これは、今、書かなくてはいけないと思い立ちました。
2026年4月2日、産経新聞が報じた旧統一教会の新団体設立方針は、日本の法治国家としての限界と、宗教法人制度の構造的な欠陥を改めて浮き彫りにしています。解散命令が出されたとしても、それはあくまで宗教法人という「器」を剥奪するだけであり、信仰の集団そのものを強制的に解散させる力は現在の法律には備わっていません。この現実に、私たちはどれほど向き合えているでしょうか。
報道によれば、元幹部らは新団体を設立し、これまでの信者を所属させて同じ教義で活動を継続するとのことです。集会は個人の自宅で行い、献金も引き続き受け付ける。この手法は、表向きの組織名を変えることで世間の監視の目から逃れ、かつ税制上の優遇措置がなくなったとしても、信者からの資金供給を維持しようとする露骨な「地下潜行」への準備と言わざるを得ません。
ここで冷静に整理すべきは、宗教法人格の喪失が何を意味するかという点です。法人格がなくなれば、不動産の非課税措置や収益事業への減税などは適用されなくなります。しかし、憲法が保障する「信教の自由」を根拠に、任意団体としての集会や布教活動、そして「自発的」とされる寄付行為を直接禁止することは、極めて高いハードルが存在します。つまり、今回の新団体設立は、法の網をかいくぐるための戦略的かつ組織的な対抗策なのです。
市民の多くが期待していた「解散による活動停止」というシナリオが、いかに楽観的であったかを認めなければなりません。むしろ法人格を失い、公的な管理下に置かれなくなった任意団体の方が、その資金の流れや組織実態は不透明になります。自宅での集会を拠点とすることで、外部からのチェックはさらに困難になり、孤立した環境での高額献金やマインドコントロールの被害が再生産されるリスクは、解散前よりも高まる可能性すらあります。
私たちは今、解散命令という一つの区切りで満足してはならない局面に立たされています。旧教団が「新団体」として衣替えを試みるのであれば、問われるべきは、反社会的な実態を持つ団体が名称や形態を変えただけで活動を継続することを、社会がどこまで許容するのかという点です。特定の個人を攻撃するのではなく、被害を生み出し続ける「仕組み」が存続することを防ぐための、次なる法的な手立て、例えば任意団体であっても財産保全や監視を可能にする制度設計が急務です。
かつてのオウム真理教が解散後もアレフなどの後継団体として存続した苦い教訓を、私たちは忘れてはいないはずです。形式的な解散で問題を終わらせるのではなく、実効性のある被害防止と救済がなされているか。2026年の今、政治と司法が、そして私たち有権者が試されています。ただの「看板の掛け替え」を許せば、それは法治主義の敗北を意味します。この問題を一過性のニュースとして流すのではなく、継続的な監視と議論を続けていかなければ、真の意味での被害回復は成し遂げられないのです。
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産経ニュース
@Sankei_news
旧統一教会、新団体設立へ 解散後も宗教活動継続のため元幹部らが方針固める
sankei.com/article/202604
教団関係者によると、新団体を設立してこれまでの信者が所属し、同じ教義で宗教活動を続けるという。集会は信者個人の自宅などで開き、献金も受け付ける。