弱者にばかり求められる不思議
自分が感じるしんどさを吐露すると、「考えすぎ」「自意識過剰」「自分が変わればいい」「そんな自分も許して周りを受け入れろ」と返ってきたりする。
確かにそうだと思える部分もある。現状を変えるために自分自身にも変化は必要だ。
“自己責任“という言葉があちらこちらから聞こえた時代をトランス女性として生きてきた身からすると、それは当然のように自分の中でも周りからも求められたごく当たり前な姿勢のようなものだった。
しかし、世の中にはその姿勢を貫けない人もいる。
「トランスジェンダー当事者に対する差別などない!」「そう見せかけているだけだ!」「嫌なら男として生きていけばいい!」トランスジェンダー女性に投げつけられたこの言葉の数々に対して、生きる気力を失いそうになる当事者はいる。そんな彼女らに対して、「申し訳ないが、あなたにも問題がある。ひどいこという人もいる。世の中そんなものだ。仕方ない。」そんなふうにやられた側だけに我慢と変容を求めるのは、とても残酷なことだと感じる。
そう言った暴言を野放しに、叩かれるものが強く変わらなければならい。そんな弱肉強食のような、今の世の中を包むどんより濁った在り方こそ、私は変わらなければならないと思う。
今SNS上に起こるトランスジェンダーに限らず、一部の個人や属性を標的にした叩きなど嫌がらせを見ていると、学校にあったいじめが思い出させたくもないのに浮かんでくる。気づけば悪者にされて、なぜか責め立てられて無視され悪口や陰口など、終いには何をされても仕方がないみたく自他ともになっていき、最後は味方がいなくなり孤立する。
そのうち自分が自分を信じられなくなり、最悪自分を嫌悪し命を断つみたいな。
こういう事はやる人はやるから仕方ないで済ませようとしてきた結果、未だに学校でのイジメ、SNSでの嫌がらせによる自死がなくならないのではないか。
とはいえ、私の生きているうちにこういう事が完璧になくなるとは思わない。しかし、それを仕方ないことだの一言で流してしまいたくない。今も、その不遇の中にある人がいるのならば。


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