142 3年の孤独

3年後。


「のろのろするな!」


見た目は人間に似ているが、鼻の代わりにツノが生えている、肌の色も薄紫に近いような魔族が、小さいモンスターたちを使役している。

何をさせているかというと、畑を耕させている。

少しでも休むモンスターがいれば、すぐムチがとぶ。


「おう、精を出しているじゃないか」


同型の別の魔族が、監督官に声をかける。


「そんな懸命に耕して、作るものは前と同じか?」

「ああ、同じだ。ダイコンという、白くて細長い謎の食べ物だ」

「魔王様は何が悲しくてそんなものばかり食べるんかねえ」

「俺に言われても困るが‥‥今の魔王様が人間というのは確かだ。人間はみなこれを食べるのだろう」


そのような噂話をしているところを、少し離れた魔王城の窓から、彼女は眺めていた。

距離があるので監督官の姿は粒くらいにしか見えない。手前では、広大な畑が広がっている。

ここでとれた大根はほとんどがたくあんになって、彼女のところへ運ばれてくる。

書斎の窓からその畑を眺める日々は楽しみであり、そして苦痛でもあった。


魔王城は、ダンジョンの最終ステージのSFのような見た目に反して、産業革命よりも前の、地球で例えるなら伝統的でレトロな建築であった。

最終ステージの内装は、ダンジョンコアは金属で閉じ込めるものだったので仕方なくあのような形状になっていたらしい。


書斎のドアが叩かれる。


「‥入って」


最低限の化粧をして顔立ちからいとげなさを隠さない彼女は、窓から振り返って、ドアを開けて入ってきた彼を見上げる。

メガネをかけた長身の人間。ツバメの元リーダー、藤井。


藤井と真島は広峰ダンジョンでのスタンピードの日、魔族たちが連れ去ったのだった。

スタンピードはダンジョン内の魔力の暴走であるとともに、多大な魔力を必要とする魔族が地球に出られる数少ないチャンスでもあった。

当時のミラたちはそれを利用して、偉大なる魔王を苦しめた真島を魔国へ連れ去って拷問のすえ殺害。もともと日本では法整備が追いついていない上にダンジョンの知見も成熟しておらず、重い罪を与えるのは難しかったのだ。

だが間違って連れてしまった藤井の扱いに困り、<ニヴォ・アンフェール>にたった1人で放置するわけにもいかず、こうして魔国に住まわせている。

空中の大量の魔力を必要とする魔族は地球へ行くと最悪死んでしまう。弱い魔力で満たされたダンジョンですらひどく息苦しい。本来なら人間である魔王が連れて行くことも可能だったが、それは魔王自身が激しく拒否した。

『そのまま地球に留まってしまうかもしれないから』と。


「‥そこにかけて。今日は何の用かしら?」

「魔王様が私を夫にしようとしているとお伺いしまして」

「‥‥‥‥またミラたちが外堀を埋めようとしてるようね、気にしないで」


魔王は漆黒の王冠をかぶって、黒のうえに銀色の輝く装飾のついたマントで身を隠して誤魔化しているものの――見た目は完全に人間だ。

この魔国で魔王をやるために、人間の姿のままでは都合が悪い。それだけ人間を憎む魔族が、あまりに多すぎる。

ミラは当初、彼女が人間のまま魔国に連れ帰って魂を抜き取り、抜け殻になった元の魔王の体に戻す――という、人間が聞くとぞっとするような計画をたてていたのだが、魔王が魔国に戻った後に、当のミラ自身がなぜか拒否した。理由までは口にしていない。ただミラは今も変わらず、魔王の妹として、部下として仕えている。

魔王自身も、準人族であったもとの魔王の体と七海しずくの体の見た目がよく似ているからか、執務において思ったほどの支障は出ていない。


そして、ミラたちは別の計画を立てた。それがこの結婚計画だった。


「僕と結婚しないと魔族になれないのでしょう」

「‥‥人間なら誰でもいいのよ」

「見ず知らずの人間は嫌でしょう」

「あら、用が済んだら殺しとけばいいじゃない」

「それは魔王様の本心ではないでしょう、ははは」


藤井は恐れもせず、平然と紅茶を飲んだ。

ミラたちは、魔王を人間から魔族に変えるための儀式の準備を進めている。だがその過程で不都合な事実が発覚した。

儀式で発生するエネルギーがあまりに膨大すぎて、それを1人の人間が受けたら命の危機もありうる。なので少なくとももう1人の人間を用意してエネルギーを分散しなければいけない。その人間も魔族になることを意味する。

そして、地球という世界からやってきた人間を魔族にしてしまうと、もう二度と地球に帰れない。繰り返すが、地球の空気に魔力は入っていないからだ。

この世界には、藤井のほかにも、もともとこの世界で生まれ育った人間が存在する。しかし彼らは敵国のものであり、用が済んだら殺すことになる。魔王はそれをためらっていた。


「‥‥人間は長年私たち魔族を苦しめてきたわ。だから私とミラは反乱を起こし、こうして国を建てたの。人間への憎しみは根強い。1人殺すくらい、造作はないのよ」

「でも魔王様ご自身は嫌がっているのでしょう」

「‥‥‥‥」

「現に僕を殺していないでしょう。それに、僕とあの人はほんのわずかな時間しか会っていないのに、あの人の様子を何度も繰り返ししつこく聞いてくるじゃないですか。魔王様は2人が融合した存在ですが、結局愛情だけは何一つ変わらなかったでしょう」


