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浦安亭と浦安の芸能文化1:しんうら寄席
2月だったか、いつも通っている浦安市営のジムの掲示板に貼られていたポスターが目に留まった。

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『しんうら寄席 特別編 浦安の人々を魅了した大衆芸能』
講談師:田辺鶴遊(たなべかくゆう)
浪曲師:東屋一太郎、曲師:東屋美


しんうら寄席には、以前、落語家の柳亭小痴楽の会で足を運んだことがあるが、今回は浪曲と講談。出演者の名前には正直なじみがなかったものの、面白そうだし、無料だし、軽い気持ちでチケットを取った。しかし結果、良い意味で期待を裏切ってくれ、この週末が土日ともに充実することになる。

新浦安駅近くの市民プラザでは、定期的に「しんうら寄席」が開催され、それも結構有名な落語家さんが出演している。なぜ浦安でこのような寄席が続いているのか、以前から不思議だった。その答えが分かっただけでなく、さらに浦安で大衆芸能が深く根付いていたことを知る。

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浦安に存在した寄席小屋「浦安亭」

浦安にはかつて、「浦安亭」と呼ばれる寄席小屋が存在していたらしい。浦安歴10年足らずの私にとっては初めて知る事実だった。
明治43年(1910年)9月、熊川三五郎によって堀江に設立され、千葉県で正式に許可を受けた第1号の寄席小屋だったそうだ。当時娯楽は風俗を害するとされ警察の取り締まり対象だったため、芸事も免許制であった。その時代に公認を得た寄席という事実だけでも、浦安が持つ文化的厚みを感じられるが、特に印象的だったのは、浦安の土地柄と芸能の関係である。

当時の浦安は漁師町で、気風の荒い職人肌の人々が多かったそうだ。漁が終わると寄席へ行き、芸人に対して容赦なく評価をくだす。しかし一方で、腕が上がってきたら「潮が上がってきた」と、独特の言葉で称賛する。浦安の寄席に出演する芸人にとって「浦安で手が鳴れば一人前」といわれていたのだそうだ。よく言えば「厳しい」、言い換えれば「がらの悪い」客層だっただろうことは、ゆうに想像できる。


田辺一鶴師匠と浦安亭

今回のしんうら寄席に出演された田辺鶴遊の師匠、田辺一鶴(いっかく)の原点も浦安にあった。弟子の鶴遊は当時のエピソードを本人から聞いており、また当時をよく知る浦安の方々からも聞き取りを重ね、「田辺一鶴伝」を浦安中心の話にアレンジして披露してくれた。45分の長講だったのだが、メモの手が止まらず始終興奮しっぱなしだった。

田辺一鶴は東京駒込に生まれたが、小学校5年生のときに浦安の親戚「フタバヤ」に養子に入る。近くに浦安亭があり、ある日潜り込んで見たのが、神田ろ山の講談だったという。戦後、疎開先の岩手から東京へ戻り、学校卒業後は職を転々とする。幼少期から重度の吃音を抱えており、その矯正を目的として田辺南鶴に入門し、内弟子となった。しかしなかなか上達せず、真打にもなれないまま、師匠から「吃音も治ったのだから、別の道を考えてはどうか」と諭されることもあったという。
余談だが、当時講談師のみでは生活できず、数々のアルバイトをしていたが、その一つが当時紙芝居作家であった、後の水木しげるの助手だったらしい。

転機は東京オリンピックの年。入場行進に心を動かされた一鶴は、現代の話を古典風にアレンジした新作講談「東京オリンピンク」を創作。師匠に発表の場を与えてもらい、これが人気を博すことになる。その後、浦安での公演の話もあったが、浦安には真打になるまで戻らないと決め、修練を重ねる。そして昭和48年(1973年)、ついに真打昇進を果たし、記念リサイタルを思い出の地「浦安」で開催した。既に浦安亭は昭和40年(1965年)に閉館しており、中央公民館で開催したそうだ。


東屋浦太郎と浦安亭

浪曲の世界でも、浦安は重要な舞台であった。今回のしんうら寄席の出演者の東屋一太郎の師匠は二代目東屋浦太郎だが、初代東屋浦太郎は浦安で人気の浪曲師だったらしい。浦安亭で定番の演目だったのが浦太郎の代表作「野狐三治」シリーズで、今は一門にも受け継がれている。この日、一太郎師匠は、その中から「野狐三治 木っ端売り」を披露してくれた。

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最後のトークショーで、田辺一鶴が「浦安亭に行ったことがある方はいらっしゃいますか」と観客に問いかけたところ、10数名が手を挙げた。昭和40年(1965年)に閉館したのだから、いてもおかしくないのだが、思ったより多くて驚いた。生き証人である。

今回の「しんうら寄席 特別編」は、浦安市郷土博物館との共同開催で、博物館では「浦安の大衆芸能」という企画展も同時に開催されていることを知る。
さらに、この日鶴遊が使っていた釈台も、実際に浦安亭で使用されていたもので、企画展から借りてきたと。

こりゃ、行くしかないでしょ。

こうして、土曜は寄席を堪能し、翌日の日曜に企画展を楽しむことになる。
長くなったので、企画展については次の記事で。

浦安亭と浦安の芸能文化2:郷土博物館の企画展「浦安の大衆芸能」


by iihanashi-africa | 2026-03-31 23:30 | 日本 | Trackback | Comments(0)
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