ビターとスイートはんぶんこ
カラスバさんが好きすぎて猛アタックするセイカちゃんと、
本当は好きなくせに断り続けているカラスバさんが、両片思いから恋人になるまでのお話です。
カナリィの配信に呼ばれたセイカちゃんを、実は見てしまっていたカラスバさん。
そしてミアレの街中で——思いきり愛を叫びます。
⸻
自分のいないところで、好きな子が自分のことを話してくれていたら。
……嬉しくならない人、いないですよね。
バレンタインのために書いたハッピーエンドです。
ぜひご覧ください♡
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「カラスバさんっ、そろそろ私と付き合って?」
「なんべん言わすねん。だめや言うてるやろ」
そんなお決まりのやり取りで、今日もミアレシティで過ごす一日が始まる。
セイカの定位置は、サビ組のオフィスにあるカラスバの椅子……ではなく、その肘掛けの横だ。
膝を抱えてしゃがみ込み、上目遣いで意中の彼を見上げる。
「ねぇ……なんでだめなの? カラスバさんも私の事、好きですよね?」
「なんでそうなんねん……」
「だって、諦めへんとか、心許せるとか、普通好きな子にしか言わないですよ。あんなの告白じゃないですか」
セイカは納得がいかないといった様子で少しだけ首を傾げた。
挑発じゃない。疑う気もない。心からそう思ってる。痛いほどまっすぐな声だ。
「……言葉尻つかまえるな」
「え、違います?」
「ちゃう……」
即答のはずなのに、最後の音だけがほんの少し濁る。
カラスバは書類に視線を落とした。インクの匂いが、やけに濃く感じる。
2人の間を隔てている肘掛けは、まるで境界線のように微動だにしない。
「嫌なら突き放してくれたら、諦めもつくのに」
「……そんな事したら、ミアレになんかあった時協力しあえんやろ。だからこのままでええねん」
「ミアレのため……かぁ。でも今私は、カラスバさんがいるからミアレに留まってるだけなんだけどなぁ……」
「……は?じゃあ出てってまうんか?オマエ」
「もちろんMZ団も大切だから、ちゃんと話し合いますけど、カラスバさんにフラれたら、そうするかもしれません」
カラスバの目にほんの少し動揺が走ったのを確認して、セイカはくすっと笑った。その笑い方が、こんな話をした後なのにやけに軽い。
彼女はそう簡単に引き下がるような女の子じゃないのだ。カラスバもそれはわかっている。
「じゃあ、また来ますね」
「……ああ」
立ち上がると、軽く手を振って扉へ向かう。
足音は小さいのに、近づいてくるときと同じくらい、妙に耳に残った。
エレベーターの扉が閉まると、密閉されたような静けさが落ちて、空調の送風音だけが、急に大きくなった気がした。
「……なんやねん、あいつ」
吐き捨てるように言って、カラスバは椅子に深く背を預けた。
肘掛けの横――さっきまで彼女がいた場所に、視線が落ちたまま動かない。
そこだけ温度が残っているみたいで、それを感じ取ってしまう自分に腹が立った。
「もう、応えて差し上げてもよろしいのではないでしょうか……」
少し間を置いて、ジプソが口を開く。
いつも通りの抑えた声が、今はやけに整いすぎて聞こえた。カラスバは、ジプソが何の事を言っているのかなんてすぐにわかった。セイカの気持ちに応えてやれば良い……ただそれだけの事だ。
「うるさい」
「否定はされないのですね」
「……」
気を逸らすように机の上の書類に手を伸ばす。紙が擦れる音がして、指先は一枚めくったところで止まった。ペンの重さだけが掌に残る。
下っ端の一人が、そっと唾を飲む気配がした。
空気が薄く張って怒鳴られなくても分かる、そんな圧。
「……なあ」
「は、はい」
「セイカのやつ、毎日毎日飽きもせずよお来るよな」
「え、ええ。そうっすね」
「ほんま物好きなやつやわ。男の趣味悪すぎやろ」
下っ端は慌てて笑い、すぐ言い直した。
「……いや、その。俺はそうは思わないっす。セイカさん、楽しそうっすよね。ボスの前だといつも……」
