2026/04/07 真の闇
なんで人の心を抉るようなことを躊躇なく言うくせに、変なところで優しかったり道徳的だったりするんだと聞かれて少し考えてしまった。自分ではごく自然にやっていることだから全く自覚はないが、確かにアンバランスかもしれない。
怒られたくないに尽きるのかなと思う。怒らなそうな人にはガツガツ悪口を言うし、怒りそうな人には言わない。まるで嫌な奴みたいだけど、実は嫌な奴なのだ。
シンプルに性格がめちゃくちゃ悪くて、面白いものも面白くないものもごちゃ混ぜに人の悪口がポンポン浮かんでくる。そういう体質なので、人を怒らせないように気をつけると99%の発話が制限されて、それは友人関係の安心感みたいなものからは程遠い。思ったことのほとんどを思ったように言えない関係ってそれは隷属だろう。
悪口を言いたいのは、俺が誰かを幸せにする方法がそれぐらいしかないからというのもある。 俺の価値って面白いことぐらいしかないから、怒らないで面白がってくれる相手を探す必要がある。面白がってほしいだけで、誰かを悲しませたいわけじゃない。
難しいけど、怒らないといっても別に傷ついていないわけでもないのだと思う。むしろ傷つけば傷つくほど、悲しければ悲しいほど面白かったりもする。怒らないやつはダメージを上回る自動回復が常にかかり続けているから気にしないという感じだと思う。ただ、面白がってても回復力が弱かったりムラがあったりする。削り合いが好きなくせにすぐ疲弊して草むらに隠れるみたいなことを俺もよくしていた。
それで、悪口言えそうなやつを探していると自分を大切にしていないやつが紛れ込む。どんな悪口を言われてもヘラヘラと受け入れて笑っているようなやつだ。つまり、歯牙にかけることがないという意味の怒らなさと、怒りも悲しみも自覚できず淡々と削れていく怒らなさがある。
虐げられたいやつというのもいる。自分が嫌いで、自己嫌悪のあまり他の人間にもそう扱ってもらわないと気が済まないやつだ。現実を自己認識に合わせようとする。自分から不幸になろうとする。暖かい場所にいてもふとここは自分のいるべき場所ではない気がしてくる。よくわかる話だ。
誤解されているのかもしれないが、基本的に俺はみんなで幸せになりたいと思って生きている。できるかどうかは完全に別の話だけど。だからそれを阻むやつをやっつけてやりたい。俺を不幸にするやつは許せないし、人を不幸にするやつも許せないし、人が自分から不幸になろうとするのもやっぱり許せない。人が喜ぶのはうれしい。面白いことを言って人が笑うと気持ちがいい。だから幸せになりたいのか不幸になりたいのかわからんうにょうにょしたやつに対して、俺にはできることがなくて悲しくなってくる。俺は俺とお前を幸せにしたいと思っているのに。
これって献身とか奉仕とかではない。あくまで一緒に幸せになりたいのであって、俺が不幸なら意味がないから。なんか俺がつまんないのにみんなは楽しそうだなとか思ったら普通に拗ねるし、相手の機嫌取ってるだけみたいな時間があると我慢ならなくてnoteに悪口書いたりする。俺が不幸せにしかならない時は全然やる気がない。
自他境界曖昧すぎてヤバみたいな反応をよくされるんだけど、まあそうなんだろうな。
不幸になりたがるやつって特殊なようでいて、かなりありふれていると思う。悲観的な自己像を現実にしてくれる存在が実はみんな大好きだ。酒を飲んだりタバコを吸ったりショート動画見たり買い物したりシコったり推したり。一致すると気持ちがいい。
俺はずっとインターネットになりたかったのだけど、それは面白さ以外の価値がないのだという後ろ向きな自己評価を反映したものだった。インターネットのコンテンツになるということは、現実に面白さ以外の価値を無くすということで、それって俺の願いが叶って気持ちよくなるだけだ。
こう考えていくとインターネットコンテンツクリエイターって病人の自己実現で、それに群がっている虫も自ら単なる数字になりたがる病人の自己実現という感じがして、とても抗いたい気持ちになっている。彼らがやっているのは集団自殺のように見える。
こんなところにテキストを置いて人気になろうとしていることと、どうやっても両立しない気はするけど、なるべく人であるようにしたい。人として見ることをやめない。そうすると負けるんだろう。幸せな人間は面白くないから。
週に1回だいたい決まった人たちと集まっている。毎回そんなに面白いわけではないし必要とされてるわけでもないけど、ただ決まった時間にそこにいることにしている。今回破壊された体がいつもの感じに戻っていくような感覚があってとても助かった。こういうのって面白い必要がないとは聞いていたけど本当なんだな。
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