怒りや我慢に振り回されない生き方
こんなふうに感じたことはありませんか。
周りに合わせて、
空気を読んで、
その場がうまくいくように振る舞う。
本当は少し違和感があっても、
大丈夫と言ってしまう。
本当は言いたかったことを飲み込んでいる。
その瞬間はやり過ごせても、
あとから
胸の奥が重くなったり、
理由のわからない疲れが残ったりする。
もしかしたらそれは、
怒りや違和感を
自分の中にしまい続けてきたサイン
なのかもしれません。
気づけば、
自分の人生を生きている感覚が、
どこか遠くにあるように感じている。
私も、ずっとそうでした。
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自分の人生が遠くなるとき
振り返ると、
私の人生には
ひとつの共通点があったように思います。
それは、
いつも、自分が最後だったこと。
本当は疲れているのに、合わせる。
違和感があっても、気づかないふりをする。
嫌だと思っても、大丈夫と言ってしまう。
その場では何も起きないけれど、
あとから
言えなかった気持ちが残っていたり、
理由のわからない疲れが残っていたりしました。
気づけばいつも、
自分の気持ちを後ろに下げていたんです。
でもそれは、
自分を大切にしていなかったわけではなくて、
そうしなければ、
関係を守れないと感じていたから。
自分を後ろに下げてきた理由
怒りが理不尽に返ってくる場所で、
声を出すことは、
少し危険なことでした。
違和感があっても、
なかったことにする。
気づかないふりをする。
そうやって私は、
自分を守ってきました。
自分が分からないと感じるとき、
私たちは
本当の気持ちがないのではなく、
感じないようにしてきたことが多いのです。
なぜなら、
本当の気持ちに触れると、
その奥にある
悲しさや、寂しさにも
触れてしまうから。
だから私たちは、
無意識に
感じないことを選びます。
それは弱さではなく、
自分を守るための自然な反応です。
それは、
自分を見失っている状態ではなく、
これまでの中で
自分を守るために必要だった在り方
だったとも言えます。
本当にわからないのでしょうか。
それとも、
わかってしまうと困る何かが
あったのでしょうか?
もしかしたら、
寂しかったのかもしれない。
本当は、嫌だったのかもしれない。
でもそれを感じとることは、
あの頃の自分にとっては
少し、苦しすぎたのだと思います。
わからなくなっているのではなく、
そうすることで守ってきた自分がいる。
そう捉えることもできるのです。
自分より外側を優先することは、
あの頃の私にできる、
精一杯の選択だったのだと思います。
「二つの私」はどちらも大切だった
ひとりは、
耐えて、合わせて、
波を立てないようにしてきた私。
周りとうまくやるために、
関係が壊れないように、
静かに自分を後ろに下げてきた私。
もうひとりは、
心の奥で、
ずっと何かを伝え続けていた私。
私ばかりが我慢するのは違う
本当は納得していない
私は、私の人生を生きたい
そうやって、小さな声で
何度も知らせてくれていた私。
この二つは、
対立していたのわけでは
なかったのかもしれません。
どちらも、
私を守ろうとしていた。
私を、生かそうとしていた。
どちらかを否定する必要はなくて、
本当は、どちらの私も大切にしてよかったのだと思います。
NOは、結果だった
NOは、
勇気で言うものだと
思っていました。
でも、
準備が整っていないときに、
無理に言おうとすると、
体がぎゅっと固まったり、
言葉が出てこなかったり、
強く抵抗する感覚がありました。
それは、
弱さではなく、
何かを守ろうとしている反応だったのだと思います。
これまでの私は、
NOを言えるようにならなければ
と思っていました。
言えない自分は、まだ足りない
もっと強くならなければいけない
そんなふうに感じていたのかもしれません。
でも今は、
少し違うふうに感じています。
NOは、
無理にひねり出すものではなくて、
自分の感覚が整ったときに
自然と出てくるものだったのかもしれません。
だから、
NOは、
目標ではなく、結果。
自分を守ろうとしていた体の反応も、
本当はずっと、間違っていなかったのだと思います。
自分を置き去りにしないということ
自分を置き去りにしない、ということは、
劇的な変わることではありません。
それは、
とても静かで、小さな変化です。
苦しいのに、笑わない。
無理なのに、「大丈夫」と言わない。
違和感を、なかったことにしない。
私は私でいい。
違っても大丈夫。
それを、
誰かに見せる必要はなくて、
声に出さなくてもよくて、
ただ、自分の中でやめていく。
外側を変えることよりも、
自分の内側に、そっと戻っていく。
言うか言わないかではなくて、
自分の感覚を、無視しないこと。
誰かと話していて、
ちょっと違うなと感じたとき、
気づかないふりをして合わせるのではなく、
違和感を感じている自分に気づいていること。
それだけで、
自分が、ちゃんとそこにいる状態になります。
自分のままで関わるというのは、
何かを主張することではなくて、
自分を消さないこと。
相手に認めてもらう生き方から、
自分で自分を認める生き方へ。
その変化は、
とても静かに、でも確かに起きていきます。
防御しなくてもいい状態が生まれるとき
境界線は、
行動ではなく、
関係性だったのかもしれません。
それは、
自分との関係。
子どもの頃、
泣くと、