カラスバと下っ端のやり取りを静観していたジプソが、小さく息をついた。
「カラスバ様、これはあくまで私を含めた組員全員の総意ですが……お聞き願えますか」
「……何や」
「皆思っております。早くセイカさんとお付き合いされれば良いのにと」
カラスバは返事をしなかった。
代わりに、机に置いた拳を一度だけゆっくり握り直し、関節が小さく鳴った。
「示しがつかんやろ」
低い声が落ちる。
「お前らが体張ってる横で、オレが色恋にうつつ抜かすわけにはいかんねん」
「ですが」
ジプソは言葉を選びながら続けた。
「セイカさんがいらっしゃると、ボスの機嫌が良くなって私共は嬉しいです」
ジプソの表情からして、その言葉は嫌味でも裏があるものでもない。口から当たり前に溢れた、ただの本音だ。
――沈黙の後、コーヒーの冷めた匂いが、ふっと鼻についた。
「……もうええ」
短く言って、話を切る。
「次の段取り、確認するで」
声は落ち着いている。いつもの、ボスの声だ。
けれどセイカがいない部屋の空気は、薄く重いままだった。ジプソはやれやれと言った様子で、デスクの上に置いてある書類の一部に手を伸ばす。
本当はサビ組の皆がわかっている。
カラスバがセイカにとっくに夢中な事も、だからと言ってサビ組の仕事に対して手抜きなんてしない事も。怖いくらいのボスとしての覚悟も。
だからこそ人並みの幸せを得る権利がこの人にはあると皆が思っている。
けれど1番厄介なのは、その生真面目すぎる性格を持ち合わせていた、カラスバ本人だった。
♢
セイカはテーブルの上に、いくつかの箱を並べていた。赤、ブラウン、金の縁取り。ハート型のものや手のひらに収まるサイズまで、その種類は幅広い。
お店で選びきれず、困った果てに買ってきてしまったバレンタイン用のラッピングたちだ。
「……多すぎるよね」
独り言のつもりだったのに、声にした途端、ますます可笑しくなる。
きっとお店の人は、迷いに迷うセイカを微笑ましく見ていたに違いない。
セイカは箱をひとつ手に取って、蓋を開けたり閉めたりした。
中身がまだ入っていないのに、胸だけが少しだけ忙しい。
リボンを当ててみて、首を傾げる。
少し太い。ほどいて、今度は細いものに替えてみる。
「……うん。こっちはどうかな」
チョコレートの材料は、すでに揃えてある。
甘い匂いが漂う前の、まだ何も始まっていないホテルZのキッチンは静かだ。
(重すぎない方がいいよね。でも、ちゃんと“本命”って分かるやつ)
頭の中で何度も想像する。
渡す瞬間。受け取る手。照れたような、困ったような顔。そこになんて言葉を添えようか。
浮かぶのは大好きな人……カラスバさんだけ。
欲を言えば答えが欲しい。
離れないけどくっつけない……このもどかしい距離感は、いくら強気なセイカでもあまりに続くと切ないものだ。
「バレンタインの力で、何とかならないかな……」
その時ポケットが震えて、スマホロトムが宙に浮かんだ。
「……あ」
通話に出る前に、セイカはもう一度だけ、箱を見下ろした。それから、指で画面をなぞって会話を始める。
「もしもし?うん、どうしたの?」
そこにはいつもの明るくて強い、人助けが大好きなセイカがいた。
♢
午前中のサビ組は、いつも通り忙しい。
書類の束、電話の応対、指示を飛ばされ足早に行き交う下っ端たち。
いつも通りの風景の中、ただ一つ違う事があった。
朝から、セイカが来ていない。
「……」
カラスバは椅子に座ったまま、何度目か分からない時計を見た。針の音が、やけに耳につく。
いつもの椅子に腰掛けているのに、革靴のつま先からコツコツと無意味な音を発して落ち着かない。
「ボス、次の件ですが――」
「ああ……それは後でええわ」
声は低くて短い。
それだけで、周囲の空気が一段張り詰める。
下っ端同士が、目だけで会話を交わす。
ボスの機嫌が悪い。理由なんて、サビ組の人間なら全員がわかった。
カラスバの機嫌を逆撫でしないようにと、自分の持ち場へテキパキと散っていく。
その時、その中の1人のスマホロトムから思わぬ音声が大音量で響いた。
『DG4!』
