事故後からの流れ 3月18日
事故後3日目の内容を時系列で記します。内容は、学校、ツアー会社、海上保安部、ホテル関係者、キャンプ・シュワブに対し、大きな誤りがないことを確認済みです。
調査や捜査に影響を与える可能性のある内容は省いております。
内容は主に、長女のメモをベースにしています。
時刻表記はおおよそのものです。
移動手段やホテルについては、記述がないものは全額学校負担でツアー会社手配のものとなっています。
報道機関の方々へ:Noteで私が投稿するすべての文面や写真については、報道や記事において、自由に利用いただいて問題ありません。
3月16日 (月) https://note.com/beloved_tomoka/n/n55f4f69741a2
3月17日 (火) https://note.com/beloved_tomoka/n/n91d4a369efae
06:13
連日、食事も喉を通らず眠れなかった妻は、「知華の最期の場所を見なければいけない」とずっと口にしていた。18日明け方、まだ行けていなかった辺野古漁港に一人で向かうことを決意。知華がボートに乗る直前、バスに置いていったと思われるパーカーと帽子を着用し、「メディアに囲まれずに行けるのは今しかない」「知華が呼んでいる気がする」と、寝ている私と長女を起こさないようそっとホテルを出た。 移動手段:タクシー(自費)
06:20
タクシーに乗車。事情を説明すると、ニュースを知っていた運転手さんは協力を約束し、温かい言葉をかけ続けてくれた。沖縄の方の温かさに触れ、妻は涙が止まらなかった。
07:00
私が妻の不在に気づき、位置情報で確認して連絡を入れる。声と話の内容から安全と判断し、見守ることにした。
07:46 辺野古漁港に到着
妻もタクシーの運転手も、平和丸が今どこにあるか分からない中、漁港に着いて車が止まると、目の前に平和丸が置かれていた。規制線もなく、献花もなく、そこに置かれていた。
この時は、転覆時に知華がどこに座っていたか、救助された時にどこにいたのか、まだわからなかった。
早朝とはいえ漁業関係の方はおり、人目を憚りながら船のへりに片手を添えて知華の名前を呼び、迎えに来たことを伝えながら、後に確認できるよう写真と動画を残した。
https://youtube.com/shorts/_-peR02BDk4
07:57
転覆現場が港から見えるか確かめるため、船着場の奥へと歩く。小高い防波堤を進んだ先に階段があり、登ると神社があった。手を合わせ「知華を連れて帰ります」と拝み、タクシーへ戻る。
ニュースやSNSで見ていた現場は、辺野古漁港から想像をはるかに超えて遠く、目で確認できる距離では全くなかった。
08:10
報道関係者らしき車が2台到着したのを見て、小走りでタクシーに乗り込む。
08:22
現場にもっと近い海岸に出られないかと運転手に頼んで走り出したが、どこも工事車両入り口となっており、それ以上進めばかえって現場から離れてしまうと告げられ、Uターン。
08:30
工事車両搬入口の警備監督の方に直接交渉するも、「私からの依頼では権限もなく何日もかかる。米軍のビジターセンターに直接依頼する方が早いと思いますよ。」と教えられる。
08:40 キャンプ・シュワブのビジターセンターへ移動。
08:50 ビジターセンターにて交渉
事情を説明し、転覆現場に最も近い場所への立ち入りを直接交渉。10分ほど待ったあと、上層部に確認し、後で連絡をくれる運びとなった。今回の滞在でここに来れるのは、今日の午後15時以降しかなさそうであることも伝える。交渉への感謝を伝え、ホテルに戻ることとする。
09:10
妻がタクシーでホテルに帰る途中、海上保安部から私宛に電話が入る。妻が現在辺野古にいることを私が知っているかどうかの確認。おそらく米軍から海上保安庁に照会があったと思われる。すでに辺野古を離れ、ホテルに戻る途中だと伝えると、辺野古漁港は報道関係者が多いことを伝えられた。
10:10 妻、ホテルに戻る。
10:20 学校側との面談
教頭先生に加え、前日深夜に那覇に到着した校長先生・学年主任、学校法人同志社法人事務部長とホテルで面談。校長先生らは前日17日に記者会見を終え、空港で帰りの生徒を出迎えた後、深夜に那覇に到着していた。
