アサド政権への批判が「応援」にすり替わったテレビ報道~アサド独裁を知る3人が語る(後編)
2024年12月8日のシリアのアサド政権崩壊を受け、シリア(+日本)と30年以上付き合ってきた3人が緊急鼎談。その後編です。
▽ガザール勇(在日30年のシリア出身の貿易商)
▽山崎やよい(シリア居住歴21年の考古学研究者)
▽黒井文太郎(シリアに知己が多いアサド政権ウォッチ歴32年の軍事ジャーナリスト)
シリア社会を内部から長年にわたって見つめ続けてきた3人が語る“シリア国民が直面してきた地獄のような現実”とは?
また、この3人だから語れる「日本とアサド政権の怪しい関係」「シリアの現実を報じてこなかった日本の報道の問題」とは?
親族の小学生2人がアサド政権に殺された!
黒井 民主化運動が始まった2011年3月、山崎さんは日本にいたということですが?
山崎 シリアの民主化運動は3月半ば頃から少しずつ広がったのですが、私はその頃、考古学関係の日本のテレビ局のコーディネーターもやっていたのですが、そのすぐ後の3月25日くらいにその仕事でシリアに帰りました。
テレビの仕事を終えてすぐに自宅のあるアレッポに行ったのですが、その頃はもう全国がかなり緊迫していて、帰宅するなりダマスカス=アレッポ間の陸路が閉鎖されたというニュースが入って来たことを覚えています。
それからまたいったん日本に戻って、翌2012年2月に夫が危篤という知らせを受け、とるものとりあえずシリアに行ったのですが、事態が急速に緊迫してきていて、夫の逝去後、周囲から「日本に帰ったほうがいい」と説得され、またすぐシリアに戻るつもりで日本に帰りました。
そうしたらどんどん紛争状態になっていって。実際、5月にシリアに行く準備をして航空券まで買ったのですが、ダマスカスからアレッポに行く手段がなくて結局、中止に。それ以来、シリアに戻れていません。ですので、2012年が最後です。すぐ戻るつもりだったので、シリアでの生活を整理することなく、持ち物も残したままです。
黒井 ご親族や知人の方はみなさん、大丈夫でしたか?
山崎 義弟が警察官だったのですが、彼は自由シリア軍に参加し、アサド政権軍のスナイパーに射殺されました。あと、親族の子たちに亡くなったケースが多いです。それと、これはアサド軍ではないのですが、教え子の女性がISに捕まって行方不明になっています。
ガザ―ル 私の親族でも殺された人は何人もいます。従兄弟2人は国外脱出を試みて粗末なボートで地中海で流され、海に飛び込んで九死に一生を得ています。
ガザ―ル勇(イサム)
1966年、ダマスカス生まれ。シリアの名産品の石鹸を中心に輸入販売を手掛ける貿易会社「クロスロードトレーディング社」代表取締役(本社・千葉県)。初来日は30年以上前で、日本で起業したのは25年前。数年間のシリア暮らしを除き、在日歴は30年近くになる。奥様はシリアで出会った日本人。2012年に日本に帰化し、現在は日本人。
黒井 うちは義兄が1週間、秘密警察に捕まったのですが、早い段階で賄賂で逃げることができて、そのまま海外です。
危機一髪だったのは義弟です。彼は4か月間、秘密警察に拘留されました。その時は「殺されるかも」と家族たちも覚悟したのですが、多額の賄賂で拘留場所を突き止めて、さらに賄賂で釈放させることに成功しました。この義弟は政治的な活動など一切やっていなかったのですが、医療関係者なのでデモで負傷した人を助けたことがあって、それを密告されて捕まったわけです。
それと、私も面識ある義叔父が殺されています。自宅近くの路上を普通に歩いているときに、アサド政権軍の狙撃兵に射殺されました。
あと、私は面識ないのですが、親族の女性が小学生の2人の子供と乗っていた乗合バスがアサド政権軍に攻撃され、子供2人が殺されています。
義父は殺されたわけではないですが、戦闘で外出できないために持病の薬を取りに行けず、死亡しました。
しかし、こうした話はシリアではごく普通のこと。うちだけが不幸ということではなく、多かれ少なかれシリア国民の大多数が経験しています。今回のアサド政権崩壊をこれだけシリア国民が歓喜しているのはよくわかります。