聞き覚えのある、明るく弾んだ掛け声。
「あっ、すんません!!」
慌てて下っ端がロトムに手を伸ばし、仕舞おうとして動きが止まる。視線は画面の中。
カラフルなぬいぐるみやグッズが、所狭しと並ぶ背景。
その前には照明に照らされた笑顔のカナリィ。
そして――その隣。
「……え?」
下っ端が小さく声を漏らした。
「……セイカさん?」
カラスバの耳がぴくりと動いて、次の瞬間その空気を裂くように声が飛ぶ。
「何やっとんねん、自分の仕事ちゃんとせえ!」
反射的に、下っ端たちがそそくさと動く。
「ジプソ」
「はい」
「次の段取り、現場で先に行って詰めといてくれ」
「承知しました」
全員が指示通り散っていき、オフィスに残ったのは、カラスバ一人。その静けさを確かめるように、小さく息を吐く。胸の奥がざわついて落ち着かない。
「……」
ゆっくりと椅子に座り直し、自分のノートパソコンを開く。キーボードをカタカタと弾く音が響き、配信ページを探す指が少しだけ早い。
画面が切り替わり、そこに映る二人。
セイカは、少しよそ行きの顔で笑っていた。
「……何してんねんこの子は」
誰にも聞こえない声で、そう呟く。
――けれど。
再生を止める指は、動こうとしなかった。
明るい掛け声と同時に、画面が切り替わる。
普段はゲーム配信以外のファンサは、こっそりと祖父のタラゴンに任せているカナリィが、今日はやけに饒舌だ。セイカはその横で少し肩の力を抜いて笑っていた。
「カナ友どもー!今日は特別ゲストを呼んでるよっ!ミアレの英雄、セイカ!いやーこれは再生回数稼げそうだねぇ」
「そんな……英雄は言いすぎだよ」
照れたように言いながらも表情は自然だ。
いつもの“前線で戦う顔”じゃない。
友達の隣にいる時の、素の空気。そこにいるセイカは、ただの女の子の顔をしている。
「セイカにわざわざ来てもらったのはね、今日は珍しくゲーム配信をお休みして、気楽にトークしたかったからなんだっ」
「えへへ、そこで私に声がかかるのは嬉しいな〜。それで?今日は何を話すの?」
「話が早いねー!ずばり今日のトークテーマはこれ!」
カナリィがマウスを滑らせ、テンポよく配信画面にテロップが表示された。
「じゃーん!バレンタイン直前特別企画!ミアレの英雄セイカちゃんに、リアルな恋模様聞いてみた♡」
カラスバは瞬きを忘れ固まった。
肘掛けの横でしゃがみ込み、こちらを上目遣いで見つめてくるセイカが思い浮かぶ。
彼女の言動が本物なら、好きな相手は自分自身のはずだと、カラスバは思考を巡らせる。
いくらセイカでも、サビ組のボスである自身の事は話さない……そう信じたい。
けれどどこかで、自分の事を話すかもという淡い期待に襲われ、その矛盾に戸惑った。
「まず確認したいんだけど、好きな人はいるの?」
「うん。いるよ」
驚くくらいの即答。その瞬間、配信画面の隅にあるコメント欄がものすごい勢いで流れ出した。
『え???????』
『いるの!?!?』
『セイカちゃん今日もかわいい』
『え、ちょっと待って泣いた』
『カナリィ…♡』
『誰だ誰だ誰だ』
『推しが恋してる世界線、最高』
「こらー!!カナ友ども!ボクのゲーム配信の時よりコメント欄をざわつかせるとは何事だー!!」
「あははっ!皆なんで私の恋愛に興味あるんだろ?」
「そりゃそうでしょー!ミアレでセイカを知らない人はいないし!おまけに強くて可愛いんだから、ファンも多いんだよ?」
「ファン?私に?こーんなに普通なのになんでだろうねー?」
「いやそういうとこ!ちょっとは自覚しろし!」
(珍しくカナリィと同意や。自覚して欲しいわほんまに)
小さくため息をついて、視線を画面に戻す。
まるでカフェで友達と話しているようにテンポよく軽快に進むトークに、視聴者数もぐんぐんと上がっていく。
普段トークをあまりしないカナリィが、楽しげに話す姿は、古参ファンにも好評のようだ。素のカナリィの魅力を引き出せて、その親しみやすさと可愛さのおかげで数字もシビルドンのぼり……セイカはまさに適任だった。
「その人とはイイ感じなの?」
