漫画『青に、ふれる。』——繊細さでも責めるためでもなく、「傷つきました」と伝えたいとき
鈴木望原作の漫画『青に、ふれる。』(双葉社、2019年〜)を三巻まで読みました。
とてもよかったです。 たいへん素敵な作品でした。
【たとえ、私が何か困難を持っていたとしても、かわいそうと同情されたり、特別扱いされたいわけじゃない。「この私」のまま精一杯頑張って、まずは私自身が「この私」を好きでいたい。】
【あなたの言葉で、私が傷ついたとき、それをあなたに伝えたほうがよいのだろうか。
もしかして、私は復讐したいのだろうか。
いや……たぶん、そうじゃない。あなたを攻撃したいわけじゃない。でも、口に出したらあなたを傷つけてしまいそうで、すごく怖い。
それでも、私は、私を大切にしたい。
私は、あなたを大切にしたい。
あなたに、私を大切にしてほしい。
あなたに、あなたを大切にしてほしい。
二人の関係を大切にしたい。
あなたの言葉で傷ついたと、伝えてよいのだろうか。
もし、私の言葉があなたを傷つけていたと知ったら、とても苦しい。それでも、私は教えてほしい。私よりも、あなたのほうがもっと苦しいだろうから。できることなら、傷つけてしまったことを謝りたい。
あなたも、私と同じように思ってくれるだろうか。
果たして、あなたの言葉で傷ついたと伝えることは、私に対しても、あなたに対しても、誠実なのだろうか。】
……と、書いていて気恥ずかしくなりましたが、本作にはそういったベタで真摯な思いや葛藤が、真っ直ぐに表現されています。
「基本的信頼に基づく人間関係とは、こういうものなのだろうな」と心打たれました。現実では叶わないことも多いからこそ、フィクションで描かれた人と人とのそのあり方を、眩しく眺めずにはいられませんでした。
こうした信頼関係の基盤は、本来であれば家庭で育まれ、自然と身についていくのが理想なのだと思います。しかし実際には、なかなか難しいかと。
家庭の内外で、練習や試行錯誤、失敗を重ねながら築いていくものなのでしょう。その際、「こういう関係が基本的信頼に基づくものだ」というイメージが社会の中で共有されていることは、とても大事だと思います。
『青に、ふれる。』は、そのたしかな一助となる作品だと感じました。
♢
とはいえ、気になる点もあります。
主人公の高校生・青山瑠璃子は、新人教師の担任・神田先生に恋心を抱いています。二人は、教師と生徒という枠組みを越えて、弱さを見せ合い、助け合っているようにも見えます。神田先生にとっても、瑠璃子は特別な存在になりつつあるようです。
教師と生徒、親と子などが、一方的な上下関係にあることが常に好ましいとは言えません。かといって、互いに弱さを助け合う関係になるのも、手放しの「美談」として受け取るには抵抗があります。
二巻に、中学時代に不登校になった瑠璃子の回想シーンがあります。「どうして学校行けないの? ママの何が悪かった?」と泣き崩れる母親を、瑠璃子が抱きしめて「ママのせいじゃない」と慰める姿に、胸が痛みました。瑠璃子のほうこそが苦しくて、母親から抱きしめてほしいはずなのにと。
もし今後、神田先生までもが瑠璃子に恋心を抱くような展開になれば、この物語はどのように着地するのだろう……。
神田先生は、生真面目で誠実な人柄はよく伝わるものの、生徒である瑠璃子との距離感は、物理的にも心理的にも近すぎて、危うさを覚えます。
ただ、この距離の近さは、二人がともにフリースクール出身であるという背景も影響しているのかもしれません。
一般的に、フリースクールでは、たとえ大人(スタッフ)と子どもであっても、支援する・されるというよりも、もっとフラットで親密な関係を築くことが善しとされる傾向があります。
これはおそらく、たくさんの傷ついた子どもたちと真摯に向き合う中で、培われてきた文化なのだろうと思います。
しかし、こうした文化や関係のあり方も、状況によっては本当に望ましいのか、問い直す必要があるのではないでしょうか。
かつて自分や仲間を救ってくれた「よきもの」を疑うのは、誰しも怖いものです。
それでも疑おうとするとき、その一步を踏み出す勇気は——いえ、そうじゃないですね——疑うために立ち止まる勇気は、逆説的ですが、やはり信頼に根ざしているように思います。
瑠璃子とその親友の七実は、中学時代にフリースクールで出会い、同じ高校に進学しています。
七実がこの先、神田先生が瑠璃子に近距離で接しているのを知ったとすれば、どう思うのか、気になるところです。
はらはらしながら続きを読みたいと思います。


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