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父の葬儀に白喪服を着た話【キルモノ番外編】

みなさま、お久しぶりです。着物沼のじぞうです。
着物雑誌キルモノも、vol.53から止まってしまって半年ちょっと。
そろそろ再開したいところではありますが、ひとまず番外編ということで いつもの雑誌っぽいスタイルじゃなくて文章メインでお届けしようかと思っております。

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あっという間に半年。

実は、10月末くらいの時点で、あー。キルモノまで手が回らんなあ。と思って、
お休みしますー。というお知らせ記事を書きかけていたのですよ。


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この後に、何を書きたかったのかもはやあんまり覚えてないんだけども。
これが昨年10/25の日付になってて、父が亡くなったのがハロウィンの日の深夜、日付が変わってすぐくらい。
あれよあれよという間に、やる事の波に飲み込まれて気づいたら半年過ぎていた。

ひそかな野望

父が、大腸癌の宣告を受けたのが 2023年の6月。
父から電話がかかってきて、驚いたし悲しかったし、
っていう事は、もし父に何かあったら喪主私じゃん!

やだやだやだ!まだ喪主なんかやりたくない。
涙と共にそんな気持ちでぐるぐるぐるぐる。
まだそんな事は考えたくはないけれど、喪主をもしやるとしたら…。
喪主…。
そうだ。喪主をやるなら白喪服を着たい。
それでもって、妹たち(私は四姉妹の長女なのだ)には全員黒喪服を着せて みんな着物でしめやかに見送りたい!

喪服なら人数分持っている。(着物好きを公言していると、やたら人から着物をいただく機会が多く 喪服も気づいたら手元に4着くらいあったのだ)
白喪服は流石に持ってないが、白無垢の下に着る真っ白の掛下があるから 袖を詰めればなんとかなるだろう。
父が癌だというショックから逃避するかのように、
私の脳内では いつか来てしまうXデーの為の着物を妄想する事が 不思議と 妙な希望のようなものになっていた。
多分まだ現実味がなさすぎて、はるか先のことを考えている方が楽だったのだ。
そんな訳で、癌の告知の日から既に、私の中では白喪服を着てやろうという野望が出来上がっていたのだった。

私にとっての白喪服

大和和紀先生の「はいからさんが通る」 を読んだ事はあるだろうか?
母の漫画コレクションで育った私は、もちろんはいからさんも愛読していて(母の漫画コレクションは主に大和和紀・槇村さとる・くらもちふさこ・多田かおる・亜月裕で構成されていた。笑)
紅緒さんが白喪服を着るシーンに強い憧れを抱いていた。
舞台は大正時代。
許嫁である少尉の戦死を聞いて、葬儀に白喪服を身に纏い登場するあの名シーン!!
二夫にまみえず。

くぅー!たまらん!
ああ、はいからさん読み返そうかな。

(注:この後読み返しまして  白喪服は亡くなった紅緒の母の形見で 少尉のところに嫁ぐのが決まった時にお父さんから「二夫にまみえず」の意味と共に渡されたものだった。お前も軍人の妻になるんだから。と渡すお父さん見てグッときてしまった…。)

小学生の私にとって、あの紅緒さんの決意と白喪服の格好良さが刷り込まれていて
その時はもちろん着てみたいなんて考えもしなかったけど、時は流れ四十才をすぎ、
妙に古い着物やそれにまつわる歴史にのめり込んだおばさんとして立派に成長した私にとって
いつか来るであろうXデーは、白喪服を着る最後のチャンスだったのだ。

まあ、紅緒さんみたいに 「二夫にまみえず」っていう意味を込めるなら夫の葬儀の時のはずなのだが
そんなのいつ来るかまだわかんないし、出来ればその時を迎えるとしたら私は老婆になっていて欲しいので その頃には白喪服を着るという執着は捨てていた方が良いであろう。
つまり、やるなら今回しかない。

服飾史としての白喪服

明治以前の日本では、喪の色は白だった。
正確に言うと、平安時代とか黒になったり白になったり変わる時もあるのだけれど
現代の着物の形になった江戸以降で話をしていこうと思う。
江戸時代も、白で すでに貸衣装もあったらしい。
穢れを祓うために、お金持ちはその都度新しいものを用意していたようだけれど
一般庶民はそこまで出来ないので、借りて 返せば穢れも祓われると言う考えがあったそうだ。お手軽!