「んー?どうだろ……嫌われてはなさそうなんだけど、応えてもくれない…かな。私は付き合ってって言ってるんだけど」
「そんな贅沢なヤツが存在するのか〜」
セイカはそれでも楽しそうに続ける。
「私と付き合ったら、絶対楽しいと思うんだよね」
「いいねその自信!どんな所が?」
「えっとね、ミアレガレット半分こしたり……」
「……ポロポロこぼしそうだな。一個ずつ食べろし」
「お互いの呼び方決めてみたり?」
「呼び方?」
「そ。あだ名みたいな?〇〇君とか……2人の時だけそう呼ぶの。幸せじゃない?」
「……よくわかんないけど楽しそうだね」
「私と付き合ってくれたら、絶対後悔させないって、自信あるんだけどな……」
カラスバは、画面に映るセイカから目が離せなかった。
視聴者に向けた軽い冗談も笑い声も、どれも眩しい。
けれど、その眩しさの中心に自分がいると思ってしまう。ヤキモチみたいな痛みと、「選ばれている」という優越感が、同じ場所で脈を打った。
「それで、もうすぐバレンタインだけど準備してんの?」
「うん!もちろん!」
「やっぱり手作り?」
「ふふっ、うん!」
視聴者のコメントがまた一気に流れる。
さながら文字の洪水。冷やかしと、期待と、歓声で溢れかえる。
『手作りきたーーーー』
『え、尊い…むり…』
『セイカちゃんの手作りとか相手羨ましすぎ』
『俺は前世でどんな徳を積めばよかったんだ……』
『誰なんだよォォォ』
『相手の命が危ない(幸せで)』
視聴者の悲痛な叫びがこだまする。自然とカナリィと視聴者が次に聞きたい事は、その1点に絞られていった。
「ちなみにそのお相手は?」
カラスバの心臓が、どくんと跳ねる。
「それはさすがに内緒」
「だよねぇ〜……でもミアレの人なんでしょ?」
「うん!」
セイカは少し考えてから、楽しそうに続ける。
「すごく真面目で、優しくて……たまに面白くて」
「ほう」
「責任感が強くて、部下の人達にも慕われてて」
「ほうほう」
「ミアレを守るために……組織をまとめながら、汚れ役っていうのかな?それを進んでやろうとしてて…」
「ほ……う?」
「自分の事よりも、周りの人の事ばっかり考えちゃう人」
「セイカ……まって?それってさ?」
その瞬間、コメント欄がざわつき始めた。
それでも溢れ出したセイカの想いは止まらず、口からするすると言葉が滑っていく。
「……でね?話し方が特徴的で、落ち着いた声なの。ダメな事には怖いくらい怒ってくれて……最後にはちゃんと励まして前を向かせてくれる」
セイカは眉尻を下げ、赤く染まった頬でテレながら笑う。
「街の人には怖がられやすいんだけど、本当はすっごくすっごく優しい。その人の事……大好きなんだ、私」
名前は出していない。
けれど――
誰の事を言っているか、ミアレで分からない人はいなかった。
『地元だけど “あの人” しか浮かばん』
『え、カ…から始まる名前の……ボス……?』
『本人見てたらどうすんのwww』
『カナリィ止めてあげてwwww』
『これもう公認では?』
コメント欄の騒がしさとは裏腹に、カラスバの周りだけが、妙に静かだった。
画面に映るセイカは、知らない顔をしていた。知らないはずなのに、全部知っている気もした。
「……あほか」
カラスバは、ノートパソコンの画面に向かって低く呟く。彼の眉も口元も歪みっぱなしで、体も熱い。
自分のいない場所で。
自分の名前を伏せて。
それでも、誤魔化しきれないくらい真っ直ぐに、好きな女の子から同じように好きだと言われている。
(……こんなもん、嬉しいに決まっとるやろ)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
逃げる理由が、音を立てて崩れていく。
自分がいない所とはいえ、こんなにもありったけの気持ちをぶつけられれば、距離を保つ理由なんて、もう形を保てなかった。
――嬉しい。
その感情を認めた瞬間、胸の奥が情けないほど簡単に満たされていく。
同時に、画面の向こうで笑う彼女を、知らない誰かに見せている事が悔しかった。
(……何やねん、これ)
