3月24~26日に開催された別府F1「ラブリン杯」を最後に、小野俊之(49=大分)が現役生活にピリオドを打った。96年4月のデビューから30年、4月に50歳を迎える前の大きな決断だった。

闘争心あふれる走りで「豊後の虎」と呼ばれた
闘争心あふれる走りで「豊後の虎」と呼ばれた

アマチュア時代から競技で活躍し、競輪学校(現競輪選手養成所)77期生を在校4位で卒業。97年10月寛仁親王牌の初出場から、G1決勝の常連として一時代を築いた。そして追い込みに転向した04年12月立川グランプリ(GP)で日本一に、その年の賞金王にも輝いた。

デビュー当初の先行から、まくり、自在、追い込み、マークと、5つの戦法で頂点を目指してきた。04年1月からは「追い込み」と決めると、「逃げ場のない一番厳しい世界に入る。ジカ競りはアウトでしかいっていない。誰もできないことをするのが好きだし、ほとんど勝ったと思う」。シビアな走りでS級トップとしのぎを削ってきた。

同県の菅原晃や荒井崇博、井上昌己ら九州勢で一丸となってG1戦線を戦ってきた。そして「楽しかった」と振り返るのは村上義弘さんとの連係だ。「いつも作戦はなし。僕は村上さんに『好きにやってください』と伝えるだけなのに、レースでは10の10で先行してくれた。村上さんの圧倒的な気持ちの強さ。いい緊張感の中で走れた」。当時の先行日本一と追い込みNo.1の連係。そこに言葉はいらなかった。

一番思い出に残っているレースも村上義弘さんの3番手から優勝した04年立川GPだ。

「あれは完璧だった。3度目の出場で初めて直前に落車をせずに迎えられた。自信しかなかった」。近畿勢の後ろから最終ホームで斎藤登志信-岡部芳幸後位に切り替えて直線突き抜けた。「あの舞台で自力がある岡部さんを外から抜いた。中(のコース)もあったが外から抜くために練習していた。イメージした通りだった」と振り返る会心のレースだった。

40代からは、けがとの戦いだった。頸椎(けいつい)骨折に、20年に左膝、22年には右膝の手術で長期欠場もあった。左膝を痛めたのは18年6月武雄の落車が原因だった。その後は手術をせずに走っていたが、20年10月佐世保ではA級予選で前の選手に離れてしまう。ここで引退も頭をよぎったが、そのレースで連係した松岡辰泰の「小野さんがGPを勝ったレースを見て、憧れて選手になった」という言葉で気持ちを奮い立たせて手術に踏み切った。しかし2年後には、同じ病院にいた。今度は右膝の手術。最近は痛み止めを飲んでレースに臨んでも体が勝手に動きをセーブしてしまう。昨年11月奈良の7着で限界を感じ、家族に「ここまでだ」と伝えた。

最後の瞬間まで練習、自転車と真摯に向き合った
最後の瞬間まで練習、自転車と真摯に向き合った

「お客さまに『頑張れよ』と声援をもらっても、申し訳ないが体が言うことを聞かない。3月まで走り切ったら選手生活丸30年。50歳からは第2の人生だと思っている。やり切ったし競輪人生に一片の悔いもない」。ラストランとなった地元F1では最終日3着で意地を見せた。今後は解説者として競輪界に携わる予定だ。グランプリからチャレンジ戦まで幅広い経験を生かして小野俊之の言葉をファンに伝える。【音無剛】

◆小野俊之(おの・としゆき)1976年(昭51)4月21日、大分県別府市生まれ。日出高(現日出総合高)卒。競輪学校77期を在校4位で卒業し、96年4月に別府でデビュー。04年にKEIRINグランプリ制覇。02年に西王座戦、11年に共同通信社杯秋本番とG2は2度優勝した。通算成績は2408戦406勝で、生涯獲得賞金は10億7388万9655円。175センチ、85キロ。血液型A。

ラストランとなった開催には小野とゆかりのある多くの選手が参加していた。ここで数人のコメントを紹介したい。

同じあっせんだった77期9人で記念撮影
同じあっせんだった77期9人で記念撮影

▽同期の小倉竜二

「(引退に)驚きはなかった。僕もわかる。けがをしては長くできない。小野はその時期が早かっただけ。高校時代やグランプリを取ったとき、彼を憧れの目で見ていました。(12年7月)小松島G3でいつもなら3番手は回らない小野が、僕の後ろなら、と付いてくれた。レースは僕と小野が後ろを見るタイミングがリンクしていたみたい。それが思い出ですね。悲しいというより次は僕の番かな、という感じ。また会う機会はあるだろうし、最後という感じはないですね」

▽同期の山内卓也

「年末に俊之から電話があった。変な時間だったから、もしかしたらそういう(引退の)ことを言ってくるのかなと思った。そしたら『もう無理』、『やり切った』って。自分で踏ん切りを付けられるんだったらね。最後も俊之らしいレースが見られた。1着よりも仕事をする。俊之らしい終わり方かな。俊之やオグに僕は引き上げてもらった。学校でもボチボチの成績だったのに、2人を追いかけてG1を走れるまでになった。感謝しかないですね」

▽同学年の佐藤慎太郎

「最後まで小野俊之の走りを見せてくれた。ハートに響きましたね。最後まで自分の走りを見せようって姿勢が見えて、やっぱり競輪っていいな、と感じた。何度もG1で戦ったし、特別な気持ちにはなる。ひと言で言うとすれば存在に感謝だね。いろんな気持ちはあるけど、確実に自分にもその時は来る。そう遠くないだろうし、それを考えながら1走1走頑張りたい。次は解説者だってね。どれだけペラ回すのか見ときますわ」

▽弟子の甲斐俊祐

「涙をこらえるのに必死でした。僕はこれからもレースが続く。この経験を生かして、もうひと回り成長したい。強くなった姿を見せたいですね。師匠に恥ずかしくないように頑張ります」

弟子の甲斐俊祐(左)には「頑張れよ」と激励の言葉を贈った
弟子の甲斐俊祐(左)には「頑張れよ」と激励の言葉を贈った