それが、開国と共に西洋の慣わしが日本に入ってきて
公にも 喪服の色は黒 が定着していく。
特に、明治30年の英照皇太后の大葬は明治維新後初めての皇室の葬儀。諸外国に文明開化をアピールする意図もあったし、また葬儀も仏式から神式に変わったりとこの後の葬送儀礼にかなり影響を与えた。
この時の、参内の時の喪服は
男性の場合は洋服のみで 黒の大礼服または通常礼服(燕尾服)または通常服(フロックコート)。
女性の場合は、袿袴 または西洋服の場合は黒。
この時の喪服を元に、その後喪服規定が決められていく。
そして、この時一般国民も30日間の喪に服す。
洋服の場合、左腕に黒布を巻き
和服の場合は黒布を肩に付ける。
これがだんだん変化して喪章となっていく。
この事で、国民全体に葬儀の色は黒という意識が出来る。

一般の人はそれでもまだまだ白い喪服を着ていたようだけれど、それも戦争を経て 汚れが目立たない黒が定番となり
現代では、葬儀に白を着ていくなんてとんでもない!と思われる方の方がほとんどだろう。
今では、和服で葬儀に参列する人すらかなり少ない。
っていうか、コロナ以降 冠婚葬祭は縮小傾向にあり 特に葬儀は家族葬にする家が多くなっているという。余談だが、私も婚礼の着付けやヘアメイクのお仕事はかなり減ったと思う。
面倒なことを嫌い、風習やしがらみもどんどんなくなり、低予算がもてはやされる昨今 特に葬儀は簡略化される一方なのかもしれない。
8年前の母の葬儀と比べても、同じ斎場で行ったが 葬儀の時間がかなり短くなったと感じた。
話が逸れた。

さて、昭和以降の婦人雑誌やいろんな本を紐解いては 喪服に関わる文章を私は前からずっと調べていた。
ゆるぎないように思える「フォーマルマナー」が、実は時代によってかなり変化しているのが面白くて、父のことに関わらず その前から興味があったのだ。

昭和初期の喪服(重ね着時代)

昭和初期の時点では、実際はまだ白黒混在していたようだが、
一般的にも喪服は黒のイメージが定着してきていて 白喪服はごく近親者のみの正式なものという認識で雑誌などには記述がある。

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昭和5年 主婦之友付録 美容と作法の寫眞畫報

昭和初期が今と違うのは襲(かさね)の存在。
正装の場合、着物を2枚重ねて着ていて上着(この場合だと黒紋付)、下着は白の着物(襲)。
フォーマルは重ねて着るのが当たり前で、ここは大きく今と違う。
ただ、着付けが大変なので 襲の上手な着付け方などが雑誌でも紹介されているし その後簡略化されて現代の留袖に見られる比翼仕立てに変化していく。
伊達衿もめちゃくちゃ簡略化した襲ってことですね。
で、喪服も当然重ね着をしています。

あと、名古屋帯の登場が昭和初期なので それまで帯は黒い丸帯。だから結び方も二重太鼓。
「重ねる」というのが弔事の時のタブーという現代の感覚はまだ見られない。
むしろ重ねない着方の方が略式との考え方。
この本は昭和35年なので戦後なのですが、重ね着で二重太鼓の例。

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昭和35年 日本髪と着付け全書/山野愛子
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昭和35年 日本髪と着付け全書/山野愛子

また、喪服の扱い方と言うか帯を華やかな物に変えて婚礼などハレの場でも着用する人がいたという事も現代とは大きく違うと思う。
手持ちの物で柔軟にTPOに対応していたようだ。

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昭和8年の本に挟まってた新聞切り抜き
婚礼に喪服を着ていく時の着方についての記述がある


婚礼写真などを見ると、年配の女性は裾模様が無かったりするので おそらく無地の黒紋付(現代で言う喪服)を着用しているんだと思う。
大体、男子の和服の礼装は現代でも慶弔問わず黒紋付で同じなのだから本来これで良いのだ。
無地の黒紋付=「喪服」っていうだけではなかったというのが今の感覚とは大きく違う。
今だと、喪服のイメージが強すぎて 黒無地紋付は何故か敬遠されていると思う。(目にするのは宝塚の袴くらい?)