嫉妬みたいな痛みと、「それでも自分が選ばれている」という確信が、彼の心に変化をもたらした。
逃げたいのに、目を逸らせない。
カラスバは、息を吐くように小さく呟いた。
「……もうええか」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
けれど決めた瞬間、胸のざわつきだけが、静かに落ち着いていく。
――コメント欄は、セイカの幸せを望む言葉達で溢れかえっていた。
♢
チョコレートが溶ける、やさしい音。
湯せんの鍋から立ちのぼる甘い匂いが、キッチンに広がっていた。
セイカはエプロン姿のまま、木べらをゆっくり動かす。湯せんの熱で角がほどけたチョコレートは、ゆっくりと流れを変えながら艶を増していく。木べらを持ち上げるたび、濃い茶色がとろりと糸を引いて、表面が鏡みたいに光った。
先日の配信の事を思い出しては、頬が勝手に緩んだ。
(……言いすぎたかな)
カラスバがあの配信を見ていたかはわからない。
でももし見ていたらと思うと、頬が熱くなる。
あれはセイカの本音を晒したようなものだった。
(でも……後悔はしていない)
ビターを冷やしてまとめ、次はミルクチョコの甘い方。
指先で形を整える手元は、少しだけ慎重になる。
(だって、好きなんだもん)
次はどうする?
明日またオフィスに行って、チョコを渡して、いつも通りまた「付き合って」って言って――
そんな事を考えていた時だった。
スマホロトムが、着信音と共にポケットから飛び出した。
「……え?」
画面に表示された名前に、セイカは一瞬固まった。
「カ……カラスバさん?」
思わず木べらを置いて、慌てて手を拭く。
心臓が、急に忙しくなった。
(え?なんでカラスバさんから?)
カラスバから連絡が入るのは、ガイの借金問題の時以来なかった。セイカが彼に好意を向けている事に気がつき、明確な線引きのような形で連絡は途絶えた。
それにセイカ本人も気が付いていただけに、この着信に驚きを隠せない。
そのため通話を取る指が、少し震える。
「も、もしもし……?」
『今、大丈夫か』
先日配信で好きだと語った、彼の落ち着いた声。
聞き慣れているはずなのに、今日はやけに近く感じる。
「は…はい。大丈夫ですけど……」
『明日、少し時間空けてくれへん?』
頭が、一瞬真っ白になる。
「……え?」
『夕方。どっかで会えたらと思ったんやけど……空いとる?』
息を吸うのを忘れていた事に気づく。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
「……はい、空いてます」
『……そうか』
「明日、なんの日かわかってます?」
『……知っとる』
ほんの少しだけ、向こうの声が柔らぐ。
『場所は、ローズ広場のあたりでええか。詳しい場所と時間はロトムに送っとく。ゆっくりおいで』
「……はい。わかりました」
通話が切れる。
キッチンに残ったのは、甘い匂いと、セイカの早い鼓動だけ。ドクドクと高鳴る胸の音は、耳のすぐ横で鳴っているのかと思うくらいうるさい。
「……なんで?」
小さく呟いて、頬に手を当てる。
(今まで、答えてくれなかったくせに)
なのに――
胸の奥は、嬉しさでいっぱいだった。
(……こんなの、期待しちゃうよ。カラスバさん)
セイカはもう一度チョコを見下ろして、そっと笑った。仕上げていくための手がより慎重になり、手作りチョコレートは予想以上の出来栄えとなった。
♢
――バレンタイン当日。
夕暮れのミアレは、いつもより賑やかだった。
甘い匂いと、人の声があふれ、心なしかデートを楽しむ姿がいつもより多く感じる。
待ち合わせの場所で紙袋を下げて、カラスバは立っていた。その姿勢は、彼の誠実さを象徴するようにまっすぐで、ただ一人のために、今日は揺らがないと決めた姿だった。
柄じゃない事は分かっている。それでも、もう決めていた。セイカの気持ちにきちんと応えて、彼女を幸せにすると。
「カラスバさん」
振り返ると、いつもと雰囲気の違うセイカがそこに立っていた。頬には淡い赤みが乗り、目元もいつもより少しだけキラリとして見えた。
