備中高松城は、岡山市北区高松町にあった羽柴秀吉による水攻めで、あまりにも有名な場所。
水攻めの方策は、黒田官兵衛の案だそうだ。高松城をぐるりと囲むように築堤を構築し、内部を人為的に湖にすることで城を孤立させている。
水攻めを感じたくて、今回訪れることにした。
最初に見ることにしたのは、本丸跡の史跡。
最初の感想は、「なんやこれ!メチャ低いやん」ですね。
広大なフラットな平野にポツンと1~1.5m程度の高台がある程度。
本丸跡の周囲には、沼地がある。ここ備中松山城の周囲は、低湿地が広がる事により、攻めるに難しく、守に固かったそうだ。たしかに、この沼が永遠に続いていると、進軍する気はおこらんわな。それにしても、城としてはあまりにも高低差が少ない。
少しの比高を登ったら、これまたフラットな本丸跡。芝生広場になっていた。まあ、城跡としては見るべきものが少ないでしょうね。
二の丸付近に、標高のモニュメントがあった。本丸の高さ7m。
これは、なんかおかしいぞ。どうみても、7mはないし、2m程度ではないだろうか。ここで、国土地理院の地形図で確認。やはり、標高(海抜)が7m前後だったので、本丸の高さ7mという表現よりは、本丸の標高(海抜)は7mの間違い?
ここの時点で、分かったことは2点。
1.備中高松城は周辺地域がほぼフラットな地形で、たしかに城跡だけこんもりしているが、ほんの少し高いだけである。
2.海抜7m程度である。
さて、次は水攻めを行うにあたり、築いた築堤跡を見に行こう。
蛙ヶ鼻と呼ばれる、現在に残っている築堤跡は、城跡から1km弱くらいであろうか。
付近に駐車場が無いので、歩いていくことにする。ここらもフラットな地形が続いている。
ええ、あれが築堤跡?というのが、最初の感想。
山裾にぶつけるイメージの築堤であるが、高低差は3m程度であろうか。
せっかくなので、築堤に登ってみる。
ここにも、比高差の明示版があった。
この2か所を見ることで、水攻めの全容がやっと理解できた。これを表すと、以下の流れになるのであろうか。
また、築堤の断面図は以下の様になるのだろうか。
ここで、重大な疑問が。
備中高松城の周辺地盤の標高は5m程度。(地形図より)
本丸の標高は7m程度。
この築堤場所の周囲の標高も5m程度。(地形図より)
そして、築堤の頂部は標高8.4m。
その場合の、築堤の比高差は3.4mとなる。
それなら、すべての辻褄があう。
その場合、江戸時代の文献で記載されている、高さ8mの大堰堤は間違いでないのだろうか。標高8mで、比高差は3.4mが正しいのでは?
非常に疑問が残った、水攻めについてであった。
最後に、周辺地形と築堤、本丸の関係を自分なりにまとめてみた。個人の見解ですけど。
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