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昭和5年 主婦之友付録 美容と作法の寫眞畫報

脱線するけど、昭和初期の洋装の喪服可愛いなあ。
裾にクレップという布をつけるのね。ふむふむ。
帽子にもドユを下げるのか。確かに外国の映画とかで帽子に布がついてて顔が結構覆われてるのあるよな。
3ヶ月後はドユは外して、クレップも短くするのか。興味深い。

昭和中期(白小物時代)

戦後すぐ〜昭和40年代くらいまでの雑誌を見ると、
帯揚げや帯締めなどの小物は白を使っている事もある。現代のように黒一色ではなく、若い人は白を使うのも良い。などど記載されていることがある。
また、襲の文化は徐々に無くなり 下着なしで現代のように一枚で着ている写真が多い。
白喪服についての記載もほぼなくなっている。

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昭和28年 主婦之友付録 図解 和裁百科事典


また、色喪服もよく出てくる。
その時代の映画などを観ても、葬儀の手伝いに来ている人や通夜のシーンなどでは 紫など寒色系の着物に黒い帯を合わせて黒喪服より格を下げた色喪服を着ている事がある。
血縁関係の遠さや関係をそこで表していたり、通夜の場合 取り急ぎ駆けつけたと言う意味合いもあるのだろう。

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昭和48年 婦人生活11月号付録 きもの百科


普段着の着物に黒羽織で対応していることもある。
黒羽織は普段の着物にきちんと感を出せるめちゃめちゃ便利アイテムである。 
あと、昭和中期くらいまでは喪章についても述べられていて
洋服でも和服でも、女性は黒いリボンを胸元に付けていた。
男性は黒い腕章。
喪服じゃなくても、取り急ぎ喪章をつければいいだけなのだから便利な文化だと思うのだが、もはやほぼ廃れた文化な気がする。

昭和後期〜現代(黒一色時代)

もうほぼ現代と同じになっているような気がする。
フォーマルスーツの所持率も増え、和服なのは親族のみといった感じに変化している。
嫁入り道具として、黒喪服を持たせる文化はまだあって(私が1982年生まれで、両親が結婚したのも同じ年) 実際私の家にも 母の嫁入り道具の喪服があった。母が嫁入り道具として持ってきたのは喪服と訪問着くらいだったと思うが 着物を全く着ない人だったのでしつけのついた未着用の状態だった。
母も癌だったのだが、亡くなる前に あんた着るなら喪服着てないやつあるから着ていいわよ。と言われたので、ありがたく母の葬儀では着させて頂いた。
今思い出しても笑えるが、まだ着物を普段に着るようになる前で 一応うっすら他装ができる状態だった私。妹は家政科を出ていて、一応自装が出来た。
まあ、おばあちゃんたちもいるし どうにかなんべ。と、自分で着ることにしたのだが あてにしていた祖母たちはボケも始まりかけていて 着替える私たちに無関心で手伝ってもらえず。
なんとかYouTubeを観てパニックになりながら着替えて、めっちゃ着崩れしながら通夜を終えて帰り、脱ぎ始めてびっくり!
帯が二重太鼓になっていたのだ。
妹と、なんで名古屋帯なのに二重太鼓出来たんだろー!ギャハハ!!
めでたくないけど、まあママは痛みから解放されたし、おめでたいっちゃおめでたいか。
疲れもあって、妙に2人でゲラゲラ笑った覚えがある。
葬儀当日は、前夜の反省を元に どうにか上手く着ることが出来た。

また話が逸れたが、現代では喪服用に真っ黒の小物も売られていたり とにかく半衿と襦袢と足袋以外は真っ黒なのが主流であろう。
帯については、完全に名古屋帯になっている。
悲しみを重ねないように、名古屋帯で一重太鼓というのが当たり前になった。
色喪服の存在も、私は全然知らなくて 着物を始めたばかりの頃に昭和40年代くらいの雑誌を見てとてもびっくりした。
葬儀というのは、行く機会も少なかったし、黒以外の選択肢があるなんて考えもしなかったからだ。

着装ルールについての疑問

「悲しみを重ねないように」喪服の着方は変化した。
襲が廃れて、丸帯も廃れて、
喪服の場合は一枚で着るようになって帯も名古屋帯。
それらは古書から変遷が読み取れたのだけれど、一つ疑問に思ったことが。
一体いつから帯締めの房を両方下げるようになったのか?

