三国志の烏巣は、烏巣沢という沢(湿地)の地なのに 何故兵糧庫にしたのでしょうか? 烏巣沢は、陳留郡酸棗県の東南の地。(水経注) 兗州中央には済水が東西に流れ、青州に注がれています。 済水を遡ると青州→烏巣沢→官渡で 青州、兗州の食糧を水上輸送していたという考察がありました。 兗州の大半は袁紹軍が占拠していたと思いますし、 輸送面で烏巣沢を選ぶ理由にもなり、説得力があると思います。 戦略面では、袁紹が陣を置いた陽武県の北東に烏巣はあり、 占拠地の中間地点で安全地域です。 しかし地形面では、 孫子でも湿地に長居してはいけないとあり、適した地には思えません。 湿地だが輸送に支障をきたす事は無く、防衛にも利用出来たのでしょうか。 それなら、輸送隊が襲撃を受けている状況にも関わらず、 淳于瓊の守備が手薄になるのも分かるんですが... (攻めにくい湿地を攻めて来ないだろうと油断したか)

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返信ありがとうございます。 水経注の図では烏巣沢は湖(沼にも見える)に区分されてますし、 沼という指摘が正しいように思います。 許攸が烏巣を故市(元市街という意味?)と言っているので 流石に湿地に囲まれているわけではなく、 故市のあった所を兵糧庫にし、 沼や水辺がある烏巣南側を防衛に利用出来たかなと思ったのですが どう思いますか?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。 BAは、湿地について色々説明して頂いた方とさせて頂きます。

お礼日時:2024/4/17 21:12

その他の回答(2件)

袁紹軍は烏巣に半恒久的な「兵糧基地」を作ったように言われがちですが、おそらくそうではないのだと思います。 武帝紀の記述によると経緯はこうです。 ①袁紹軍は黄河を渡って進出したので、穀物輸送車を数千台も出して穀物を輸送していた ②それ曹操軍が攻撃して焼き払った。 ③そこで、袁紹は再び穀物輸送車を出すことにした。 今度は淳于瓊を護衛につけて対策した ③淳于瓊は順調に進み、袁紹陣営まであと四十里まで近づいてきた。 淳于瓊はそこで宿営を張った。 ④そのとき、許攸が袁紹を裏切り、淳于瓊が烏巣にいることをバラした つまり、烏巣に兵糧基地があったわけではなく、輸送隊がたまたま烏巣にいただけなのです。 砦がある様子は伺えるので、淳于瓊たちは、道中にあった砦に一時的に入ったところを襲われたのではないでしょうか。

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ID非表示さん

2024/4/12 17:24

(素人考えで申し訳無いですが…) 曹操は、許攸から烏巣の情報を聞くまで 兵糧庫の場所を知らなかったのではないかと。 少なくとも、官渡へ到着した時点ではそうだと思います! 一方、袁紹も湿地と分かっていて敢えて 烏巣に兵糧庫を設けた可能性も否めません。 兵法というものは、「兵法をよく知る者の裏を行くのも兵法となる」と言いますし…。 つまり、曹操の裏をかいたつもりが許攸の裏切りによって破綻したものと見受けられますね!

返信ありがとうございます。 輸送隊が襲われている状況ですし、敢えてというのはありそうですね。 私も烏巣が湿地と知った時は、 『兵糧庫が湿地なわけがないじゃん。字の間違いでしょ』と思ったので…