服は柔らかい色合いで、袖はふわりと丸い。
優しいキャメルのコートが、夕焼けの光を吸い込んで、彼女の輪郭を柔らかくしていた。
――かわいい、というより大事にしたくなる。そんな気がした。
「そないにめかし込んで、今日はどちらへ行きはるん?レディ」
「もう。自分で呼び出したくせに」
「せやな……すまん。オレも緊張しててん」
誤魔化すための軽口は、そこからはなんの意味も持ちそうになくて、セイカに聞こえない程小さく息を吐いた。
「セイカ。あんな、話があんねん」
「……なに?」
「オレの本音、ちゃんと言っておきたい」
通り行く人が、カラスバとセイカの存在に気が付き、ざわつき始める。中には足を止める者もいた。
「今まで散々冷たくした。理由がちゃんとあるから、聞いて欲しい」
「……うん」
「オレはジプソ達の上に立つボスやから、アイツらが頑張っとる横で、オマエと恋愛して浮ついとったらあかん、そう思っとった」
セイカは真っ直ぐカラスバの目を見て、彼の言葉を聞いていた。
「でもな、気が付いたんや。オレの覚悟はそんな甘いもんやあらへんかった。オレはオマエを、ダメになった時弱音を吐く理由にはしたない」
逃げ道にはしない。けれど遠ざけもしない。彼はそう決めて、息をひとつ飲み込んだ。
「不器用かもしれへん……けど、オマエもサビ組もちゃんと守り抜いてみせる。オレが強く生きるためには、オマエが横におってくれなあかん」
カラスバは手にもっていた紙袋を差し出した。
「好きやセイカ。オレと付き合ってほしい。オレのそばにおってくれ」
時の流れが、一瞬止まったような気がした。
街のざわめきも、遠ざかる足音も、興味本位の視線さえも届かない――全部がぼんやりと溶けていく。
ここには今、二人しかいないみたいに。
セイカは言われた言葉を一つ一つ噛み締めながら、ほんの少しうつむいた。瞳から溢れる涙は、下を向いたせいで容赦なく頬を伝う。
嬉しい。伝え続けた想いが報われた。この広い世界で出逢い、好きになって、その相手も同じ気持ちになってくれた。それは控えめに言って奇跡だ。その事実が嬉しくないはずもない。
――それなのにセイカは、少しだけ口を尖らせた。
彼女は今まで散々待った。突き放される事もないまま、彼にとってちょうどいい距離感で待たされていたのだ。その間に彼女の想いは、もっともっと膨れ上がっていて、好きなんて一言だけでは、片付かなくなっていた。
「……それだけ?」
「え?」
「好きって言葉だけじゃ嫌!」
顔を上げたセイカは、涙を拭う事もなくカラスバに叫んだ。
「私にとことんハマってよ!」
「…………はぁ?」
声が次第に大きくなる。
「私がいないとダメなくらい好きになってよ!オマエがいなきゃ生きていけない!一生離してあげない!それくらい言ってくれないと足りない!今まで散々待たせた事、許してあげないんだからっ!」
2人だけだと思っていた空間が、いつものミアレの空気に戻っていく。
ほとんどの通行人が足を止め、ボスと英雄の行く末を見守っていた。
セイカは涙を溜めた瞳でカラスバを睨み、大声を出した反動で上下に大きく呼吸をしている。
カラスバは思わぬセイカの反応に、目を見開いて、口元を押さえた。
笑うつもりなんてなかったのに、こらえきれないみたいに息が漏れる。
――その姿があまりにも、可愛くて。
(ああ……せやったな。この子のこういう所が、どうしようもなく好きなんや)
人々の冷やかしのような視線は、全く気にならなかった。カラスバは諦めたように、すうっと大きく息を吸って、声を張った。
「もうとっくにオマエにハマって抜け出せんわっ!!あほ!!」
セイカは目を丸くして息をするのを忘れる。
人々の声は冷やかしと心配から温かな歓声へと変わり、拍手を送る者まで現れた。
「オマエなぁ!容赦なくオレの心にずかずか入ってきすぎやねん!可愛い顔しよってからに!こっちの都合も考えんと上目遣いで好きや好きや言うて!どんな想いで毎日オレが過ごしとったか知らんやろ!!」