これって今は着物のルールとして当たり前のように 普段〜おめでたい時は房は上、下にするのは喪服の時。ってなっている気がするのだけれど、喪服の時の帯締めについての記載や昔のもので明らかに下げている写真は見つけられなかった。
帯締め自体が、戦前の本だと「帯留/帯止」と記載されていたり そもそも帯締めって歴史が浅いというか 江戸後期くらいから出てきたものなんだよね。
だからルールが定まってなかったのかもしれないし、締め方自体に流行りもあったはずだし 戦前の雑誌を見ると着付け方の解説や写真は右は上から下へ 左は下から上へと結んでいるものがかなり多い。
弔事で結び方を変えていたかどうかはわからないが、普段やおめでたい時に関しては 左右で変える結びが戦後すぐくらいまで主流だったと思われる。

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昭和9年 主婦之友付録 婦人美容事典
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昭和28年 主婦之友付録 図解 和裁百科事典

で、喪服の時にどうだったのかは調査不足でまだわからない。
私の予想では、おそらくこれも「悲しみを重ねない」という意味を込めだしたのと同じくらいの時期から出来たルールなのではと思っている。
ちなみに、平成以降の着付け本をいくつか読んでみたが 当然のように普段は房は上向きに、喪服の時は下向きに。と書いてあるものばかりだった。
戦前の本にはそもそも帯締めについての記述はかなり少なく、多分みんな当たり前に結べていたからわざわざ記載してなかったんだとも思うし
となると、可能性としては 当たり前のことだからわざわざ房は下と書いてなかったとも考えられる。
これについてはまだまだ調べないとわからない。

参考にしたものたち

手持ちの古書を読んでるうちに、上に書いた服飾史的なことはなんとなく頭に入っていたのだが
いざ着る時期が迫っているかもしれないと思うとより詳しく白喪服について知りたくなり
いろんな人のブログを読んだりしていたのだが
ちょうどTwitterで素敵な映像を紹介しているのを見かけた。
映像で見る明治の日本というサイトで、

ライオンの創業者の小林富次郎さんの葬儀の様子が観られるのだ。
ぞろぞろと白喪服の女性がたくさん歩いていく姿が格好良い。
当時の葬儀の様子が観られる貴重な資料だと思う。行列がほんとすごい。ほんと見てほしい!
男性は洋服でも和服でもシルクハットをかぶっている。
そして、父が亡くなる2日前に届いたのだが 前から気になっていた本も買ってしまった。
増田美子さんの 日本喪服文化史。
こちらの本も面白かった。
「幽霊はなぜ額に三角を付けるのか」などについても書かれている。
現代も葬儀屋さんの死装束セットには、三角のあの額当ては付いてくるんだけど
アレをつけると「故人様の印象が変わってしまうので…」と、今はつけないのが主流らしい。
そういえば私、ちょうど昨年10月の初めに
納棺とエンディングカットについての講習会に行っていたのだ。
その時にもそう言われたし、実際に父の葬儀の時でも葬儀屋さんに言われた。
納棺の講習会もとても興味深く、私も棺に入ってきた。

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確かに印象変わる…笑

せっかく講習を受けたから、父の時に何か役立てるかな?と思ったけど、さすが緩和ケア病棟。めちゃめちゃ綺麗に最後のケアをしてくださって、何もする必要がなかった。
エンディングカットもしようかなと思ったけど、髪も妙にこざっぱりしてたので 無理して切ることないか。とやめておいた。
本格的な納棺については、一回の講習でどうなるものでもないので、棺に入ってみるという珍しい体験が出来て また最後のケアについての知識が得られたので良かったな。

白喪服の準備とミラクル

そんな感じで、白喪服について調べたり納棺されてみたりしているうちに
現実的に自分の分を含め四姉妹の喪服も用意しなくてはいけない時期になってきた。
小物も足りそうな気がしていたけど、よく考えると草履は全員分無い。
仕事の合間にとりあえずリサイクルショップを物色することにした。
今回使ったらその後四人で喪服を着る機会はそう無いだろうから、リサイクルでいいのだ。

10/27 四姉妹揃って病院にいる父に会いにいく。
元々、一度全員で集まって家族写真撮りたいねえ。と話をしていたのだが父が入院になってしまったのだ。
金沢に住んでいる妹が、もしもの時のためにとお義母さんが喪服一式貸してくださったから今回持って来たと言う。
一応小物など確認させて頂いた。
私はただのオタクなので、喪服を見るのも楽しい。

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帯の仕立てが面白い。正絹 の字まで見せてるのって珍しい気がする。金沢だと関西仕立てなんだなあ。
父が25日に緩和病棟に移動したばかりで、精神的にしんどかった時期だが こうやって着物を見てニヤニヤする時間もあったのだ。
10/29から、夜も病院での付き添いを許可された。
病院泊して、そのまま仕事へ。
10/30
七五三のヘアメイクの仕事の後、近かったので土浦のちゃくちゃくちゃくへ寄り 草履や小物をチェックして 帯締めだけあったのかなあ。何か買って、でも目当ての草履が良いのがなかったから ちょっと足を伸ばして下妻のちゃくちゃくちゃくまで行ってみた。

ミラクル!!

