野手転向した阪神・西純矢、わずかプロ6年で終わった“超逸材”の投手人生が惜しすぎる【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.90』】
阪神の若きエース候補だった西 純矢投手(創志学園)が野手転向となりました。 阪神での6年間は、37試合で12勝7敗。今季は右肘の怪我の影響で一軍登板なしに終わりました。高校時代、投手としての才能の高さに惹かれた者としては残念ですが、野手として頑張ってほしいと思います。 【一覧】19年の高校日本代表候補 高校3年時、現場で見た西選手の野球選手として能力の高さは素晴らしいものがありました。 1年生のときから145キロ。最終的には常時150キロ台をマークする投手に 西選手の存在を知ったのは高校1年秋。地元ライターのレポートで、「将来有望な1年生投手」として紹介されたのが西選手でした。 当時から最速145キロを計測していた西選手は、順調に成長を遂げていき、2年夏は最速150キロのストレート、切れ味鋭いスライダーを投げ込む剛腕に。岡山大会決勝戦に勝ち進み、決勝では金村 尚真投手(日本ハム)擁する岡山学芸館を破り、初の甲子園出場を決めました。 投球以上に印象に残ったのが打者を抑える度に雄叫びを何度も上げる姿でした。 甲子園の創成館戦では15奪三振完封勝利。常時145キロほどの速球、130キロ台の高速スライダーで奪三振を重ねる投球は、翌年のドラフト上位候補になるのは間違いないと思わせてくれました。 しかし2年秋、センバツをかけた中国大会準決勝の広陵戦に先発した西選手は、2回に1点を失い、8回裏に6失点を喫し、8回コールド負けでセンバツを逃してしまいました。当時の投球を振り返ると、140キロ台後半の速球は勢いがあり、スライダーのキレも悪くありませんでした。ただミート力の高い広陵打線に甘く入ったボールをしっかりと弾き返され、守備のミスも重なり、大量失点を喫しました。能力こそ高いものはありましたが、まだまだ安定感は欠けていました。 3年春、西選手は高校日本代表候補に選出され、研修合宿で登板。春先ということもあって、あまりボールは走っていませんでしたが、145キロ前後の速球、フォークを器用に投げ分ける投球が光り、実戦力が増していました。 そして最後の夏になると、さらなる進化を遂げます。 岡山大会準決勝で見た西投手の投球は凄まじいものがありました。マスカットスタジアムの最速は154キロでしたが、手元のスピードガンで、最速150キロを5球計測。71球が140キロ超え、145キロ以上が56球。平均球速は145.25キロとまるでプロの先発投手のような平均球速でした。 しかもそのストレートが低めに伸びていて、ドラフト1位候補に上がる投手だと実感しました。エラーした選手の肩をたたきながら励ましている姿もあり、精神面も成長していることを感じました。