その通り。

融合が始まってから1ヶ月、元住んでいたダンジョンの家から離れる時は、少しずつ人間への憎しみが募っていくことに恐怖を感じていた。

でも魔王に戻った後にそれは少しずつなくなっていった。

人間への嫌悪は、あくまで融合途中の混乱の一端でしかなかったのだ。


「地球にダンジョンを残しているのもその証拠でしょう。もともと魔王様を探し当てるためにできたもので、今はその必要もないのに‥‥」

「口が過ぎる」


魔王がびりびりと光る電流の流れる黒い玉を魔法で生成すると、藤井は「おっと、喋りすぎました」と紅茶をもう一口飲んでから、部屋を出る。

間際に「僕は魔族になってもいいと思っていますから。長寿に興味はありませんけど、どうせ帰れませんからね」という言葉を残して。

人間は短命だが、魔族になると2000年くらいは生きることになるのだ。そして人間の姿のままここに留まるにはリスクも大きい。人間は奴隷で当たり前なのだ。


「‥私は」


魔王が部屋で一人ぽっちになる時間はそんなに長くなかった。すぐに別の客が入ってきた。

いわゆるビキニアーマーという、露出の多い鎧をまとった巨乳で赤髪の魔女が入ってくる。だがその顔は険しかった。


「魔王様、ダンジョンはいつ引っ込めるんですか!?」

「まあまあ、地球のダンジョンはわれわれ魔族にも役立っていると全国に触れて納得してもらったばかりじゃない。また何かあったの?」

「地球の人間どもの役に立っているのが腹立たしいんですよ!」

「この世界の人間とは違うわよ。あの人達がわれわれを苦しめることは決してない。それよりも、われわれもメリットを享受するべきよ。感情に任せて利益を放棄するほうが賢くないわ」

「‥‥それは魔王様が人間だからでしょうか」

「‥っ」

「理屈は分かります。でも魔王様が人間である以上、どれだけ綺麗事を言っても抵抗する魔族が出ることも事実です。ダンジョンを続けるなら、一刻も早く魔族になることですね。そうすればたとえ人間との和平であろうと、ほとんどの魔族は従ってくれますよ。魔王様には人望もございますので」


そう言い捨てて、書斎を出ていった。

魔王は魔族のリーダーとして、多くの人を従わせるだけでなく畏敬も集めている。だが魔王に服従していても、魔王という名の人間の言いなりにはなりたくないのだ。中身が同じだから人間と魔族の違いで政策が大きく変わるわけでもないのに、それだけ人間に対する拒絶は根強い。


魔王はため息をついて、もう一度窓の外を見た。

あの畑の遥か向こうに、人間の国がある。この世界の人間とは仲良くなれない。侵攻したのはあちら側で、今も侵攻を試み続けている。こちらが少しでも丸くなると、あちらは弱みに付け込む。外交と交友は、残念ながら全く違うものだ。

だが地球上の人間は今のところ、この国にとって害はない。この国に到達するための障壁が大きすぎるから侵攻のしようがない。それを分かってほしいのだが‥‥。


「はぁ」


この魔国からは有り余るほどの魔力を噴出している。それが魔族たちでは使い切れず隣の人間の国にまで到達してしまい、人間たちの力を強くしすぎてしまう要因になっていた。魔族よりも弱いはずの人間が強くなりすぎた。人間と戦うたびに大量の血が流れた。

そんなとき、ミラたちが全く別の目的で創ったダンジョンは役に立った。多すぎる魔力を注ぎ込むことで、敵国に伝播する魔力の3割を削減できた。あちらも少しは弱体化するだろう。今後の戦いが楽になるのは間違いない。仮に敵国と和平を結んだところで、どうせまた反旗を翻すだろうから魔力供給を増やす意味もない。

それ以外にもダンジョンは魔国に多数の恩恵をもたらしている。地球上の人間たちがダンジョンから恩恵を受けるのと同じように。


それが判明した今、ダンジョンを安易に止めるわけには行かない。

‥‥だが魔王には、それ以外にももう1つ‥‥自身が分かっていないだけで、別の理由があった。

ミラたちはすでにその理由を理解している。


またドアのノックがする。この叩き方を、魔王はよく知っている。


「失礼いたします。ミラです」


メイド服を着ている。これを着ている間は親しく話しかけてはいけない、というルールが新しくできたのだ。逆にそうでなければ、いつでも姉妹として気軽に話してよい。

それくらいしないと、魔王がまた人前で弱みを見せて人望を失いかねないからだった。王は常に威厳を持って、隙を見せてはいけないのだった。


魔王は感情を推し殺して、尋ねる。


「用件は?」

「は。人間が2人、ドンジョン・ドイの<ニヴォ・アンフェール>2区を通過しました。魔王様や刺客以外が通過するのは初めてのことでございます」

「‥‥っ」


魔王には思い当たる人がいる。

いや、それはただの希望的観測だ。

きっと違う人たちだろう。


「どうしますか。<フィナール>に到達した場合、こちらで処理しますか?」

「任せるわ」

「はっ」


ミラは一礼して部屋を出た。再び孤独な時間が戻ってきた。

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