したミコラ・レベド(Mykola Lebed)と協働した。 これにより、彼の欧州への作戦上の渡航は容易になった。 CIAの担当官たちは、レベドの「狡猾な性格」、 その「ゲシュタポとの関係および……ゲシュタポでの訓練歴」、 さらに彼が「きわめて冷酷かつ残虐」であることを明確に指摘している。 ステパン・バンデラ(Stepan Bandera)と同様に、レベドは 米国がソ連における民族分離主義を支持せず またロシア人亡命者と協力していることに、常に苛立っていた。 同時に、レベドはCIA長官アレン・ダレス(Allen Dulles)から高く評価されていた。 「AERODYNAMIC(エアロダイナミック)」作戦の第一段階には、 CIAの訓練を受けたウクライナ人工作員のウクライナへの潜入が含まれていた。1950年1月までに、CIAはウクライナ国内の「よく確立され、厳重に秘匿された地下運動」との接触を確立している。 それは「従来の報告を上回る規模と成熟度」を備えていた。ワシントンは、特にウクライナ蜂起軍(UPA:Ukrainian Insurgent Army)の高い組織水準と、今後のパルチザン活動の潜在力、さらに同組織が旧ポーランド領およびギリシャ・カトリック地域から東方へと、ソビエト権力に対する積極的抵抗を拡大し得る能力を有しているとの報告に、明確に満足している。 1953年以降、CIAの後援のもとニューヨークに設立されたレベド率いるウクライナ研究グループが、「AERODYNAMIC」作戦に加わった。このグループは、ウクライナの文献および歴史資料を収集し、ウクライナ国内での配布を目的として、ウクライナ民族主義系の新聞、会報、ラジオ番組、書籍を刊行した。 1956年、このグループは非営利団体「プロローグ研究出版協会(Prolog Research and Publishing Association)」として正式に登録された。 これにより、CIAは架空の民間寄付を装って当該NGOに資金を供与することが可能となり、税務上の痕跡は残らない。 Source:『ヒトラーの影――ナチ戦犯、米国諜報機関、そして冷戦』 リチャード・ブライトマン(Richard Breitman)/ ノーマン・J・W・ゴダ(Norman J. W. Goda)
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