事故経緯の説明と謝罪を受ける。
私たちは悲しみ、怒り、不満の感情を一通りぶつける。
その後、妻から、早朝に辺野古漁港へ一人で向かったこと、船には花一つ手向けられていなかったこと、一緒に献花をしてほしいことを強く伝える。前日の記者会見内容に関する質問を行う。通夜・告別式への参列を希望する生徒が出ていることを報告し、学校側での対応を依頼する。
12:55 琉球大学病院へ
司法解剖の結果を聞きに向かう。同行:教頭先生・学年主任。
病院で海保の方2名が合流。
13:30 海上保安部と現場献花についての打ち合わせ
解剖結果を聞くまでの待ち時間、海上保安部の方と転覆地点での献花に関して打ち合わせを行う。
米軍基地内への立ち入りは、現状、海保から許可を通すのは難しい
辺野古漁港にはメディアがいる
海上保安庁の巡視船・ボートは波の状況を考えると難しい
今回の滞在中は見送り、もう少し時間をおいてからの方がよいかもしれない
平和丸は今日10時過ぎに協議会の敷地に移動されたので、今は平和丸を見ることはできない
辺野古で静かに平和丸を確認することができるのは、妻が朝行ったあのタイミングが最後だったと考えると、妻の行動力にも「呼ばれた気がする」にも、私は異論なんて言えない。
13:32 キャンプ・シュワブからの回答
キャンプ・シュワブから妻の携帯に連絡が入る。「上層部に話を通したので、本日いつでもいらしてください。」
打ち合わせ中だった海上保安部の方にキャンプ・シュワブから献花の許可がおりた事を伝えると、大変驚いていたが、以後の細かい交渉は海上保安部が引き継ぐことに。
13:50 医師から司法解剖の結果を聞く
溺死であること
詳細な死亡時刻はわからないこと
傷に関する説明
一般論として、苦しさは短時間である、ということ
14:30
葬儀社に遺体を引き渡す。大学病院から安置所への車の見送りは、家族、教頭先生、学年主任、海上保安部2名。私たちに同行していた教頭先生は、これから校内対応で京都に戻る旨を私たちに伝え、ここで行動を別にする。県庁に立ち寄った後、病院に到着した校長先生・法人事務部長の2名が合流。
キャンプ・シュワブへ向かう。(同行:校長先生・法人事務部長・学年主任・海上保安部2名)
15:00
知華の同級生から、葬儀への参列を希望する声が多く届く。搬送場所と日時の変更は難しいため、会場を広い場所に変更できるか葬儀社と火葬場へ申し入れを行う。学校側から、参列する生徒のホテル手配と交通費は学校が負担することが示される。
長女は、参列希望者の人数を確認するためのアンケートフォームを作成する。事故後から積極的に連絡を取ってくれていた知華の親友に、同級生への周知を依頼。
15:52 キャンプ・シュワブ到着
到着時、ビジターセンター入り口で関係者の方々が外で待機し、出迎えてくれた。海上保安庁と米軍が調整し、私たち遺族5名と学校関係者3名(校長先生・法人事務部長・学年主任)の同行が許可された。基地関係者の方が運転する車で移動を開始。まず工事エリア外の岸壁へ案内された後、責任者の許可が下り、転覆現場に最も近い工事現場へ移動することができた。
16:30 桟橋に到着
平島と長島の間から、常に白波の立つリーフエッジが遠くに見えた。知華が乗ったボートが転覆し、救出された場所。
強い風の中、長い時間をかけて献花と黙祷を捧げた。花束は海上保安部の方に妻が依頼して用意してもらったものと、学校側が用意したものだった。最後に基地関係者の号令で全員黙祷。花は放置できないため持ち帰り、後で知華の元へ届けることにした。
同行したキャンプ・シュワブの方々は多くを語らないが、立ち居振る舞いには、失われた知華の命に対しての敬意が込められていた。
ご協力いただいた方々に深くお礼を伝え、ホテルに戻ることにした。
17:00 キャンプ・シュワブからホテルへ
知華が旅行2日目に泊まった、前日とは別のホテルで、知華と同じ部屋をツアー会社を通して希望していた。予約時は難しいとのことだったが、ホテル側に調整いただき、同じ部屋に泊まることができた。
19:00 家族写真
知華が事故前日に家族グループに送ってきた写真と同じ場所 (下記記事Top画像) で、知華の写真とともに家族写真を撮る。