婚礼用の白い丸帯って私持ってなくて、
いざとなったら白の半幅帯か、なんか白い適当な帯でいいかなって思ってたんだけど
まさかの300円で手に入れた!
これ、ちゃくちゃくちゃくで私ずっと探してたはずなんですけどねぇ…。なんなら5年くらい探してたのに、このタイミングで見つかる奇跡よ!
妹たちに使う黒の帯揚げと、黒の丸ぐけ、草履もあった。関係ないものも買ってるけど。

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白い帯揚げも真っ白って私持ってなくて、留袖用の金の刺繍が入ってるだったから、やった!見つけた!!
って思ったら…

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買ってから気づいた。笑
これ、うそつき襦袢の片袖じゃん…!
でもいいのだ。切り裂いて帯揚げとして使うのだ。100円だし。
そんなこんなで、着物は一式揃った。
白喪服は、婚礼用の掛下を 袖を中に折り込んで縫い留めて着るつもり。あとは袖を縫うだけだ。
こんなに段取り良く進んでるのは、亡き母の力に違いない。(彼女は段取り魔人だったから)いよいよ父との別れも近いのかもしれない。
そんな事を思っていたら、次の日の深夜 付き添いをしていたら(というより昼間の実家の片付けで疲れて病室のソファーで寝ちゃってたのだが)看護師さんに声を掛けられた。
いよいよ危ない。
慌てて妹たちと連絡をとり、実家にいる妹はこちらに向かいながら 遠方にある妹たちはそれぞれの自宅から テレビ電話を繋いでみんなで最後の時を迎えることが出来た。
便利な世の中だ。
ここから葬儀の日までの記憶が本当に薄れている。
言えるのは、とにかくバタバタだった。
毎日、七五三の予約やら仕事が入ってたし、妹や親族に助けられながらいろんな人に連絡したり葬儀について決めたり。
葬儀日程も、奇跡的に一日だけ空いてる日があったので迷わずそこにしてもらった。
今思うと、よく仕事に穴をあけずに(キャバクラのヘアメイクの仕事のだけお休みをもらった)やりきったなあと思うし、仕事をしていたからこそ 乗り越えられたのかなとも思う。
七五三や成人式前撮りなど、着物を着てみんなが楽しそうにしている姿を見るのが癒しだったし、仕事に集中している時は現実を忘れられるのが良かった。

葬儀は11/6・7にした。
6日は午前中仕事があったけど、すぐ着替えられるように白衿の半襦袢に仕事着物を着て出掛け 帰って来てから自分も喪服に着替えて 妹たちの着付け。

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どんな顔していいかわからない。父の部屋にて。

お通夜は黒にした。
私と、着物好きの妹・三女は帯揚げ、帯締めを白にして昭和30年代スタイル。
姉妹みんなで写真を撮らなかったのが悔やまれる。

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めっちゃ曲がってるけど、帯は表裏真っ黒の如源帯。
明治〜昭和初期にかけて流行った如源。昼夜帯でよく見かけますよね。
当時粋筋のお姉さんたちが 葬儀にも使っていたっていうのも読んだことがあって憧れてたので。
柔らかいからお太鼓ヘロヘロだなあw
いよいよ明日は白喪服。
肝心の掛下の袖をまだ直せてなかったので、お通夜終わってから慌てて縫う。
ちなみに、喪主挨拶もどうしても自分の言葉でまとめたかったけど全然まとまらなくて 結局明け方くらいにまとめたような気がする…(覚えてない)

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振袖だと流石にやりすぎな気がするので、とりあえず折り込んで縫い留めました。
で、二枚重ねになってるからボリュームありすぎて
分厚く折ってあるのが振りから見えるのがカッコ悪いなと思って
折り込んだところがあんまり見えないように全部かがってしまった。
その状態の写真がないのだけれど。
振りの上の方(脇に近いところ)だけあいてる感じ。
袖がやたら重く感じた。笑

