原始キリスト教徒「秦氏」とドトールコーヒーの謎

 

 原始キリスト教徒「秦氏」と「ドトールコーヒー」の謎ってなんだ?と言われそうだが、これはあくまで僕だけの謎なので、ほとんど個人が勝手に考える都市伝説だと思っていただいて構わない(笑)。原始キリスト教徒「秦氏」が「ドトールコーヒー」に封印された、とかいう話ではない。だが、「秦氏」と「ドトールコーヒー」は僕の中でだけ繋がっている。

 

 

 実は昨年の3月末に引っ越しをして以来、ほぼ毎日のように訪れていた「ドトールコーヒー」の店長が東北に転勤となった。せっかく仲良くなったのに悲しい話なのだが、まさか「ドトールコーヒー」に転勤があるとは知らなかった。まぁ普通の会社なら当たり前の話だが、ローカルの「ドトールコーヒー」というのはあまりスタッフの入れ替わりがない、という認識だった。アルバイトの学生さんは大学卒業とともにドトールから去ってしまうが、店長やパートのオバサンは入れ替わりがないという認識だったから、「転勤」と聞いて少々驚くとともに、ちょっぴり寂しく感じられた。なにせこの店長の名字は「藤原」さんだったからである!

 

 「それがどうした?」と思われるだろう。「藤原なんてどこにでもいる姓の持ち主じゃないか」と。まぁそうだ(笑)。

 

 だが、僕も「藤原系」であり、僕は長年利用していたローカルのドトールには「藤原系」が多かった。とてもカワイイ佐藤ちゃんや伊藤さん、近藤さんや安藤ちゃんも良かったし。斎藤ちゃんや伊藤ちゃんも可愛かった。加藤店長はとても真面目だったし、遠藤さんや武藤さんも素敵だった。かくも多くの藤原系と遭遇するとはただごとではない。人口比で考えれば、そんなに多くの藤原系に出会うこと自体がおかしい。なにせ「藤原さん」は、歴史のなかに度々登場するが、案外、身の回りには少ないはずだ。

 

 

「ドトールコーヒー五反田桜田通り店」募集広告 
 

 写真の「ドトールコーヒー五反田桜田通り店」の募集広告でも歴然だが、皆さんステキだ。スタバは創業時からパンがパサパサで食べられるようなものじゃなかったし、なにせ日本に税金を払わないサタン帝国企業群の1社だから未だに行かないようにしている。僕は引っ越しをする際にも駅近くにドトールがあるか否かが重要な判断基準だ。利用頻度が週5以上だからだ。まぁ、どうでもいい話だが。 

 

 全国の「藤原」さんは約30万人といわれ、姓名では46番目の数なので、東京で暮らしていれば知り合いには一人、二人くらいはいるのではないだろうか。しかしながら「藤原系」の佐藤、斎藤、伊藤、加藤、後藤、武藤、近藤、安藤、尾藤、遠藤、工藤、江藤、藤井、藤田、藤本、藤沢、藤岡といった苗字や、「藤」がつかない苗字であっても藤原から出たものが多いため、「藤原系」はすごい数になるのだ。実は「藤原」氏からは400氏・1300万人の苗字が生まれているのだ。


◆藤原氏の祖・「藤原鎌足」

 

「藤原鎌足」

 

 天智天皇の669年、大化改新の功労者である「中臣鎌足」(なかとみのかまたり)は、大和国高市郡藤原の地(現・奈良県橿原市=藤原京跡)に因んで、臨終の際に天智天皇(中大兄皇子)から「藤原」姓を賜り、以来、藤原氏は日本史上最大の氏族となる。
 鎌足の子である「藤原不比等」(ふじわらのふひと)は大宝律令・養老律令の選定などの功があり、その娘・宮子は聖武天皇を生み、もう一人の娘・安宿(あすかべ)姫は孝謙天皇を生んだ光明皇后である。そして、不比等の四人の息子達、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)が、南家、北家、式家、京家という四家を成し、互いに競い合うことで藤原氏は巨大勢力へと成長していった。

 

