ブルーインパルス2番機パイロット「あの日、力になれなかった」葛藤を胸に "不死鳥"の編隊飛行に込めた故郷への恩返し
一糸乱れぬ飛行のためチームが心を合わせる時間です。 松永大誠 3等空佐「みんなで食べて、みんなで飛ぶところまで一緒です」 ――1人で食べたいとはならないですか? 松永大誠 3等空佐「いや、ないです。常に隊長の横に!」 飛行隊長 江尻卓 2等空佐「常に隊長の横ではないだろ(笑)真面目にちゃんとやる。こういうおちゃらけるところもある。メリハリのあるいい人間」 ■松永3等空佐と"熊本地震" 松永さんがブルーインパルスのパイロットになるきっかけ、それが熊本地震でした。 2016年4月14日、戦闘機パイロットとして山口で養成期間中だった松永さんは、テレビで流れる映像に我が目を疑いました。 実家の家族も被災し、一時、避難生活を余儀なくされました。 松永大誠 3等空佐「家族が家に住めない状況だったので、私も直接行って支援したい。直接手伝いたいとの思いはありましたが、自分の置かれた立場で精一杯頑張ることが自分のやるべきことかなと思い、ぐっとこらえた」 「ふるさとのために何かできることは無いのか」 松永さんが葛藤を抱える中、熊本地震の翌年、ブルーインパルスが熊本の空を飛んだのです。 当時、県外にいた松永さんの元にも家族や友人から感謝の言葉が届き「こういう支援の形もあるんだ」と気づかされたといいます。 松永大誠 3等空佐「みんなを感動させたり笑顔にさせたり力がある部隊だなと」 ■「故郷の力になりたい」 狭き門をくぐり、3年前、プルーインパルスのパイロットになった松永さん。 地震直後からずっと胸にあった「故郷の力になりたい」を形にするときが来ました。 熊本地震から10年の節目に再び、ブルーインパルスが熊本の空を飛ぶことが決まったのです。 松永大誠 3等空佐「熊本出身ですので熊本のみなさんに、知り合いや家族に見てもらって少しでも復興の力になれれば」 熊本入りしたこの日は、当日の飛行ルートなどを協議しました。 熊本市の担当者「前回、地震が発生して間もない時期に飛んでいただいたので、入れないエリアがあったが、今回、それが入れますので。例えば天守閣前とか」