妻のおかげで、今、知華が一緒にいる気がしていた。
19:10 ツアー会社との面談
那覇に到着していたツアー会社の社長を含む3名とホテル会議室で面談。経緯の説明と謝罪を受ける。Fコースは学校手配だが、真摯に対応する旨の説明を受ける。私からの怒りや不満への謝罪を除いた、社長との主なやり取りの要約:
Q. 学校から船の手配を依頼されていたとしたら、あのような船を手配する可能性はあったか。
→ ツアー会社として安全基準の確認を行うため、あのような船を手配することはない。
Q. 学校の旅程を打ち合わせたり現場を見たりした際に、安全面での指摘やアドバイスはできたのではないか。
→ 学校手配とはいえ、プロとして安全管理にもう一歩踏み込むべきだった。
Q. 3日目にツアー会社の添乗員は何人いたか。
→ 4人。B・C・D・Fコースについていた。添乗員の名前は現時点で教えられない。
Q. 添乗員がつくコースとつかないコースの基準は何か。
→ 今回については確認が必要だが、複雑なコースや、ツアー会社側で手続きが必要なコースを中心に配置することが多い。
Q. Fコースの添乗員の役割は何だったか。
→ 旅行が安全かつ円滑に運行されるよう調整・管理を行うこと。
Q. 事前に船の確認や船長との打ち合わせに参加したか。
→ していない。最初の段階から関わるべきだったし、出航判断についても、止めるなりアドバイスするなりする使命があったと思っており、申し訳なく思っている。
Q. 初日のホテルについて。娘が亡くなったと聞き、急ぎ沖縄に来て、遺体と対面した直後の私たちを、階も離れた別々の部屋に案内するとはどういう判断だったのか。辛くてとても一人で眠れない、家族共に過ごしたかった。
→配慮が足りなかった。大変申し訳ない。
Q. 知華の荷物も、破れた段ボールに無造作に詰め込まれた状態で渡された。
→不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ない。
19:30 打ち合わせ中にJALから連絡あり、帰りの飛行機が確保できた。
19:50 ツアー会社との打ち合わせ終了。
20:00 葬儀社の安置室へ移動
(同行:私・妻・長女・祖母 (祖父は疲労でホテル待機))
参列希望の生徒や保護者から、長女の判断だけで回答できない質問も寄せられ始めたため、学校側に問い合わせ窓口を設けてもらうよう、校長先生に依頼。すぐに窓口が作られる。
22:00
葬儀社により修復・エンバーミング・化粧をしていただいた状態で再度対面。 顔や解剖の傷跡、髪など、綺麗に整えていただいた。長女が普段の知華に近いメイクをのせる。 前日に買ったピアスを妻と長女でつけてあげた。
翌日の出棺・飛行機などを確認する。
23:00 ホテルへ
23:40 ホテル着
3月19・20日に続く
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知華さんのご家族が沖縄で思いやりの現地の人に出会えたことが唯一の救いだと感じました。 深い悲しみを与える人もいれば、悲しみを共感してくれる人もいる。 苦しい中、文章にまとめ、わかりやすく伝えてくれてありがとうございます。 無理なさらず、ご自愛ください。 知華さんのご家族のこと…
お辛い中情報発信ありがとうございます。 動画も拝見しました。 こんな船に乗せられて荒れた海に投げ出されどれだけの恐怖を味わったことだろうかと思います。 こんな悲惨な事故を起こしていながら当事者は責任をとるどころか情報発信すらほとんどないように思います。 彼らに対して毅然と追求する…
娘さんが立ち寄った最後の場所に報道陣の邪魔が入らず奥様が行って帰って来れたこと、可能な限り最も近い場所から献花できたこと、宿泊したホテルと同じ部屋に泊まれたこと、それら全てが円滑に進んだこと、、、娘さんもご家族を呼んでいたのだと思いました。涙が出ます。
学校、当事者団体、旅行会社の3者の事故後の対応が、あまりにも世間一般の常識とかけ離れ過ぎているように感じます。 学校は始業式でも黙祷も捧げなかったようですが、もし事実であれば、悼む心を持ち合わせていません、と言っているのと同義であると感じてしまいます。 このコメント書いているだけ…