 藤原四家の中でも特に「北家」は、内麻呂、冬嗣を生み、良房は太政大臣となる。後、藤原道長は娘五人を入内(じゅだい=内裏に参入すること)させ、後一条天皇、後朱雀(ごすざく)、後冷泉(ごれいぜい)の三代の天皇の外戚となり、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌を詠んだという。この「藤原」という姓を名乗れるのは、藤原氏の祖・「藤原鎌足」(ふじわらのかまたり)の直径の子孫だけである。他の「藤原系」は住んだ場所や役割によって名前を変えた。


  「藤原氏」の始祖・藤原鎌足は死ぬ日まで「中臣」であった。中臣氏とは記紀の「天岩戸神話」で天照大神を岩屋の中から出すために集まった八百万の神々の中でも重要な神の一人、「天兒屋根命」(あめのこやねのみこと)の末裔であり、日本の神道の根幹を成す一族である。現在も宮中祭祀にも関わり、伊勢神宮の祭祀にも関わっている。もちろん別名で。

 「藤原氏」は摂関家として宮廷貴族の大半を占めて存続したが、鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、邸宅のある平安京の通りの名などから近衛、鷹司、九条、二条、一条という家名を名乗っている。

 

 つまり平安京というのは宮中以外は「藤原氏」ばかりが住んでいたということで、なぜなら藤原氏の祖・中臣氏の先祖たちが平安京を創建したからである。その一族を「秦氏」(はたし)という。秦氏は一族の総力を挙げて天皇のための都「平安京」を作り、それを成したことで自分たちを封印したのだ。そして「秦」の姓を次々に変え、政治を行う秦氏のみが「藤原」を名乗ることになったのである。そう「中臣=藤原=秦」だったのである。

 

◆ドトールコーヒーの祖「鳥羽氏」

 

 ドトールコーヒーの創業者の名前は「鳥羽博道」(とりば ひろみち)である。

 

鳥羽博道氏

 

 1937年生まれの鳥羽氏は埼玉県深谷市生まれの実業家で、現在は株式会社ドトールコーヒーの名誉会長である。1959年にブラジルへ渡航、コーヒー農園の現場監督として働いた後、1961年に帰国、翌1962年に有限会社ドトールコーヒーを設立。以降、全国に「ドトールコーヒー」や「コロラド」などのコーヒーチェーンを展開。最近では深谷市出身の渋沢栄一を顕彰するため、2020年7月より渋沢栄一記念館で公開されている渋沢栄一アンドロイドの開発などの費用約4,000万円を寄贈するなどされている立派な実業家である。

 

 ポイントは「鳥」「羽」である。鳥羽博道氏の読み方は「とりば」であるが、「鳥羽」は「とば」でもある。「鳥羽」という地名は全国にあり、京都には「鳥羽・伏見の戦い」でも有名な「上鳥羽」「下鳥羽」がある。ここは平安時代に記録のある地名で、もともとは「十羽」、「飛羽」とも表記した場所である。

 長野県安曇野市にも「上鳥羽」「下鳥羽」があり、ここは戦国時代に記録のある地名である。これ以外にも福井県の若狭の「大鳥羽」、千葉県香取市 にも「鳥羽」があり、江戸時代に記録のある地名である。こうした「鳥羽」の中でも最も有名なのは三重県鳥羽市である。

 

三重県鳥羽市

 

 鳥羽市は三重県の志摩半島北東端にあり、市内全域が「伊勢志摩国立公園」に位置している。「鳥羽市」となったのは1954年のことで、鳥羽町と加茂,長岡,鏡浦,桃取,答志,菅島,神島の7村が合体,「鳥羽市」となった。市名は古代の御厨名の泊浦 (とまりうら。船泊りの意) に由来するという。中世には九鬼水軍の本拠地として知られ,江戸時代は稲垣氏3万石の城下町でもあった場所だ。この地を代表する人物といえば戦国大名「九鬼嘉隆」と真珠王「御木本幸吉」である。
 

◆九鬼嘉隆と九鬼家の謎

 

 九鬼嘉隆(くきよしたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名で、「九鬼水軍」を率いた織田家・豊臣家の水軍大将として知られる九鬼氏の第11代当主である。
 


九鬼嘉隆

 

 この九鬼嘉隆という人物には謎がある。なぜなら九鬼嘉隆の遺体は、「首」と「胴」に分けて祀られているのである。「首」と「胴」に分けて祀られてるというのは、誰かがその「怨霊」を畏れた場合に行なわれる祀り方である。この祀り方をされた人物で日本史の中で最も有名なのは「平将門」(たいらのまさかど)である!

