穴にハマったアリスたち

gooブログから引っ越しました。

ご指摘があったので返信記事です

引用いただいていたので返信記事です。

 

note.com

 

初めに大前提。引用は正当な行為ですから、それ自体は特には気にしません。

ただ指摘を受けたのなら、指摘を返すのも礼儀だと思いますので、返信です。

 

まず全体をまとめると「描写されていることはそのまま受け取ろう」につきます。

些細な枝葉の描写ならいざ知らず、そのキャラの中心描写や、お話の山場を無視してしまうと全体の整合性が取れなくなります。

公式を受け入れる。まずはそこです。こねくりまわす必要はないのです。

 

以下、個々に返信します。

 

■ぼくプリ1部のラストの理解が飛躍している

あの時点では続編は告知されていないので、確定したラストです。

これはぼくプリが嫌いだから批判してやろうではありません。同様に不穏な描写で終わったオトナプリキュアについても、私は無視することなく、これが確定したラストであるとして解釈しています。

※ぼくプリ3部は未観劇です。引用元の記事が書かれたのは3部公開前なので、その前提で進めます。

 

■善意から故郷を崩壊させたナッツも悪者になってしまう

ナッツは最初から失敗として描かれています。ナッツの行動はキラキラしていたよねと本編で描写し、ラストのエンディングで「故郷は滅びた」と明かされたのではありません。

 

■ぼくプリもダンスの前に肉弾戦をしている。だからカグラへの指摘は誤りである

肉弾戦(プリキュアでの荒々しいダンスを含む)が通じなかったという展開なので、反論になっていません。

カグラの一件は第二部の中心描写です。変身後の荒々しさでは通じず、変身前の(劇中の言葉を借りるなら)女の子らしいダンスで窮地を脱しています。

 

そのままを見ればよいのです。描写されていることです。

 

■男性らしく振舞っていた人が、女性らしいプリキュアになったケースがある

おそらくサンシャイン/いつきのことを言っているのだと思いますが、比較すれば全く違うとわかります。

 

サンシャイン:

女の子が、男らしくあるべきだと思っていたが、女の子らしくプリキュアになった後、変身前も女の子としてふるまう

 

カグラ:

男の子が、男らしくあるべきだと思っていたが、男の子らしくプリキュアになった後、変身前は女の子としてふるまう

 

サンシャインは「女の子だって暴れたい」そのままです。男の子化することなく、かわいい格好で女の子も暴れてよい。

カグラは元の性別とは異なる女の子に帰着しています。男の子だって女の子(ここでの意味はおしとやか等)でよい。

 

反論になるどころか、まるっきりの逆です。

※公平のために触れておくと、例にあげるならヒメルダの方がまだ近しいです。

 

■肉弾戦をしないプリアラやわんぷりは暴れていないのか

プリアラもわんぷりも戦っています。

ティラノサウルスにバリアを至近距離からバリバリかみ砕かれたり、斬撃見舞って空中戦したり、拘束して大技ぶちこんだり、トゲつき遠距離武器でゴリゴリ削ってる人たちのどこが戦っていないのか。

 

現に悟くんは「みんな頑張ってるのに僕は…」と自責に駆られています。まゆは「怖くない怖くない」と自分を鼓舞しています。明らかに「暴れて」いる。

そのままを見よう。描写されていることです。

 

■ブラックペッパーは暴れている

プリキュアではないです。

 

■「頭がよい」は男子のアイコンだ

発端は「男の子は暴れる。女の子はおとなしい」です。男の子は外で走り回り、女の子は絵本やおままごと。

「頭がよい」は女の子のアイコンです。「女児の方がおとなで頭いいよね~」というのは育児界隈でよくきく偏見です。

 

※「女の子だって暴れたい」は「女の子らしさを捨てる」は意味しません。後述。

 

■ツバサは空をとぶ夢をウィングで満足させた

そのような描写はなかったと記憶しています。逆に明確に「夢を変えてもよい」というエピソードがあります。夢はかなっていない扱いです。

 

■敵に立ち向かう心構えも「暴れる」に含めれば、暴れない男子プリキュアは無理だ

拡大すればその通りですが、その理屈ではありとあらゆるものが等しく「暴れる」判定になり、「暴れる女の子」も意味を失います。みんな暴れてる。

不毛でしょう。違いは違いとして見ればよいのです。

 

■「女の子だって暴れたい」には男の子がどうあるべきかは述べられていない

その通りです。この一文だけを見るなら「男の子だって暴れたい」も出てきません。

ですが発端が「男の子は暴れる。女の子はおとなしい」へのカウンターだったことは周知の事実です。ならば「男の子だっておとなしくいたい」は必然でしょう。

 