溢れ出した想いは、もう歯止めがきかず言葉になって響き渡る。
「オマエがそこまで言って欲しいならお望み通り言うたるわっ!もう一生離さへんからなっ!オマエが嫌やって喚いても!めっちゃくちゃ甘い愛の言葉囁いて!行くなって捕まえて!気が変わるまで隣に居続けてっ!他のヤツなんか見とる暇ないくらいにしたるっ!オレの愛がどんだけ重いんか!覚悟してその身一つで全部受け止めるんや!オマエの一生かけてなっ!」
一瞬の沈黙。
足りないと叫んだセイカの顔は真っ赤に染まっていき、唇が小さく開いたまま言葉を失った。
あれだけ望んだはずなのに、真正面から返されると心臓が追いつかない。
目を泳がせて、胸の前で指先が落ち着かなく動く。
――そして。
どこからか、拍手が起こった。
一人、また一人。
歓声と笑い声。
ミアレの街が、二人を祝福していた。
「……あかん。やってまった」
「……やっちゃいましたね。でも……なんか嬉しい」
「……まあな」
人混みの中、二人は顔を見合わせて笑った。
拍手と笑い声が、いつまでも鳴り止まない。
次の瞬間、カラスバが紙袋を持つセイカの手を握った。
「ちょ、ちょっと……!」
「こっちや」
カラスバが迷いなく手を引く。
強くも弱くもない、けれど離す気のない力で。
2人が走り去った広場は、まだあたたかな祝福の空気に包まれていた。
――その隅で、ジプソをはじめとしたサビ組の一員も見守っていた事を2人は知らない。
♢
ミアレの街中の景色が、視界の隅を勢いよく過ぎ去っていく。人混みを抜け、角を曲がり、非常階段を駆け上がる。息が切れるのに、笑いが止まらない。
「ちょっと待って……!」
「待たん」
屋上の扉を押し開けると、ひんやりした風が頬を撫でた。
夕暮れのミアレが、少し下で広がっている。
扉が閉まる音がして、世界が急に静かになる。
「……」
「……」
二人とも、まだ手を繋いだまま。
セイカが先に視線を落とした。
「……なんか、はずかしくなってきた」
「今さら何言うてんねん」
「だって、街中であんな……」
指先が、きゅっと握り返される。
「オマエが言うたんやろ」
「……言った」
「とことんハマれって」
「……言いました」
カラスバは、少し困った顔で笑った。
そのまま一歩近づく。
距離が詰まって、呼吸が重なる。
「なあ」
「なに?」
「オレな」
言葉を選ぶみたいに、一度だけ間が空く。
「オマエおらんと、調子狂うねん」
「……」
「仕事してても、飯食うてても」
「……」
「おらん日は、機嫌も悪い」
セイカの目が、ゆっくりと見開かれる。
「……それ、もう」
「せや」
逃げる余地もなく、認める。
「オレ、オマエおらなあかんねん」
風が吹いて、セイカの髪が揺れた。
その向こうで、彼女がふっと笑う。
「……やっと言ってくれた」
「すまんかった」
「ずっと待ってた。今、すごく嬉しい」
セイカが紙袋を揺らした時、カラスバが小さく息をついた。
「……それ、オマエが作ったん?」
「うん。私のは今から渡す。……その前に」
セイカは指先で、彼の手元をちょんと示す。
「カラスバさんが用意してくれたチョコ、まだ開けてない」
「……今言うんか」
「だって、気になってたもん」
カラスバは視線を逸らし、短く咳払いをした。
「……別に、大したもんちゃう」
「絶対うそ」
セイカは笑いながら、彼が持っていた小さな箱をそっと受け取る。包みをほどく指が、妙に丁寧で繊細で、カラスバは無意識に目で追ってしまう。
パカっと蓋が開く。
「……わ」
思わず声が漏れた。
綺麗に並んだ宝石みたいなチョコレート。
落ち着いた色合いで、甘さより先に、ちゃんと“本気”が伝わってくる。
「……これ、選んでくれたの?」
「まあな」
「私の事考えながら?」
「……それ以外あらへんやろ」
セイカは一粒を指先でつまんで、にやっと笑う。
「じゃあ、後で一緒に食べましょ。半分こね」
「……半分こ…か」
「私と付き合ったら半分こ、いっぱいできますよ」
「……そら楽しみやな」
カラスバは自分の気持ちが想像していたよりも大きくなっていた事に気がついて、困ったような嬉しいような…どちらとも取れる笑みを浮かべてセイカを見つめていた。