 平将門は首が東京の大手町、胴が茨城県に分けて祀られている。その2つが一つになると怖ろしい怨霊のパワーを発揮するのを畏れた人たちが分けて祀ったのである。そして日本史にはもう一人、首と胴を分けて祀られた人物がいる。「織田信長」である。織田信長の場合は、その強烈な怨霊のパワーを「北朝天皇家」の守りとするため、「首」は京都の船岡山に祀られ、胴は京都市内の寺院に祀られている。これら強大な怨霊のパワーを持つ二人の人物同様に、九鬼嘉隆の遺体は2つに分けられて埋葬されているのだ。

 

 九鬼嘉隆は伊勢志摩地方の「答志島」(とうしじま)で自刃たといわれ、その首は「鳥羽城の見えるところに埋めてくれ」との遺言通り、鳥羽城を一望できる築上山に埋葬された。それが「首塚」である。

 


九鬼嘉隆の「首塚」

 

 

 九鬼嘉隆は鳥羽港から約20分の「和具港」(わぐこう)から歩いてすぐのところにあった「洞泉庵」(とうせんあん)で自害したとされ、現在はその跡地近くに「胴塚」が、また少し離れた山の頂に「首塚」がある。この胴を葬ったとされる墓は和具漁港の町中にあり、現在は五輪塔が建てられている。また、胴塚の近くには自刃の刀を洗ったという伝説が残る「血洗い池」もある。首塚と胴塚はいずれも、三重県の文化財に指定されている。

 


九鬼嘉隆の「胴塚」 

 

 それにしても何故、九鬼嘉隆の遺体は2つに分けられて埋葬されているか。この疑問に明確な答えとなる資料は存在しない。だが、考えられるのは「呪詛」の力である。古代の天皇家でもあった「物部氏」(もののべし)の末裔である「平将門」、そして神道の呪術を担う「忌部氏」(いんべし)の末裔の「織田信長」と同様に、九鬼嘉隆の家系「九鬼家」(くき・くかみ)とは、藤原氏と同じ「天児屋根命」を始祖とする呪術を行う一族だったのである。

 

 「九鬼家」に関するものに、古史古伝の『九鬼文書』(くかみもんじょ)がある。日本の古史古伝のうちのひとつで、「偽書」の烙印を押されているのが「九鬼文書」だが、これは天児屋根命」の時代に記録された神代文字の原文を、藤原不比等が漢字に書き改めたもので、九鬼氏が保管したとされる文書である。

 但し、「九鬼文書」は古代出雲王朝の正統性、つまり物部氏の正統性を主張する書である。秦氏系のものではない。これはどういうことなのか、といえば「九鬼家」とは物部系の秦氏だったということなのである。つまり、「原始キリスト教」に改宗した「ユダヤ教徒」だったということだ。だからこそ、先祖を「天児屋根命」としているのである。

 

 九鬼家に到る中臣(藤原家)の神代からの系図と神代の神々の系譜を載せている。それが意味するのは「九鬼家」は中臣=藤原家=秦氏が渡来するより前から日本にいたという意味なのである。なにせ「九鬼文書」は和歌山県熊野本宮大社の九鬼家に伝わる文書である。九鬼家は中臣氏(藤原氏)の系累としているが違う。「熊野」は裏神道「漢波羅」の秘密結社「八咫烏」の聖地である。そう九鬼家とは「原始キリスト教」の秦氏となった「ユダヤ教徒」物部氏だったのである!

 

 

◆御木本幸吉と伊勢神宮


 「御木本幸吉」(みきもとこうきち)は、言わずと知れたかの「ミキモト」の創業者だ。1858年3月10日(安政5年1月25日)に生まれ、 1954年(昭和29年9月21日)に他界した実業家で、真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。「御木本真珠店」、現在の「ミキモト」の創業者でミキモト・パール、真珠王とも呼ばれた。

 

御木本幸吉

 

