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湿地といっても、ぬかるみとか、そういうことではなく、沼とでも解釈したほうがいいんじゃないでしょうか。 孫子の湿地は「沮澤」で沮が湿地、澤は水辺、といった所でしょうか。 たとえば、劉邦の母が劉邦を妊娠したのが沢のほとりであったり、劉邦が挙兵前に潜伏していたのが豊県西の沢だったりします。 沢は水のある土地なので、補給基地には都合がよかったんだと思います。 人馬に水を供給できますから。 野盗の潜伏拠点としても同様ですね。 袁紹が食糧を水上輸送した、という点はあり得ると思います。 やはり、この時代、物資の大量輸送にもっとも効率的なのは船での輸送ですから。 まあ、湿地にしても、湿地のど真ん中に基地を作るわけもなく、そういう水辺を利用した、ということでしょう。 孫子のいうところは、まさしく湿地のど真ン中、そういうところを行軍したりする際の注意点で、 険阻、沮澤之形者、不能行軍・・・(第七) 「険しい地形、沼沢などでは、行軍は難しい」 絕斥澤、惟亟去無留、若交軍於斥澤之中。必依水草、而背衆樹、此処斥澤之軍也(第九) 「沼沢を通過するときは速やかにして留まることの無いように。もし、その途中で交戦するとなったら、水草に依って(隠れて?)背後に森を置くように。これが沼沢での戦の注意点だ」 そして第十一でも険阻・沮澤は行軍が難しい地形、と再度言ってますね。
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返信ありがとうございます。 水経注の図では烏巣沢は湖(沼にも見える)に区分されてますし、 沼という指摘が正しいように思います。 許攸が烏巣を故市(元市街という意味?)と言っているので 流石に湿地に囲まれているわけではなく、 故市のあった所を兵糧庫にし、 沼や水辺がある烏巣南側を防衛に利用出来たかなと思ったのですが どう思いますか?
質問者からのお礼コメント
回答ありがとうございました。 BAは、湿地について色々説明して頂いた方とさせて頂きます。
お礼日時:2024/4/17 21:12
その他の回答(2件)
袁紹軍は烏巣に半恒久的な「兵糧基地」を作ったように言われがちですが、おそらくそうではないのだと思います。 武帝紀の記述によると経緯はこうです。 ①袁紹軍は黄河を渡って進出したので、穀物輸送車を数千台も出して穀物を輸送していた ②それ曹操軍が攻撃して焼き払った。 ③そこで、袁紹は再び穀物輸送車を出すことにした。 今度は淳于瓊を護衛につけて対策した ③淳于瓊は順調に進み、袁紹陣営まであと四十里まで近づいてきた。 淳于瓊はそこで宿営を張った。 ④そのとき、許攸が袁紹を裏切り、淳于瓊が烏巣にいることをバラした つまり、烏巣に兵糧基地があったわけではなく、輸送隊がたまたま烏巣にいただけなのです。 砦がある様子は伺えるので、淳于瓊たちは、道中にあった砦に一時的に入ったところを襲われたのではないでしょうか。
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ID非表示さん
2024/4/12 17:24
(素人考えで申し訳無いですが…) 曹操は、許攸から烏巣の情報を聞くまで 兵糧庫の場所を知らなかったのではないかと。 少なくとも、官渡へ到着した時点ではそうだと思います! 一方、袁紹も湿地と分かっていて敢えて 烏巣に兵糧庫を設けた可能性も否めません。 兵法というものは、「兵法をよく知る者の裏を行くのも兵法となる」と言いますし…。 つまり、曹操の裏をかいたつもりが許攸の裏切りによって破綻したものと見受けられますね!