置いていかれるような気がしていました。
嫌だと言うと、
つながりが切れてしまうように感じていました。
だから私は、
本音を閉じる方を選びました。
感じないようにすることで、
関係を守ろうとしていたのだと思います。
それは、
間違いではなかったのだと思います。
あのときの私にとっては、
それが一番安心できる方法だったのだと思います。
戻れる場所
でも今は、
自分の中に、少し戻れる場所ができてきました。
ちゃんとしなくていい。
間違ってもいい。
そう思えたとき、
もう頑張らなくていいのかもしれないと、
少しだけ力が抜けました。
自分を下げてまで、
分かってもらわなくていい。
楽になるのは、
ちゃんと自分に戻れているサイン。
以前は、
外の世界の中に安心を探していたけれど、
今は、自分の内側に
少しづつ安心があるように感じています。
怒りは、
小さな違和感を無視し続けた
その積み重ねだったのかもしれません。
でも、
違和感に気づけるようになると、
怒りになる前に、立ち止まれる。
大きく変わらなくても、
こうして少しづつ戻っていけるのだと思います。
人生に戻るということ
NOは、
自分を強くするための言葉ではありません。
自分を取り戻す言葉。
人生に戻るということは、
声を荒げることでも、
戦うことでも、
誰かを変えることでもなくて、
自分を守るために相手に合わせながらも、
どこにいても自分を見失わない状態。
それは、
自分の感覚を、
自分が信じてあげられている状態
なのかもしれません。
正しさよりも、
自分の感覚を大切にしていい。
そう思えたとき、
人生は静かに戻り始めるのだと思います。
「自分を大切にする選択」で、世界はやさしく整う
自分を大切にするとは、
自分の感じていることを、なかったことにしないこと。
私はこれでいいと、自分に許可を出してあげること。
自分の感覚に合わせる生き方を選べると、
静かな安心感が、内側にある状態になっていきます。
無理に合わせなくても、関係が続く。
気を使いすぎなくても、安心していられる。
自分のままでいられる人と、つながれるようになる。
以前の私は、
相手の反応や、
周りからの評価で、
外側で安心を作ろうとしていました。
でも今は、
私はこれでいいが、自分の中にあります。
イライラしても、
悔しいと感じても、
長く引きずらなくなりました。
嫌だったなで終われるようになったんです。
人との関係も、
無理に変えようとしなくても、
少しずつ、自然に整っていきました。
それは、
どこか不思議で、
でもとても自然な変化でした。
少しずつで大丈夫。
やりたいと感じる方へ動く。
軽いと感じる方を選ぶ。
小さなワクワクを、広げていく。
その感覚を信じていくと、
人生は少しずつ変わっていきます。
相手に分かってもらえなくても、
自分の価値は変わりません。
自分の味方になること。
それが、
自分を大切にするということ。
私は心地いい?
その問いに、正直に答えていくと、
人生はちゃんと動き始めます。
静かに。
でも、確かに。
もし今、少しでもこの感覚に戻りたいと感じたら、
その気持ちを大切にしてあげてください。
この連載を読んでくださったあなたへ
もし今、
怒りを感じる自分を、
少し怖いと感じていたとしても。
その奥には、
これまでずっと守ってきたた想いが
あるのかもしれません。
怒りは、
あなたを壊すものではなく、
あなたを人生に戻す力。
ここから先は、
変わることよりも、
戻っていく時間です。
自分の感覚へ。
自分の呼吸へ。
自分の場所へ。
ひとりで戻るのが難しいときは、
誰かと一緒でも大丈夫です。
最後に|人生は自分に戻るところから動き始める
人生は、
やり直すものでも、
取り戻すものでもなくて、
ただ、自分に戻っていくものなのかもしれません。
どれだけ遠くまで来たように感じても、
どれだけ長く我慢してきたとしても、
気づいたときに、少し戻る。
それだけで、
また、静かに動き始めます。
そんなふうに、感じています。
完璧にできなくてもいい。
また我慢してしまってもいい。
それでも、
気づいたときに、自分の方へ戻る。
すぐに見つからなくても大丈夫です。
自分がわからないと感じるその感覚も、
これまでのあなたが大切にしてきたものの一部です。
無理に見つけようとしなくても、
少しづつ、自分に戻っていくことはできます。
この連載がのどこかで、
もし少しでも
自分の感覚に戻れたとしたら、
それはもう、十分すぎる変化です。
もしかするとあなたは、
もうすでに、少しだけ自分に戻り始めているのかもしれません。
🍀この連載について
この連載では、
我慢してきた人生から
自分に戻るプロセスを、
順番にお話ししてきました。
もしよければ、
最初の回から読むことで、
より深く感じていただけると思います。
▶︎はじめから読む(第1回はこちら)
🍀もし今、こんな感覚があるなら
何かずっと引っかかっている
本当はどうしたいのかわからない
我慢している感覚がある
もし、そんな感覚が少しでもあるなら、
それは、変わるタイミングというより
戻るタイミングなのかもしれません🍀
この連載で書いてきたことは、
特別な人にだけ起きることではありません。
わたしが行っているマンダラコーチングでは、
こうしたプロセスを
一緒にゆっくりたどっていきます。
無理に変わる必要はありません。
ただ、
自分の感覚に戻る時間です。
うまく話そうとしなくて大丈夫。
まとまっていなくても大丈夫。
そのままの状態でいていただいて大丈夫です☺️
▶︎体験セッションはこちら