甲子園での母校の躍動と、12歳の頃の私
今夏、沖縄が湧いている
母校・沖縄尚学が甲子園で決勝に進出しました。球技と言えば「大体10人前後でボールを使ってやる何か」(球技関係者の皆さま本当にごめんなさい)くらいの知識しかない私でさえ、普段はまったく野球と接点のない私でさえ、思わずLIVEで準決勝戦をつけてしまったほどで、それはもう、島全体が揺れるのではないかというくらい湧いている気がします(イメージ)。
鮮やかによみがえる、12歳のあの日
私が私立の沖尚(沖縄尚学の略。おきしょう)を受験したのは12歳の時。いわゆる中学受験だった。「運動が苦手だから、体育が少しソフトな感じがする私立がいいな」「紺色のブレザーとチェックのスカートの制服が好みだな」。そんな単純な理由で選んだのを覚えています。ただ、問題は、滑り止め受験ができなかったこと。たしか当時は私立が3校あって、すべて同じ日が受験日だったのです。えええ、1つしか受けられない。落ちたら、大嫌いな、大の苦手の体育で瀕死の白鳥(白鳥ですらないはず)のようになる未来が見える……。
そこから、謎の本気が出てきた
受かるか、落ちるか。体育が辛いか、辛くないか。もう、それしかないとわかった瞬間、本気モードが一気に加速しました。塾はとにかく行く。特別講座も全部志願するという謎のやる気を発揮して親を驚かせました。さらに、課題の面接対策。人見知りでコミュニケーション下手だった私にとっては、親子面接も大きな壁です。母親も、眉間にしわを寄せるわが子を見て不安になったのか、できる限りの協力をしてくれました。何十年も前、ない知恵を絞って、私たちがひねり出したのは
✓将来の夢はデザイナーと弁護士とする。進学校らしさと子どもらしさが感じられるので。共通点としては、誰かの役に立てること(安易ですが……)
✓愛校心を示すため、制服に似た生地で作ったワンピースを着用する
✓学費を払える感じを出すため、母親も装いに気を付ける(たしか、ちゃんとした時計を選んでました笑)
何か他にも他愛もない工夫をいくつもした気がしますが、とにかく精一杯背伸びをして、いざ鎌倉(那覇だけど)感覚で乗り込んだ記憶があります。結果は無事に合格。6年間の学びは、のちの第一志望の慶應、その先のパリ留学へとつながっていきます。単なる体育嫌いからスタートしたとはいえ、12歳の私、結構いい選択! 結構頑張った……と、今になって思います。子どもなりのコミュニケーション戦略と言えなくもないかな、なんて。
沖縄尚学の決勝戦は明後日。緊張したり、感動したり、気持ちが忙しい1日になりそうです。早めに仕事を終わらせてしっかり時間をあけておかなくちゃ。自分の子どもでもおかしくない世代の若者たちなのに、校歌を聞くと、気持ちが学生に戻ってしまって、図々しく同世代のような感覚で応援してしまうから不思議です。ここまできたら、できることなら、優勝が叶いますように。願掛けしながらリビングの一等席に陣取る予定です。
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