伍
結局、半里ほど道を戻ることになってしまった。
柚丸はしたたかにも、己をここまで連れ戻した二十も半ばを超えたくらいの男に、飯を無心した。
男は「湯漬けの一杯くらいは食わしてやる」と鷹揚に笑って応じた。
柚丸は湯漬けを呷って飲み込むと、腰掛けに座ったまま、まんじりともせず東を睨んだ。盗賊が張っている「関」を。
「お前は、親は?」
「知らねえ。生きてんだか死んでんだか」
男は、重五郎と名乗った。
柚丸は空き腹を抱えずに済んだことには感謝していた。しかし、この状況は気に食わなかった。
「触れたら叩き殺されそうだ」
「わかってんなら、もう止めるなよ」
「なぜあちらへ行きたい」
「戦さに出るためだ。それ以外に理由なんかねえ」
重五郎は眉根にしわをきざむ。
「戦さ、ね」
「てめえこそなんであっちに行きてえんだよ。彫師って、戦さ場で働くもんなのか」
「いや。吉多に身内がいる。戦さになる前に連れ出して、尾梁の縁者に頼るつもりだ」
おそらくはそれが普通の判断なのだろう。
柚丸はそれを、知識として理解していた。
だが果たして体感として腹の底に落とし込めるのかといえば、無理だ。
――逃げに甘んずることを良しとするのか? そう問われると、決して、頷くことはできなかった。
そうした葛藤が顔に出ていたのだろう。
重五郎は「無理に止めはせんよ」と、説得を諦めた。
厄介事には関わらない。それが長生きの秘訣であると、重五郎は知っていた。
彫師。すなわち、彼は様々な細工物に彫りものをして飾りをする職人である。
その仕事柄、刀の細工や、錠前、飾り物の甲冑などの仕事も手掛けている。
そうなるとどうしたって、面倒事に巻き込まれそうになる。
やれ、あの刀はどの殿方のものだ。あの鎧はいくらの値打ちがあるのだ。おい、錠前の開け方は知らんのか。
そういう、糞面倒が、ただ好きな仕事をしているだけで降りかかる。
重五郎にとってそれは、
ゆえに重五郎はこう考える。
――この童にとっては、俺の説得こそ、その騒音に違いあるまい。
であれば何を言っても無駄であろう、と。
「柚」
「なんだよ」
柚丸は幾分か冷静になっているようで、火の玉のように突っ込んでいくなりは収まっている。
しかしそれでも、必要とあらば盗賊団と一線交えるくらいの気概は感じられた。
「お前が何者かは知らぬ」
重五郎は、柚丸のその御霊の深奥を見定めるように目を細めた。ひょっとすると、この男は、柚丸の正体に気づいているのやもしれぬ――。
「しかし、如何なる英傑傑物であろうが、愚昧極まる盗賊であろうが、生命と
柚丸はその言葉を聞き、喉の奥で噛むように咀嚼して、飲み込んだ。
その心の内側には、ひょっとしたら父親とはこういうものなのだろうかという感情が広がっていた。
実際にどうなのかはわからぬ――。本当に父親なら今の柚丸を血相を変えて止めるだろうか。あるいは、さすが俺の子、盗賊を蹴散らせ、と息巻くだろうか?
おそらく、その両方が正しく、間違いだ。
農民の子なら、止められよう。武士の子なら、背中を押されよう。
それだけのことだ。
柚丸は農民でも武士でもない。職人の子でも、町人でも。山を切り出す山師でも、炭切りをしている鍛冶の子でもない。
しかし。
(士官する気は、ねえ。下知を賜ってちゃ流浪して剣を磨けやしねえ)
柚丸はそう考え、
(浪人だ。
柚丸は立ち上がる。
重五郎が、それでも、心配そうである。
「世話になった。礼を言う。けど俺は、進まにゃならなん。あんたは俺が連中をぶちのめしてからゆるゆると――」
その時である。
込油方面から、なにか一塊の影が迫ってくる。
それは軍馬にまたがった武士が数騎と、そこに付き従う一族郎党。数にして、十五人は下るまい。
(武士様のご登場か。人間ってのはぞろぞろと、鬱陶しいな)
柚丸は相当に皮肉屋なのか、単に、性格がねじくれているのか。どうも事の次第を、いちいち穿って見る性癖があると見える。
素直に武士様か、だけでいいのだが。
狐らしいといえばらしい、ある種ひねくれくれた思考形態といえなくもない。
そしてそれを本人に口出ししない小狡いところが、いかにも妖怪的、狐的であろう。
柚丸はその武士の
よもや昨日の騒動の咎を問われるのだろうか? だとしたら、身を守っただけであるから、別段ああだこうだ言われる筋はない。
現代的な価値観で言えばありえぬことだが、和深では、――少なくとも戦さの世である今は――人の値打ちなど、米一合にも釣り合わぬとすら言われている。
「そこもと、この先へは行ったか」
重五郎はすぐに手をもみながら応じた。
「い、いえ滅相も! 噂に聞く盗賊団が根城を築いてるっていうじゃねえですか! そんな恐ろしいところ、怖くて怖くて。こうしてお侍様が出張ってくるのを待っ――」
「ああ、行った。けど盗賊はしかと見てない。数も武装もわからん。だが確かに
重五郎が柚丸の頭をぶん殴った。
「む? 行ったのか?」
「(ばかっ、柚、口裏を合わせい!)」
「(あんたはここで待ってたことにするよ)」
柚丸は呆れてしまった。この男のほうが近くまで行っていたから、敵情に詳しいと思ったが。
「このおっさんは俺が引き返してきたときに、ここで茶を飲んでたんだよ。やっぱり、困ってるらしい。
俺は手前まで行ったが、詳しくはよくわからん。ただ地の利は理解していそうだった」
武士の一人が顎――面頬を撫でる。相手を威圧するためなのか、恐ろしげな鬼の面頬で、血の色に塗られている。
「なるほど。かたじけない。ゆくぞ」
「待ってくれ。俺も行く」
「なぬ? これは遊びではない。童は家に帰るが良い」
「家なんかねえ。食うために褒美が欲しいんだよ。敵一人につき五十文でどうだ」
すると徒の一人が、
「無礼千万、この餓鬼」
と腕を振り上げた。
柚丸は打ち下ろされる平手を避けなかった。
すばやく己の左手を相手の手首に添え、右の手刀で肘を打撃。徒の腕を曲げさせると、その勢いを利用して、右に勢いを流して攻撃をいなす。
「役に立たねえと思うか。そこのお侍から一本取ったぞ」
場上の、鬼面頬の武士は「不遜だな。実に危うい」と断じる。
「足軽雑兵が一人はいたほうがいいんじゃねえかと、あっしなんかは思いやすがね。ええもちろん、あっしみてえな彫り物師なんぞは、槍なんか持ったって、振り回されるのが関の山、へへ」
重五郎はあくまでも下手に出ると決めているようだ。
「なるほど。このようなみなしご一人、骸になったところで鴉共の腹を満たす程度か。大局に触りあるまい」
攻撃をいなされた徒の侍はなにか言いそうになったが、黙り込む。
「よろしい、ついて参れ。一人五十文、しかと懐を潤すが良い」
そうして武士の一段に加わり、柚丸は歩き出した。
さきほど攻撃を流され、面子を失いかけた男は、「卑しい浪人め」と、聞えよがしに舌を打った。
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