白喪服当日

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着付けをする喪主…。
今見返すと、帯二重太鼓にしなかったんだなあ。なんでだろ…覚えてない。ちょっと日和ったのかな。笑

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三人着付けて、二人の髪もセットして。
何食わぬ顔をして、セレモニーホールに向かったんだけど まあみんなちょっと引いてたよね。
ホールの人とか。
多分。
やはりちょっとやりすぎだとどこかで思っているせいか、そう感じただけかもしれない。
絶対何か言われるかな?と思った親族からも、特に何も言われなかった。
なるべく、なんでもない顔をして過ごすようにする。
入り口のところに立って、来てくださった方に挨拶したり。
誰も何も言ってこない。(当たり前だ)
喪主挨拶でも、一応白喪服をなんで着ているかに触れ
これは私にとっての決意であり、
父のように仕事に生きるという意味を込めました。みたいな話をした。(ディズニーやユニバ、最後の仕事はジブリパークのハウルの城の照明デザインをしていた父は本当に仕事好きで、末期のせん妄の中でも照明の話をしていたので)
挨拶も終わり、ちょっと気が軽くなったところで出棺の準備。
みんなでお花を棺の中に入れている時に、父方の祖母の妹、私にとっては大叔母が話しかけてきた。

80歳の大叔母の話

あんたよく白喪服なんか見つけてきたわねえー!
大したもんだわ。
鉾田の方は白なの?

え?褒められた??

何か言われるとしたらこの人からかな?と思ってたので、本当に拍子抜けした。

いやいや鉾田は関係なくて。
ただ私が着てみたかっただけー!

あー。そうなんだ。てっきりそっちの方は白なのかと思ったわ。
私も名古屋に住んでた時ね、40年くらい前だけど、お葬式で一度だけ見たことあるのよ。
女の人は白い着物で、男の人は裃でね。
で、裸足に藁草履。
さむーい冬のお葬式でさぁ。
あれ、火葬場までは足袋履いちゃいけないのよね。
すっごく寒そうで。
火葬場ついたら、足袋はいていいのよ。
あっちの方は喪主は白だったのよねえ。

うわー!
貴重な証言がまさかの身内から!!
40年前って事は、今2025だから、1985くらい。
わー。80年代でも名古屋であったのかー。
とか、ぐるぐる考える。

と、同時に
チキショウ!藁草履!!ぬかった!!足袋履いちゃったし普通の白草履だよ。

まあその辺は仕方ない。

とは言え、本当に大収穫。

大叔母から生の声を聞くことができてほんとよかった。

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なんとか無事に終えられたし、
老人ホームにいる父方の祖母も連れてきてもらえたし
たくさんの方が来てくださった。
家族葬も流行りだけど、うちみたいに田舎で知り合いが多いと結局お線香をあげに家の方にみなさん来てくださったりするので かえって大変なんじゃないかと私は思っていて。家空けられなくなるし。
亡くなった人の年齢にもよるけど。
あと、ちゃんとお別れの場がある方が良いなって、母の葬儀の時に思ったのだった。
せっかく祖母までホームの人に連れてきてもらって、親族も大集合してたから 集合写真を撮ればよかったなあ…。

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かえりみち。

花嫁と「穢れ」と白装束

今回は、花嫁衣装の掛下を流用してみた。
昔も、おそらく自分の嫁入り衣装を流用していたのではないかと考えたからだ。
袖は切って詰めていたのかなあ…。

袖を詰めるの面倒なので、襲の白い着物を着ようかなとも考えた。
あとで本など見て確認すると、やはり襲を着ていたケースもあったようだ。

花嫁の白って、「婚家の色に染まるために真っ白ですよ」みたいなピュアな意味合いのイメージもあるけど
日本の風習で考えると
実家を死んで出て、婚家に生まれ変わる 

っていうニュアンスなのかなと思う。
だから白装束だし、この世のものではない存在なのかなと。

明治期の婚礼は、白→赤→黒でお色直ししていて
実家を死んだつもりで出て(白)
婚家に生まれ出て(赤)
黒で色止めという意味だったそうだ。
だから一番最後は黒留袖なのかな。