そして推測の通り、15周年のはぐプリにて「男の子だってお姫様になれる」と言語化されています。

 

■アンリはプリキュアになっているからお姫様ではない

「男子プリキュアも暴れているはずだ。だからお姫様ではない」との論点先取です。

 

アンリは激しい肉弾戦は行わず、主眼はフィギュアの演技です。

彼は「男だの女だのやルールに縛られない」という生き方を好んでいましたが、これはプリキュア的ではなく、敵組織の思想であると明示されています。

そして成長に伴う肉体の変化などで、現実として男性の制約を自覚。事故やそれらの制約を受けいれ、ファンが望むアンリ像を受け入れる。それを経てのプリキュアで、その後、選手を退いています。

「前線で戦わなくてよい」を体現しているのだから「お姫様」です。(性自認の話ではないです。念のため)

 

■女の子も男の子と変わりない活躍ができる

その通りで、男の子も女の子と変わりない活躍ができるのが本来です。

つまり後方部隊です。現実でいえば専業主夫などですね。「男の子だってお姫様になれる」と全く矛盾しません。きれいに整合します。

 

■戦いを否定すれば男性らしさから逃れられるというのは短絡的だ

誰かそのようなことを言ったのでしょうか…?

「女の子だって暴れたい」に対して「戦えば女の子らしさから逃れられるのか」などという人はいないでしょう。いわゆる女の子らしいといわれるメイクや育児などもしています。男性化しないでも暴れられるというのが肝なんですから、「女の子らしさから逃れる」ではありません。逃れているのは「女の子はおとなしい(暴れるのは嫌いだ)」のみの話です。

 

「男の子だってお姫様になれる」も同様です。女性化しないでもおとなしくいてよいのです。

プリキュアではありませんが、視覚的に分かりやすいので例として挙げると、わんぷりの犬飼父です。筋骨隆々でいわゆる「男らしい」一方で、家事などの「女らしい」役割が目立ちます。「家事は女の役割だから、家事をする男は男らしさを捨てて女性化すべきだ」ではなく、男らしさのままです。

 

「男の子」「女の子」の語が渋滞しているので混乱するのはわかります。が、話はシンプルです。プリキュアは、プリティでキュアキュアな女の子が暴れるコンテンツでしょう?それの対で、逞しい男の子がお姫様になってもよいのです。

 

■ウィングは男の子であることを強調していないのが良かった

これは好みの問題なので反論ではなく、シンプルに問題点として挙げます。

 

・同棲やパジャマパーティ等に制約がでる

・特にウィングは、血縁のない男性による保育という女児の親が気にする要素が入っている

・先入観を捨ててそのままを見るならハーレム願望の体現者である

 

これらの問題があるのに男子である意味がないのなら、「じゃあ女子でいいじゃないか」となってしまいます。「男子でもプリキュアになれること示す」というのは内輪の話にすぎません。

 

私としては「意味はある。彼はプリキュアでは夢は叶わないことを示し、賢者という別の道も提示した」という意味で、男子である意味があったと考えています。だからハーレムに見えたりする問題があったとしても、やる意味があった。

男子プリキュアを一切否定せず、本編とも合致していると思うので、なぜ「意味はなかった」を採用したいのかはシンプルに疑問です。

 

■女の子だって暴れたいはコンセプトのひとつにすぎない

公式が全プリキュア展の最も大きな展示スペースでデカデカと「女の子だって暴れたい」と掲示しています。

 

また「女の子だって暴れたい」に反しているぞ!だから男子プリキュアはダメなんだ!という意見には私は反対します。

再三書いている通り、「女の子だって暴れたい」からは「男の子だってお姫様になれる」が自然に導出され、現行の男子プリキュアの描写と整合しています。否定する必要がない。

 

■「男の子が女子プリキュアを応援するのはおかしいという偏見をなくすべき」についての指摘

男子プリキュアは男児のため論は、どう足掻いても差別です。公式もこの論法の危険には気づいているのか、私は見たことがないです。

 

スカイが好きな子がたまたまスカイの衣装がなければ、プリズムの衣装を勧めはするでしょう。子供は悲しむでしょうから運営や公式に物申すのは当然ですが。

ウィングが好きな子がたまたまウィングの衣装がなかった時も、同じようにプリズムの衣装を勧めるのが先です。子供は悲しむでしょうから運営や公式に物申すのは当然ですが。

 

前段の「他の衣装を勧める」話と「子供が悲しむ。不満を持つ」の話を混同しています。

 

