イランのニュースを某社の検索で調べると、まぁ虎の腑の悪口ばかり出てくるのであきれる。数年前の拙ブログを読み直していたら、やはり。メインのニュースの伝えるところでは、当時虎の腑が選挙で負けるという予測で、カマラ・ハリスを讃える報道ばかりで、私がかなり批判的に書いていた。あのとき、虎の腑が白い家に帰ってくると確信して書いていましたから。しかし、あの時、英国にいるリベラルの友人たちは虎の腑が負けると思っていた。彼らは虎さんが勝ったら発狂していました(笑)。
数日前、虎さんがインタヴューで、イランの現政権が武器も持たずにデモをしている女性を、ちょうど両眼の上真ん中の少し上のところを狙って銃で撃ったり、そうやって大量の自国民を殺したんだ、ろくでもない悪い連中だ、と語っていた。そうしたコメントは決してメインのニュースメディアでは流れない。
イラン国内でマスクの衛星システムを利用して画像などを発信できる人たちは、表で笑顔で基地が爆発するのを眺め、『ああ、また武器の備蓄庫がやられた。ありがとう、アンクル・トランプ。徹底的にやってくれ』とか言う、喜んでいる人のものがずいぶんたくさん流されている。一方で、停戦交渉をよく思わないアイ・アール・ジー・シーの連中と、交渉派の間で仲間割れが起っており、イスファハンでは『妥協派どもに死を!』と叫んでシュプレヒコールをあげており、アイ・アール・ジー・シーの間で攻撃も起こっている。ある意味、周辺のアラブ諸国への攻撃も、それくらい破れかぶれになっているということだろう。
パフラビ皇太子は、君たちの身の安全と生命がなにより重要だ。まだ、浮かれて通りに出て祝うときではない。今しばらく我慢して、なりを潜めているように、とメッセージを送った。
しかし、いずれにしても燃料不足はやってくる。私はちょっと、変わったものを買った。それは木の弁当箱。徐々にではあるが、外食代があがってきている。そうかといって、安いところで気にそぐわない食事をするのは嫌だ。もうひとつの弁当箱とローテーションを組んで、休ませながら使う予定だ。プラスチックとかアルミの弁当箱は味わいにかける。私は母には、家の中でもお弁当を作る時があった。母が弁当箱をあけるのをたいそう楽しみにしていたので。これからは、お弁当の時代だと思いますね。
そして、いよいよ『生活自転車』の重要性があがってくるだろう。しかし、そういう自転車は手に入らなくなってくる。『作っているところがないから』。おそらくレジャーの在り方も変わり、いままでのように自動車で遊びに行く時代ではなくなる。
しずかに時代は変わってきている。その中で、自分の生活をどの方向へシフトさせてゆくのか?が問われる。私はみんなが一つの方角へ走ると、逆の方向へ行くことをやってきた。みんながロードレーサーに行くと、私は生活自転車に切り替えた。
いま、世の中はAIばやり。だから私はAIに背を向けたことをやっている。先週、ある大手メーカーの上の方にいた方が(ジョブズなどにも会ったことがある)AIのご託宣で『アメリカはイランに負ける』と予言していた。昨日は私と会うはずだったのだが、アメリカが勝つと私が予言していて、今のところ、イランは順調に負けているので、その友人は集会に顔を出しませんでした。ウクライナとロシアの戦争でも、『AIを使っているのでこの戦争は、すぐにウクライナが勝ちます』と、YoutubeでさかんにAIの会社が宣伝していた。最近はまったく彼らのCMを見なくなりました。
AIはアルゴリズムに頼っているところがあるので、私はプロパガンダに引っ張られるところがあると考えている。
昨日、自転車関係の重要なことで、画材屋へ行かないといけない用事があった。ものの引き取りだったのだが、最近は絵のふちに使うマットが選べなくなっている。見たら、のきなみ製造中止。もはや額装などをする人は極端に少ないということだ。額も選べるもののはばがなくなっている。たしかに、大規模な書店へ行っても画集が極端に少なくなっている。細部を確認したい時、大判の画集と言うのはじつに役に立つ。パソコンは決して画集の替わりにはならない。AIの描いた絵と言うのを見ると、何と何を合成したのかおおよそわかる。先日も『クロード・ロランとギュスターヴ・モローとラファエッロを足して3で割ったようなものを見た。”しろうとを驚かせるにはいいのかもしれないが、じつに薄くてつまらない。” AI美女が面白くない、無個性な美人が多いのと同じだ。
私は、このところ焼き物を少し買い足した。もう、今後は電気炉で焼いた焼き物しか買えなくなると思うからだ。重油のものはまだいくらか生き延びるだろう。しかし、松などの薪で数日間焼しめたものはますます難しくなると考えている。遠からぬうちに不可能になる。なんと表現したらよいのか、焼き物は『手の中でつめたく燃えている炎の塊』という感じ。電気で焼いたものと薪で焼いたものはまったく違う。電気のものはコンピューターとセンサーで、そこそこ焼けるかもしれないが、薪で焼いて灰をかぶった表面の焼け方であるとか、酸欠で灰色になった部分とか、そうした自然が生み出した見飽きない美は、とうてい電気窯やコンピューター管理で何とかなるものではない。
古本屋も代替わりで、もう売れないような本は、一律500円、800円、1000円でならんでいる。これは私には宝の山。昔は一冊7000円、8000円、10000円で、読みたくても買えない本でしたから。そういう本の内容は決してインターネット上に流れていません。
1985年ごろ、みんな英語を勉強するのをやめて、ドイツ語に切り替えていた。これからはEUの時代で、ドイツ語が英語にとってかわると言われ、語学学校もドイツ語は満員だった。いまや、ドイツは化学産業も国外へ流れ、自動車産業は壊滅、クラシック音楽すらも、各種のコンクールでドイツ人音楽家は優勝できなくなっている。
今のような時代だからこそ、流されず『自分の羅針盤』が重要なのではないか?と思います。