他にも、女性は陰、男性は陽(そう言えば女陰で陽物だなあ…)
「婚」の字は、女に昏。それで古来は夜に行われたそうだ。

あと、花嫁さんが実家を出る時も 玄関から出ないっていうのもあり、これは死者にも通じるなあと思う。
葬儀の時も、うちの方は玄関からは棺を出さない。
掃き出し窓などから出入りする。

マンションのような住宅だと玄関からしか出せないし、その為に今はセレモニーホールがあるのかもしれない。時代によってもちろん葬送儀礼も変わる。
現代の花嫁さんは、仮に自宅でお支度とだしても玄関から出るだろう。

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昭和7年 花嫁花婿必要帖より

花嫁=穢れ という考えは他にもあって、
山に入る人(マタギとか)は、花嫁行列を見たらしばらく山に入れないなどあるようだ。

山の神と花嫁のケガレについて書かれた論文https://core.ac.uk/download/228666281.pdf

何故か山の神について調べてた時に見つけて、面白いなあと思ってた。とにかく花嫁はケガレであり、葬儀よりも強いケガレという考え方。

葬儀も出産もケガレなんだけれど、花嫁は死と生どっちも表すからケガレの二乗ってことなのかな。

葬儀の話に戻すと、先ほどの40年ほど前の名古屋での話で 白喪服の喪主は裸足で藁草履というものだが
これもある種 あの世とこの世を分つものなのかと感じた。
火葬するまでは、死者と共に 同じような服装で見送り
火葬した後は 足袋を履いて自分たちは現世に戻ってくる。
分からないけど、そんなような意味合いなんじゃないかと思う。
亡くなった人に着せる死装束に合わせて、足袋を履かせないのかとも思った。名古屋で死者は足袋を履かないのかもしれない。この辺はよくわからない。

ちなみに現代では(っていうかうちの父の場合/茨城県常総市)すでにうろ覚えだが、
足袋は左右逆に 二人で履かせ、脚半もつけた。
うちの場合は死装束ではなく、病院滞在時のパジャマだったので本当に形だけだ。その上からお気に入りのアロハシャツとデニムをかけてあげた。

死装束の右前にするのも、足袋を左右逆に履かせたりするのも「逆さごと」。
逆さごとが縁起が悪いというイメージは、現代でも根強く残っていて 人によって知ってる知らないで差はあるけれど強い禁忌感を持つ人が多い。
日常とは日常を分つ「逆さごと」。
お椀にお箸を立てたり、着物の右前、家の中で靴を履いたまま玄関を出る、北枕…。
有名なのはこんな感じかしら。
最近、
取り込んだ洗濯物をそのまま着ようとしたら 
夫に 畳まないで着るなんて死人かよ!と言われて
私は知らなかったのだが それも逆さごとの一種なんだと思う。

また、喪主及び近親者のみが白という習慣は 忌中であるという事をわかりやすく表すものだと思うし、
亡くなってから一周忌までは現代も喪中として 祭りに参加しなかったり、年賀状も出さなかったり地域や家によって様々だが 喪に服している事を表す習慣はたくさんある。

喪中である事を対外的にも表して、外との交流を閉ざす。穢れの意識って現代でも地味に息づいている。

葬儀で和服を着るということ

葬儀もかなり簡略化されているし、確かに和服を着る人はかなり少ない。
私も喪服着付けの依頼があるのは年に1〜2回くらいだ。
あんまり着ている人がいないから、大袈裟にも感じるし つい敬遠してしまうのかもしれないけれど
最後の時間を、ピシッとした気持ちでお見送りするには和服はふさわしいような気がする。
もちろん故人との関係にもよりますが、親族であれば迷う必要はないと思う。
喪主も経験しちゃったし、父も母も見送ったからこそ
葬儀の時に和服を着たいと思ってる人のお手伝いが出来たらな。と思っている。
着物を着ることで、髪を結うことで、
お見送りへの気持ちの切り替えになれるように。

かなり長い記事になりました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
着物雑誌キルモノ、しばらくこのスタイルで不定期発行とさせて頂きます。
ぜひぜひコメントで、私の地域ではまだ白喪服あるよとか、おばあちゃんが着てた!とか、情報お待ちしております。

ではではまた、次のキルモノでお会いしましょう。


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寒かったから飾ってた父のスタジャンを着て帰るめいっこ。

葬儀直後のjizoamiラジオ室。白喪服と葬儀にまつわるアレコレお話ししてます。

戦前の花嫁の格好をして、ほだれ祭で初嫁をしてきた話。

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