■誰かを助ける方法は多い方がよい

男子がいるから見ないと考える子供もいるので、方法が増えているとは言えません。

現によく聞きますよね。「男子プリキュアが嫌なら見るな」と。

 

■柔軟であってはいけないのか

まず「なんでもあり」では商品として成立しません。制約はあります。だからコンセプトや社是が世の中にはある。根幹が共通しているから、表面的な「殴打しない」等の様々な挑戦をしても「これはプリキュアだ」と認識できる。

 

その上で今の男子プリキュアはコンセプトに反していません。「男の子だってお姫様になれる」です。固く考える必要は何もないのです。

 

■ぼくプリ第2弾のテーマ

そのまま見るなら「男の子だってお姫様になれる」です。プリキュア(荒々しさ)ではだめだと明言され、プリキュア以外の能力で窮地を脱している。

 

女性幹部は「(男の)お前たちには、(女の)私が受けた理不尽は分からない」と語っています。ダンスの役割の文脈ですから、女の子だって暴れたいの精神。

一方カグラは、変身後の荒々しさが通じず、変身前で解決(男の子だって暴れたいではなく、男の子だってお姫様になれる)。見たそのまんまです。

 

そのまんまを受け取るなら「普通に暴れることができる男には、女の子だって暴れたいの切実さは分からない」であり、一方で「暴れることから解放されたい男の子」でしょう。

「男でも女の子らしくなりたい=プリキュアになること」ではありません。そのようなことは描写されておらず「プリキュアの舞は荒々しい(暴れる、男の子的)」とされています。

 

※私は男子プリキュア否定論者ではありませんが、「否定派はぼくプリ2部を見よ。痛快なアンサーがされている」との評には疑問です。それを言うならむしろ逆でしょう。

 

■ウィングは子供たちに受け入れられた

「値上げが受け入れられた」と言われて「値上げは歓迎されたんだ!」と考える人は通常はいません。

もちろん歓迎の意味で使った可能性もあります。が、だったら「歓迎された」といえばよかったでしょう。広報として前に出るのですから、言葉は事前に検討したはずです。

 

これは「だから失敗だったんだ!」と断言はできません。同時に「だから成功だったんだ!とも言えません。

 

■もはや、男の子プリキュアはありえないものではない

設定上はフレプリの頃から男子でもプリキュアになれると提示されています。プリアラでも、いちか(および純粋な幼児視聴者)の目線では、一時的に男子プリキュアが誕生しています。

 

いまやノルマのように毎年変身し、直近の新シリーズ5作(デパ・ひろ・ぼく・わん・キミプリ)でいえば、「女子が変身しなかったシリーズ」はあるのに、「男子が変身しなかったシリーズ」はありません。※ぼくプリ3部は未観劇。

固定観念のような話をするのなら、男子プリキュアにこだわることこそが固定観念でしょう。いまや「固定観念を破って、男子が変身しないシリーズをやってみては?」のフェーズです。

 

そもそも固定観念を破ることそのものに私は意味を見出していないので、この論には強くは賛同はしませんが、固定観念を持ち出すのであれば、必然的にこうなるでしょう。

 

■こねくりまわした結果、表面的な結論に至っている

一つには私が思考過程をそのまま書いている部分があるからです。考えながら書いていることが多いので。「ああなのか?こうなのか?」を列挙したのちに「ああ、この視点なら一本の線が通るぞ」といった書き方にえてしてなります。

そのため「終わってしまえば単純なことだったね」はむしろ正しい姿だと思っています。

 

個人の好みは自由です。なのであくまで私の好みとして述べますと、わざわざ「キャッチコピーは今は形骸化していてーー」「暴れるの基準をここではこうすればーー」「この描写は無視してーー」「固定観念がーー」と都度こねくりまわすよりも、

 

『女の子だって暴れたい(男の子だってお姫様になれる)に、男子プリキュアは合致している』

 

の観点で解釈すれば、すっきりします。

オッカムの剃刀の例の通り、シンプルであることは考慮不足を意味しません。

(もちろん「暴れる男子」を好むのは自由であり、番組に批判や要望を述べるのも自由です)

 

以上で一通りの返信です。

発端が連絡なしの引用でしたので、こちらもそうしますが、もし再指摘があるのでしたらXの方にご連絡もらえるとレスポンスしやすいです。

正直なところ、男子プリキュアを否定していないのに、男子プリキュア否定派と一緒に並べられているのは疑問です。「ツバサの魅力はかわいさだ」に対し「いいや格好良さだ」と反論されている感覚でいます。