山崎 本当に嬉しいです。長年の重圧から解放された気分です。私でさえそうなのだから、シリアの皆さんはもっとでしょう。
アサド政権批判が「応援」にすり替わったテレビ番組
ガザ―ル 興味深いのは日本においてシリアの情勢を発信する専門家の動きです。
アサド政権下では、日本での発言すらアサド政権の仲間に繋がり、シリアに残した家族に悪影響があることを恐れていた在日シリア人がほとんどでしたが、他方で、紛争中でも簡単にシリアに入ることができる限られた日本の方々がいました。
直接アサド政権と繋がっていると思われる専門家が発信するシリア情勢のレポートは、アサド政権側からの情報がほとんどで、シリアを去った難民のことをテロリストと言わんばかりに印象を貶める記事を書いていました。俗に言う「中東情勢がご専門の~」という肩書きの人たちです。
黒井 私は個人の発言・発信は自由だと考えているので、アサド支持者は支持してもしかたないと思っています。単にプロパガンダを素直に信じたのか、あるいは現実をわかってて、それでも支持の道を選んだのかはわかりませんが。
それより日本の大手メディアが、そうした不正確なアサド側プロパガンダ言説の拡散に無批判に加担したことには批判的な立場です。彼らは海外の主要な国際メディアの論調を知っているはずなので、アサド側ナラティブのプロパガンダに気づかなかった、ということもないと思うのですが。
山崎 日本の報道も2011年当初は普通だったと思います。アラブの春の波及で、独裁体制に自由を求める市民が立ち上がった、と。ところが、徐々にアサド側を擁護する論調に変化していきましたね。
山崎やよい
1958年、京都府出身。考古学研究者として1989年より、シリア国立アレッポ博物館の客員研究員としてシリア移住。シリア人の考古学研究者と結婚。途中2年間のヨルダンでの博物館プロジェクト専門家としての時期を除き、2012年まで通算21年間、シリアで暮らす。アレッポ大学で教鞭もとった。現在はシリア避難民支援でシリア人女性により製作された手芸製品の販売を行なうボランティア組織「イブラ・ワ・ハイト」代表および、シリア危機のアドボカシー・人権/人道支援を専門とする日本唯一のNPO法人「SSJ」(スタンド・ウィズ・シリア・ジャパン)の監事を務める。
ガザ―ル 私はあまり政治的な話はしてこなかったのですが、1度だけ、たしか2016年だったと思うのですが、全国放送のテレビ局の取材を受けたことがあります。シリアの石鹸の話です。自分が知っている石鹸職人たちのつらい状況を報じてくれるものと信じて、取材を受けたのです。
当時は、前年の2015年からアサド政権軍とロシア軍がアレッポ周辺に凄まじい無差別空爆をしていたため、多くのアレッポ住民がトルコで難民になっていました。その中には石鹸職人もたくさんいました。私はそのことをきちんと撮影時に話したのですが、肝心の点は使われず、放送では私のVTRの後に、アサド支持者の日本の大学教授が出てきて、論点をずらしたことを言う。
私は、彼らが避難しなければならなかった理由はアサド政権軍とロシア軍の空爆だと事実を説明したのですが、そこは使われず、しかも私が説明したトルコに逃げた職人たちの話ではなく、なぜかアサド政権と手を組んだ一部の会社がラタキアに作った新しい石鹸工場の話になっている。そして大学教授は「紛争地で生きるシリア人を支援することが大事だ」という話をするので、そのアサド政権側の石鹸工場を支援すべきみたいなおかしなストーリーにすり替わっていました。
シリアの人々が苦しんでいる原因はアサド政権なのに、番組はそのいちばん重要な点にまったく触れない。それ以来、私はマスコミの取材は受けていません。
このアサド側代弁者の日本のシリア研究者には、ほとんどの在日シリア人が怒り心頭です。数年前には、十数人の在日シリア人が我慢できずに連名で、そうしたアサド擁護言説に権威を与えて拡散する場になっている関係各所に抗議文書を提出しています。ただ、日本はアラビア語の教育機会がきわめて限られているので、大学と大手マスコミの中東ニュース担当と外務省の中東担当が師弟関係ですから、ネットワークは強固です。