「はいこれ、私からです」
セイカはそう言って、紙袋を指先で揺らした。
中から出てきたのは、小さな箱。丁寧にかけたリボン。あの日、悩みに悩んで選んだラッピング。
ふたを開けると、一口サイズのトリュフが並んでいた。つやのあるビターと、甘いミルクチョコのトリュフ。見た目だけで、味の違いが分かる。
「……手作りしてくれたんか」
「うん。こっちはカラスバさん用。ビター」
セイカは一粒だけ示してから、もう一方を指差した。
「で、こっちは私の好きなミルクチョコ、あまいやつ。……一緒に食べたくて。これも、半分こしましょう」
カラスバは箱を持ったまま、少しだけ固まった。
手作りのお菓子なんて、もらった記憶がない。まして自分のために、甘い香りの中で手を動かし、悩みながらラッピングしてくれた時間があると思うと、胸の奥がじわりと熱くなる。
頬に上がった熱を誤魔化すみたいに視線を逸らして、それでも声だけは落とさずに言った。
「……おおきに。ほんま嬉しい」
セイカが指先から視線を上げて、ふにゃりと笑った。
毎朝見てきたセイカの顔の中でも、1番可愛い笑顔だとカラスバは思った。
箱の端には、小さなタグがついている。
リボンもきれいで、いかにも“本命”の顔をしているのに――
「……何も書いてへんやん」
「……うん」
「メッセージ。普通こういうのって何か書くやろ」
セイカは一瞬だけ目を瞬かせて、視線を泳がせた。
「……書こうと思ったんだけど、せっかく可愛いの買ったから、付けただけで……」
それから、ほんの少しだけ間を置く。
彼女の耳の先が、じんわりと赤い。
「……直接、言いたくて」
カラスバが顔を上げた、その瞬間。
「カラスバさんっ」
セイカの靴がトンと地面を蹴って、ほんの少し体がふわりと浮く。そのまま勢いよく抱きついた。
一瞬、時が止まったような気がした。
腕が彼の首の後ろに周り、体温が一気に近くなる。
「だいすきっ!」
言い切った声が、屋上の風にさらわれる前に、カラスバの胸にすとんと落ちた。
「オマエなぁ……それは、反則やろ」
カラスバは息を吐くみたいに笑って、そっと彼女の背に腕を回し、強く抱きしめる。
いつも強い女だと思っていたセイカの体は、思っていたよりも華奢で、気を抜いたら壊れてしまいそうで……
守ると誓うには充分すぎる小ささだった。
カラスバの瞳がほんの僅かに涙で潤む。
ただ漠然と守ろうとしていたこの街で、ただ1人、自分自身の手で守りたい女の子が出来た。
生きる意味が1つ増えた事実に、体が震える。
抱き合っているせいで、セイカは彼の涙を知らずにいた。
ふっとセイカが顔を上げる。
目が合って、照れたように笑った。
そしてイタズラにはにかんだ彼女は、カラスバの唇に、自分からそっと唇を寄せた。
ちゅっと、短い音が響く。
それはほんの一瞬の重なり。
2人の周りを風の音だけが通り過ぎる。
「……っ」
驚いた顔のまま固まったカラスバに、セイカは得意げに笑った。
「どう?うれしい?」
「……あほ」
「え?」
「……そんなんじゃ足らん」
今度はカラスバが、逃がさない距離で彼女の腰を引き寄せる。
額を寄せてから、短く、確かめるみたいに口づけた。
唇の柔らかさを角度を変えながら確かめ合い、2人の温度がゆっくりと一緒になっていく。
今日はここまで。それ以上は、これからのお楽しみに取っておく。
……というより、それ以上してしまったら、もう歯止めがきかなくなりそうだった。
唇を離して、額を合わせる。視線がぶつかって息が混じる。
肘掛けによって引かれていた境界線は、もうそこには無くて、2人で繋いだ未来への道筋が、ずっと先まで真っ直ぐに伸びていた。
「……チョコレート、帰って一緒に食べよか」
「うん。ふたりで、半分こねっ」
屋上には、二人分の体温だけ。
街のざわめきは、もう届かない。
ビターな彼とスイートな彼女。
半分こ、のはずが――
気づけばそこには、甘さばかりが残っていた。
尊すぎるラブストーリーをありがとうございます!