んちゅさん(セミ)発案の、自分で頼んだものしか食べられない「シェア禁止飲み会」に参加しました。


その様子を報じた記事が、昨日4/6にデイリーポータルZで公開されています。
まだ読んでない方はぜひ読んでください。

今日は、シェア禁止飲み会での私の思い出をつづります。

①思い出:おいしそうな一品を間近で見なきゃいけない時間にむずむず

たとえば何人かとパスタ屋に行ったら、多少の時差はあれど、それぞれが注文したプレートはまとめて出されます。

しかし、居酒屋は「みんなで取り分けるだろう」と大皿メニューをボンと提供し、そのあとのメニューは時間が空きます。

そうなると、シェア禁止飲み会では間近にリアル食べ物の香りを感じながら我慢するしかありません。さらば青春の光の「店員が料理を提供するテーブルをわざとまちがえ、客にその料理をおいしそうに思わせ注文させる」という居酒屋のコントよりも、さらに料理を近くに感じるわけです。

かなりむずむずするのですが、なぜだか他の人が何を頼んだかめちゃくちゃ気になります。

私の席からは遠いところに座っていたべつやくさんが、4品5品ひとりじめしているのをなんとか見ようと、ダヴィンチの「最後の晩餐」の向かって左にいる人くらいの乗り出し方してたかもです。


②思い出:「大皿に残ってるやつ、全部食べなきゃ」のハッスルをしなくてよい

飲み会って、「どうせみんな食べるだろう」という甘い見通しや、「みんなまだお腹空いてるかな?」という気遣いの空転で、大皿にごはんが残ることがままありますよね。

私はこういうときに義侠心がわきあがり、「私が全部食べなきゃ」と、いらぬねじり鉢巻きを締めて無理してかきこんでしまいます。この自己犠牲って、ほかの自己犠牲と比べてあんまり感謝されません。

しかし、シェア禁止飲み会ではこのハッスルは無用です。各々が食べられる分だけを頼むので、フードロスゼロです。

もしかしたら、SDGsの虹色のどこかにしれっと「シェア禁止飲み会をする」が入ってるやもです。

③思い出:私の持ってるスカジャンと同じスカジャンを着てるお客さんが来た
メニューを見てうんうん悩んでいると、シェアを前提に大きい器で蒸した巨大茶碗蒸しに目が釘付けに。茶碗蒸しが好きなことはもちろんですが、「きっと頼むのは私だけちゃうかな」という軽い打算もあり注文。

すると、文園さんもおなじ巨大茶碗蒸しを注文していました。かぶりました。

少しだけ自分の浅はかさに気恥ずかしさを感じながらも、そのデカ茶碗蒸しに舌鼓を乱れ打ちしていると、3人の女性グループが来店し、私たちの隣のテーブルに着席したのが見えました。

「・・・ん?」と何か感じてよく見ると、そのうちの一人が、私が大学生の時に京都の「東寺弘法市」の古着屋で600円で購入したスカジャンと同じものを着ていました。

黄色と黒の派手な模様に、チャイニーズな刺しゅう、へそ上丈で袖が膨らんでいるスカジャン・・・。

奇抜なデザインで「これ着てんのきっと私だけや」と思いながら着用していたのですが、これまたかぶりました。

今年で29歳。「個性などは求めずともよい」というお告げのような出来事でしたね・・・


以上、シェア禁止飲み会の思い出でした。

↓2回、3回くり返し読んでも面白いです。


サムネイルやトップ画像に私が載っており、これがXで流れてきたとき、「あれっ、私、なんかで炎上して顔さらされてる!?」とヒヤっとしました。