それでも今、アサド政権が倒れて、日本ではほとんど報じられてこなかったアサド政権の悪行の数々が明るみになっています。私たちも安心して、こうして本当のことが話せるのがうれしい。これはシリア国民の全員の思いだと思います。
シリアの現実が伝わらなかった日本の報道
黒井 今回、ある在日シリア人の青年が、今まで話せなかったこととして、アサド擁護派の日本の研究者をきわめて強い言葉で非難する文章をSNSに投稿し、シリア問題ウォッチャーの間で話題になっていますが、心が苦しくなるような文章です。
なぜなら皆さん、本国に家族がいて、誰もがアサド政権によって生死にかかわる惨い経験をしているのに、本国の家族を守るためにこうしたアサド代弁言説に批判の声を上げられなかった。どれだけ無念だったかということですが、私はメディア業界で仕事をする側の人間なので、自分の力不足を恥じています。
黒井文太郎
1992年にシリア人と結婚してそれから20年間、親族としてシリア社会と交流した。その間、シリアを何度も訪問。2011年に民主化運動・弾圧が発生した時には、隣国レバノンを拠点とするシリア人活動家グループ代表の取材も行なった。
山崎 私は当初、考古学研究者なのであまり政治的な発言や活動をするつもりはなかったのです。ただ、悲惨な状況にあるシリアの人たちを支援することは、もちろんやぶさかではありません。それで2012年に日本の支援団体から協力を頼まれて、協力しました。けれども、お付き合いしていくと、その支援団体が中立という建前なのにアサド政権を擁護することになるスタンスであることに非常に違和感をおぼえました。それで距離を置くようになりました。
それで自分で何かできないかと考えたのが、先ほどお伝えしたシリアの女性たちの手芸製品を販売する「イブラ・ワ・ハイト」での支援活動です。それ以外ですと、考古学研究者なので、紛争で破壊される遺跡を守る運動のサポートくらいの活動でした。
ですが、2016年のアレッポ陥落の頃でしたが、立教大学でシリア問題のイベントがあって、それに参加したのです。それがSSJのイベントで、そこで彼らと知り合いました。SSJの若い皆さんはシリアの避難民の支援をしながら、アサド体制の問題を真摯に直視していて、とても共感すると同時に私のそれまでのスタンスを恥じました。
私は日本で初めて同志を見つけたように感じて、彼らのお手伝いをするようになり、その後、監事にしていただきました。それからはシリア社会を多少知る者として、アサド体制の問題を積極的に発言するようにしました。
SSJも私も、アサド体制擁護の論調とは真逆です。しかし、やはりメインの報道ではアサド擁護のプロパガンダが優先されていて、私たちが伝えるシリアの現実はあまり伝わらないなとの実感は、残念ながらありました。
黒井 私はアサド批判というか、アサド側のプロパガンダが不正確なことをファクトで分析して指摘するような記事を細々と書いてきたのですが、他に同じスタンスの情報発信者が少なかったので、おそらく当時の読者の皆様の多くが「黒井は偏向している」と感じただろうなと思います。
大手メディアさんはアサド側プロパガンダの影響によるミスリードが多かったですが、力不足で対抗できていませんでした。山崎さんのように20年以上もシリアに暮らし、シリア社会を熟知している方が、アサドのプロパガンダの嘘をご指摘してくださるようになって、たいへん心強く思いました。やっぱり説得力が違いますから。
ただ、日本でシリア問題に関する言論をみると、学術界やメディア界だけということでもないように感じます。山崎さんも先ほど、民主化運動が始まって早い段階で、日本のあるシリア支援団体に協力したけど、彼らがアサド擁護スタンスなので距離を置いたと仰ってましたよね。
私は日本のそういう関係をほとんど知らず、もっぱら海外の情報を漁っているだけなのですが、海外でもそういう人はいますが、少数派です。大多数にとっては、アサド政権がどれだけ非道な人道犯罪をしていたかなど常識の範囲内です。日本の言論空間だけちょっと変だったな、というのは事実ですよね。
ガザ―ル 本当にそうだと思います。
アサド政権の特殊謀略機関による対日工作
黒井 ところで、日本とシリア。遠いようで結構、それなりに交流もありますよね?