 さて、この「御木本」という姓の「御木」(ミキ)であるが、 「御木」を「本姓氏語源辞典」で調べると以下のように出てくる。

 福岡県、和歌山県、大阪府。オンキも含む分布。三木の異形。福岡県豊前市鬼木は江戸時代に記録のある地名。同地が本拠。地名はオニノキ。

 「鬼」の「木」である。「三木」の異形とは、神道では「木=神」だから「三本の木=三人の神」を表している。
「御父・御子・精霊」の三本柱である。さらに「御木本」という姓を「本姓氏語源辞典」で調べると以下のように出てくる。


 三重県鳥羽市。事物。三重県鳥羽市鳥羽では三重県伊勢市の伊勢神宮の御用材を呼称した「御木」と居住していた土地の三重県熊野市木本町の「木本」にちなんで称したと伝える。同地に江戸時代にあった。地名の木本はキノモトで戦国時代に「鬼本」と表記した。同地では阿波幸の屋号でうどん、小麦粉を扱っていたとの伝もあり。推定では徳島県が元来の居住地。

 

 伊勢神宮の御用材「御木」を扱う一族であり、さらに熊野市木本町の「木本」にちなんで称したという。「熊野」「木本」である。さらに戦国時代には「鬼本」だったのである。

 

 「九鬼家」の出自は「熊野本宮」で、そこは裏神道「漢波羅」の秘密結社「八咫烏」の聖地である。その熊野の名のついた場所の「木本」にちなんでいるのである。「木」は神道では「神」であり、「本」とは正式には「大」に「十」と書く。その意味は「十字架に掛けられた一人の人」、「イエス・キリスト」のことである。つまり「御木本」という姓の「御木」とは「聖なる木」のことで、そこに「本」が加わることで、「イエス・キリストの聖十字架」を表しているのである!

 つまりこうだ。九鬼嘉隆も御木本幸吉も「八咫烏」に連なる一族なのである。「鳥」を象徴とする「父と子と精霊の三人の神」を奉ずる原始キリスト教徒であり、「九鬼氏」の正体は「秦氏」となった「物部氏」であり、「御木本氏」は「秦氏」である。だからこそイエス・キリストの社である「伊勢神宮」が鎮座する伊勢志摩地方の「鳥羽」という場所の出身なのである。

 

 「鳥羽」という姓を持つ人は「トリバ」も含めて長野県、埼玉県、東京都に多く分布している。もちろんドトールコーヒの会長、鳥羽氏が生まれた埼玉県深谷市に分布しており、ここでの発音は「トリバ」となっている。原始キリスト教徒「秦氏」の末裔である。その「鳥羽氏」が始めたドトールコーヒーとは、原始キリスト教徒「秦氏」のコーヒーチェーンなのである!だからこそ、そこで働く人にも藤原氏系が多いのである(笑)。たぶん。

 

 こんなおバカなことを書いているのは僕だけだろう(笑)。まぁはっきり言ってどうでもいい話なのだが、日本に税金を収めない悪魔教に与する外資系コーヒーチェーンでは飲まないことにしている。さらにそこにいる人達が暗い(笑)。フランス人もそう言っていた。

 

 まぁ原始キリスト教徒「秦氏」とコーヒーチェーンの関係でいえば、猿田彦珈琲の方が正当な話しである。なにせ伊勢の猿田彦神社に正式に認められているコーヒーチェーンであり、最近は伊勢にも初出店して「伊勢国ブレンド」なるコーヒーまで出しているくらいだからだ。僕の姪は猿田彦珈琲の方たちと仲良しなので、猿田彦は姪に任せている(笑)。なにせ僕の姪は前世が「八咫烏の遣い」だったと霊能者が言っていた。きっと前世からの因縁なのかもしれない(笑)。

 

 これからも僕はドトールを利用し続ける。都心部のドトールはあまり面白くないが、ローカルなドトールに集まる人達はめちゃくちゃ面白いからだ。近所のドトールには天才画家「山下清」のような坊やだかオッサンなんだか分からない人がいる。毎回、話しかけられるが未だに名前を知らない(笑)。副島隆彦とベンジャミン・フルフォードの本ばかり読んでいる75歳のド派手なお婆さんもいる。もちろん毎回話しかけられる。こういう変な人たちがいるからドトールは面白い。

 

 まぁ名古屋に行った際には「コメダ珈琲」に入ってみたりするが(笑)。もしかすると「コメダ珈琲」も原始キリスト教徒「秦氏」の系列かもしれない(笑)。まぁ調べてみようとは思ってはいないが。


 

 

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