小谷野敦
アンチTRAただし売春についてはTRA寄りらしい
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小谷野敦
アンチTRAただし売春についてはTRA寄りらしい
@tonton1965
私に何か訊こうとしている方は私の著書を「江戸幻想批判」を含めて25冊以上読んでからにして下さい。あと性格の悪い方は話しかけないようお願いします。
小谷野敦🦖⛱アンチTRAただし売春についてはTRA寄りらしい’s posts
私は高校生のころ、いじめとか社会の不条理を嘆いて、東大へ行けば頭が良くてちゃんとした人間が多いんだろうと夢想していたが、今となってみると、頭が良くて邪悪な人間というのがそこそこ世の中にはいるということは明白である。
西村賢太にせよ福田和也にせよ、食事の仕方が命を縮めたよね。40歳過ぎたらラーメン食べるのは年に二回くらいにすべきだよね。
上野千鶴子は80年代には書くものでは善良な感じだったが(当時は戦闘的に見えた)90年代に東大へ来て学生をヒステリックにどなりつけたりしているうちに98年の「マスターベーションしながら死ね」みたいな暴力的な発言をする人になり、ついにはウソまでつく人になった(写真は「ミッドナイトコール」
東大出た人がいい人か悪い人か見分ける法。開成とか麻布とかラサールとか武蔵とか私立進学校から来たのは悪い人であることが多く、地方公立から来たのは善良な人であることが多い
いくらカイロ大学がうにゃちゃらと言われても、東大でもよその研究室ならありえない修論で博士課程進学したとか、某国立大名誉教授の娘だから博士号なくて採用されたとかそんな話はゴロゴロしているんで。
山本七平というのは位置づけが面倒な人でね、一般には『日本人とユダヤ人』で右翼的な人だと見られているが、『空気の研究』みたいなインチキ日本文化論を東大文学部長が名著扱いしていたり、『現人神の創作者たち』は天皇制が「作られた伝統」であることを明らかにした未完の大著とされて
未来少年コナン 年表
1964年 おじい誕生
1968年 ブライアック・ラオ誕生
1993年 ダイス誕生
1995年 レプカ誕生
2000年 モンスリー誕生
2008年 戦争勃発(ラオ40歳、ダイス15歳)
2016年 コナン誕生、ラナ誕生
2018年 ジムシィ誕生
2028年 おじい死去、コナンの冒険が始まる。
以前某新聞(朝日ではない)で取材を受けた時、改憲に触れると「あのうちの新聞のスタンスは分かってますよね」と記者が言ったが被取材者は新聞のスタンスを忖度して話さないといけないのか。
そういえば日文研の研究会で伊東俊太郎が「日本の幽霊って脚がないでしょう、あれは何なんだろうね」と言ったら田代慶一郎先生が「あれは円山応挙がそう描いてからです」と冷たく言い放ったことがあった
筑波大学はもともと反共の砦として作られたから右翼教授も多かった。今でもいるといえばいる。東大比較でも、筑波から来た人は右翼が多かった。西原大輔とかそうだろう
こないだまで黒人が大統領だったんだからね。人類の進歩は三歩進んで二歩下がるで、アメリカは率先して人類史上の実験をやってくれているんだから反米みたいな安易な立場に身を置くのは愚かなことだ。
「1984年」が書かれた1948年には西側でも多くの知識人がソ連は素晴らしいと思っていたんで、だから今最も優れたディストピア小説は『フェミニズムの帝国』なんだよ
アマプラで「碁盤斬り」を観た。「柳田格之進」だが、あの難しい噺をよく脚色したものだ。あれは娘を請け出すタイミングが難しくて、馬生のように早めに請け出すと却って陰惨なことになる。私も色々考えたが「文七元結」を入れて解決にしたのは良かった
唐さんの打ち上げでの男尊女卑ぶりは引いたわ。演劇界でセクハラが多いのもあれでよく分かった。私の演劇への熱もあれで引いた感じがある
斎藤幸平君がなんで比較文学にいるのか、誰が呼んだのかは知りませんが彼は経済学者ではないのは確かで、ドイツ語の文献学者です
学術雑誌には普通の雑誌では考えられない酷評書評が載ることがあるが、一番すごかったのはこれ
某小説教室でラノベばかり読んでいる受講生に「古典的なものも読んで」と教師が言ったら「こないだ『銀河英雄伝説』を読みました」と答えたという都市伝説があるらしい。
浅利慶太に手紙で質問したことがあった(左団次との関係について)。そしたらいきなり電話が本人からかかってきて直接教えてくれたから恐縮した。あれは偉い人です。
「65歳からの評論家入門」などというのを依頼してきた人もいたがそんなもん書けるわけがない。評論家になるなら15歳から古典を多量に読まないとダメだ
谷崎潤一郎は女好きの男嫌いと言われていたがあれはウソだね。男の友人をいつも確保しているし、周囲の女が作家になることを嫌っていて、紫式部さえバカにしていた
昭和天皇が病気の時中上健次が右翼歌人の岡野弘彦と対談して「天皇が死んだら挽歌を詠む」とか言っていたんだが、当時19歳の王寺賢太君は納得がいかなくて柄谷ゼミの帰りの中上を待ち伏せして喫茶店で詰問したらしい