ガザ―ル 基本的には日本からシリアへの援助という話です。私は日本とシリアの両方で仕事の経験があるので、昔からいろいろ頼まれることが多かった。それで外交関係に関わった人とか、あるいはビジネスの人とかをいろいろ知っています。
経済援助の話が持ち上がると、本当にいろいろな人が来ます。JICA関係、NGO関係、それに日本企業です。ですが、日本からシリアへの援助といっても、あれは結局、シリアのバース党の関係者、あるいは日本の企業など特定の人には大きな利益になりますけど、一般のシリア人にはほぼ関係ないですね。
私は、アサド政権が悪なのは誰もが知る事実なので、日本政府は当然、距離を置くべきと思っていました。ところが日本では、一部の研究者や企業がアサド政権と良好な関係を維持していて、それなりに発言力を持っている。研究者は民間の援助活動に助言しますし、政府の関係機関は企業の働きかけで日本の公的な資金をアサド政権に流す。これらの資金は、アサド政権軍がより多くのシリア国民を殺すのに使われたも同じと言っていいと思います。
黒井 アサド政権側も日本の援助には期待していました。たとえば私は90年代の村山富市政権時代の両国関係をシリア大使館経由で聞いているのですが、日本からODAが増額された際に、シリア本国からわらわらと有力者の子弟筋の外交官が日本にやってきました。分け前の取り合いですね。
2011年の紛争以降、当初は日本政府も米国に倣ってアサド政権に厳しく当たっていたのですが、そのうち2014年頃からアサド政権との良好な関係が復活しました。タイミング的にみると、日本政府はアサド政権の背後にいるロシアのプーチン政権の機嫌を損ねたくなかったものと思います。
日本政府は幹部に日本人が多い国連機関に公的資金を丸投げすることが多いのですが、それがアサド政権側にほとんどピンパネされる構造になっています。日本政府の資金がアサド政権軍の電力施設の補修に使われたこともありますが、その件などはガザ―ルさんがご指摘するように、日本の資金が直接的にアサドによるシリア国民虐殺に利用されたケースと言っていいでしょう。
また、日本企業がそうした援助プロジェクトに乗ろうと集まってきましたし、当時、在日シリア大使館の臨時代理大使はノースリーブ姿で世俗派アピールする美人さんだったのですが、自民党有力議員や内閣参与までファンになって後援していました。シリア大使館のこうした活動はすべてムハバラート(特殊工作機関)の監督下ですので、要は彼らの「対日工作」です。
2023年の大地震の時も、日本のいくつかの地方自治体、あるいはアサド政権と懇意な団体が寄付金を集めてシリア大使館に渡していますが、国際援助のピンハネで有名なアサド大統領夫人の財団(シリア新政権が真っ先に活動停止させた組織)に渡ったりしています。
ガザ―ル アサド政権がシリア国民に行なったことは、歴史上例がないレベルの完全な悪です。それなのに日本の研究者や一部の企業は、アサド政権側を支援するのがシリア国民への支援になると言う。誰をバカにしているのかということです。
独裁を倒したレジスタンスを「テロリスト」と誘導する印象操作
黒井 今回のアサド政権崩壊のニュースで、現地のご友人とはどう話しましたか?
山崎 私はアレッポに知人が多いので、まずアレッポが解放された時に話しました。意外だったのは、まだアレッポが解放されたばかりの頃だったのですが、みんな手放しで歓喜ムード一色だったことです。
まだダマスカスが落ちてアサド政権が崩壊するなどということは知らないわけで、この後、アサド政権軍やロシア軍がアレッポに無差別空爆することが予想されていて、実際、彼らはそれやったのですけど、そういうことに対する恐怖があるのかと思ったら、少なくとも私の知人たちは全然違いました。アレッポからアサド軍が去って、ただただ嬉しいと。
それから事態があっという間に進んで12月8日にアサド政権は崩壊するのですが、その後すぐ、私はベルギーに向かっていました。ベルギー到着が12月10日でした。実は在外のシリア人の反体制派活動家の国際会議があって、それにお誘いがあって、ヨーロッパ在住のSSJの山田一竹理事長にも声がかかり、オブザーバー的な立場でSSJメンバーとして参加したのです。
もともとその会議のテーマは「アサド政権とEUの関係正常化に反対する」で、日程は12月11日~12日だったのですが、もうアサド政権が崩壊していたわけです。なので、テーマは急遽変更。今後どう進んでいくかというような話に。もう雰囲気は祝福一色でしたね。私たち全員の心からの願いでしたから。
ただ、強制失踪者の家族が立ち上げた組織のメンバーの方も参加しておられ、彼女らは解放を喜びつつも、帰らぬ家族の無念を胸に深く抱えておられました。
ベルギーにはずっと親しくしてきた私の教え子も在住しているので、会議後に彼らとも話す機会を持ち、さっそく今後の考古学行政などについて熱く語り合いました。アサドからの解放で、今までは半ば諦めていた夢が彼らの中で蘇ったようでした。
