永訣の朝【セネアイ】
セネアイ暁ペアエンド後捏造、特殊回想バレを含みます。ハッピーな話ではないのでご注意ください。
CP色はうすめです。
1回目のあおあけ祭にて展示していたものの再録です。
アイクさんが守った世界で、すくわれた魂を大切に生きていくセネリオが見たかった。
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大切な人がこの世を旅立った。
勉強して勉強して研究して胼胝のできた僕の手のひらは、こぼれる生命の砂をとどめておくことはできなかった。あの戦争のあと、彼と僕は長いあいだ大陸中を共に旅して、戦火も届かず戦があったことすら知らないような僻地まで巡って、やがてガリアのはずれの小さな村に小屋を借りた。その頃には戦場を駆け抜けて満ち満ちていた面影はすっかり落ち着いて、皺も増えて、動作だっていくらかゆっくりになっていた。脚が痛むと言うようになったので医者にかかると、もうすでにあちこちにガタがきているらしかった。わかりきっていたことだった。あの激戦は身体も中身もおそらく他人の倍は酷使していた。それが彼自身の生命力によって維持されていただけであって、衰えれば露呈するのは当然だった。むしろ、旅の途中で倒れなくてよかったと医者は噛み締めながら言った。この医者はデインで賢者としてあの戦場に立ったことがあるという。末端の隊にも彼の名は轟いていたらしかった。病は杖では治せない。僕は無力だった。同時に、そばにいることを改めて強く誓った。昔は彼の隣に立つに足る存在であるか不安になったりもしたけれど、今の僕からすれば昔の僕を魔道書の錆にしてやりたい。彼は僕を必要としていたからそばに置いた――という言い方もいささか異なる。我慢しなければならない相手に耐える性格ではないことなど僕が一番よく知っていた。つまりは僕の独りよがりではなかったということだ。それがわかると、共に過ごす日が増えていくごとに彼のことがもっともっと愛おしくなった。僕らの家とも呼べるような物理的な場所ができてから、僕は方々に手紙を書いた。何十年も前の、姫に伴って始まったあの旅の一年を取り戻すように夜も早くに眠ることが多くなって、その寝息を気にかけながら、手燭を灯すこともなく月の下で手紙を書いた。未だ美しいデインの女王へ、栄光を取り戻した王国へ、この小屋のある地を統べる豪胆な獅子の王へ、空を駆ける翼の王へ、彼の妹夫婦が仲睦まじく暮らす傭兵団のあの家へ、手紙のやり取りはあっても誰かが尋ねてくることは少なかった。戦の終わりを見届けて旅立った彼の心中を皆わかっていたのかもしれない。魔道や剣の腕を学ぼうと時折訪ねてくる子どもたちに教える代わりの少しのお金で、僕たちは穏やかに過ごして、いつしか彼の教室は閉じてしまったが、その点は長らく僕が財布を持っていたので、心配いらないなとあっけらかんと笑うのにつられて、僕も笑った。近所で気にかけてくれる人たちは、目に見えて終わりの歳の差が開いていく僕たちの姿を見ても揶揄することはなかった。気付かないうちに、あたりはすっかり彼が護った世界になっていたのだった。その日の朝はとても空気が澄んでいた。夜のうちに降った雨が全てを洗い流していた。日の出前には彼も僕も同じ床で目が覚める。持ちうる中でいちばんやわらかい布を、雨が降る前に汲んでいた水で濡らして体を拭う。手桶の中は底をつきそうだった。夜半に発熱したのを看病したときにおおかた使ってしまったのだった。今触れた肌はいつもの彼の体温に戻っていて安心した。しかし茶を入れるのに外の井戸へ汲みにいかなければならない。小屋の戸を開けると、昇りかけた朝日が暖かかった。「すぐに戻りますから、体を冷やさないようにしていてください」「セネリオ」戸口に手をかけたところで寝台の中から呼ばれた。以前のような覇気はないが、変わらず僕の耳にいちばんよく届く、いちばん好きな声で。
「ありがとう」
僕はあれだけあなたのあとを追ったのに、彼はあとを追うなとは言わなかった。代わりに、生きろとも言わなかった。彼は守った世界のそのあとを僕に託さなかった。僕のことも、世界のことも信じていた。僕は自分の意思で生きた。震えた字と涙で滲んだ手紙は何度も何度も書き直したけれど、何度も何度も同じ結果になったので、最後は諦めてしわのついた便箋のまま方々へ送った。返事と一緒に返ってきた花を見て、僕はまた泣いた。花びらと雨が同時に降ってきて、彼もきっと驚いているに違いなかった。そっと肩を抱くぬくもりはもうないのに、彼の安らぎを想えば、枯れるほどにとめどなく溢れてしまう。泣き腫らした目のまま一人でまた旅に出る気は起きなくて、近くの教会の手伝いと教師の真似事のようなことをして、少し小屋を離れることがあっても、それでも、あんなに避けていたガリアの端に戻っては墓守のようなことをした。終ぞ僕は彼の背を越せなかったし、彼の大きな手は僕の手ですべてを包むことはできなかった。一人で暮らしているはずなのに、ひとりの小屋はなぜかあたたかかった。やがて手紙へ宛てる名も無くなった。
うたた寝をしていたらしかった。月を灯りに手紙を書いた窓辺に、あの日と同じく東から真っ直ぐに光が注いでいる。朝日に追いやられてどろりと垂れた雨雲の名残が、窓硝子を濡らしているのを見てようやく、反射した僕の顔にしわが一つ増えているのに気がついた。