ガザ―ル シリア国民のほぼ全員が歓喜しています。ところが気になるのはやはり一部のアサド支持者の中東研究者で、いまだに旧・反体制派をテロリストと印象操作しています。
シリア国民からすれば、アサド政権を倒してくれた旧・反体制派はレジスタンスの英雄です。しかも新政府は想像以上にうまくやっている。イスラム過激派のように他宗派を弾圧することもなく、むしろ保護して宗派間の融和に努めています。向こうの知り合いも、みんな喜んでいます。
ところが、大手マスコミや中東専門家のほとんどが、アサド政権崩壊後は不安定なシリアになるのが前提のような内容が多くて、がっかりしています。現実は、少なくともこれまでは新政府は混乱回避に努力し、ほぼ成功しているのですが。
山崎 この日本のメディアの暗い論調と、シリア本国の明るい祝福ムードとの温度差、ギャップはたしかにありますね。
ガザール 私はかねてから、アサド政権を支持し、アサド政権に反対するシリア北西部に避難したシリア人や国外のシリア難民をテロリスト呼ばわりしてきた中東専門家たちの言葉に傷つけられてきました。 そしてアサド政権が崩壊した今も、相変わらず新政権を担う人たちのことを悪く見せることに全力を使う中東専門家の情報発信には、違和感しかありません。
もっとも、これまでアサド政権とうまく付き合ってきた企業や団体の中には、自由なシリアの現政府を喜ぶスタンスにシフトチェンジしようとするところもあるでしょう。実際、こういうスタンスの人々が今のシリアにはたくさん存在しています。そういう人たちのことを「アルムカウェ」(掌返し)と言い、シリアで今、ちょっとした流行語になっています。
期待できる新生シリア
山崎 今回のアサド政権崩壊以後も、日本では、アサドを倒した旧・反体制派がイスラム過激派だというような報道解説が多かったですね。
シリアの友人たちも、それは100%楽観的というわけではなかったのですが、今までいくら議論を重ねても何も変わらなかったシリア情勢をHTSが変えた事実は、誰もが評価せざるを得ないと考えています。
日本では、特にHTS司令官のアフメド・シャラアを警戒する解説が多い。先日、彼がBBCのインタビューを受けていて、私、BBCアラビア語版で彼の言葉をアラビア語で聞いたのですが、とても聡明で、自分の言葉で質問に答えていたように思います。シリアでは長い年月、シリアを根本から変革しようとの革命を信じて反体制派は戦ってきたけれども、政治的交渉面での責任を負うシリア国民連合の幹部たちの多くは自分本位で無力であり、それがアサドを延命させてきた要因のひとつでした。けれどもシャラアは個を出さず、いままでの「上層部」とは違うと感じています。
アサドが荒廃させた国土でマイナスからの国家再建を強いられており、非常に困難な道のりであると思います。今後はわかりませんが、しかし鎖は断ち切られました。ですから、私は期待しています。
黒井 ガザ―ルさんは、今後のシリアの課題のどこに注目していますか?
ガザ―ル 難しいのは、これまでアサド政権下で生きてきた人々の中に、アサド政権に対するスタンスに差があったことで、その和解ですね。もちろんアサド政権による殺戮や虐待に直接加担してきた人は論外で、犯罪者として裁かれることになりますが、それ以外のシリア国民の話です。
独裁政権下では、国営も民間も全部独裁者の物というのが一般的な認識だと思っています。その国に留まるしかなかった人々には、政権に抵抗できない状況だったことも理解できます。一方で、政権に従うことを拒否した者たちは難民の道を選びました。この人たちはシリア人同士で殺し合いすることを望まず、独裁制権のために働きたくなかったことが主な理由です。
今、独裁政権下で何が行われてきたかが、どんどん明らかになっています。刑務所で行われていた一般市民に対する残虐行為、無数にあるとされる死体遺棄場、そして麻薬製造工場などですが、これらのことは独裁者だけで行なったわけではないことは誰でも理解できるでしょう。周りで支える者たちがいたからこそ成し得たことです。
そして、アサドが独裁を続けられたのは、この周りにいた支援者の存在に加え、あらゆるところから入ってくる資金があったからです。そうしたものをしっかり明らかにして、もうそうしたことが起きないようにしてほしい。
ですが、できれば対立より寛容さを持って和解し、新たな自由な国を作っていってほしい。とにかく新しいシリアに期待していますし、そのための協力は惜しまないつもりです。2月あたりには一度行きたいなと考えています。
山崎 私も今すぐシリアに行きたいですが、おそらく来年(2025年)になります。友人たちにも会いたいですし、この10年以上できずにいた夫の墓参りもしたい。
それにSSJの支援事業も拡大される予定です。また、私は本来、考古学研究者ですから、民間人による考古学をめぐる諮問機関のようなものをシリア人の若い世代が作っていくための支援もしたいと考えています。
黒井 本日はありがとうございました。というか、本当におめでとうございます!
(了)