プロ野球の開幕直後、早くも歴史的な瞬間が訪れました。3月31日のロッテ戦で、日本ハムの細野 晴希投手がノーヒットノーランを達成したのです。
プロ野球史上91人目(103度目)の快挙。3月中の達成は1940年の亀田忠(イーグルス)以来、実に86年ぶりという驚異的な記録となりました。細野投手を高校時代から見守ってきた筆者にとっても、感無量のマウンドでした。
筆者は10年以上にわたりドラフト候補の取材を続けていますが、これほどまでの「大化け」を見せた投手は、細野投手のほかに記憶にありません。
高校時代はとにかく牽制が上手い左腕だった
初めてみたのは東亜学園時代2年春の都大会です。当時の細野投手は絶対的なエースではなく、同学年の齊藤北斗投手と二枚看板を形成していました。強豪・国学院久我山戦にリリーフとして登板した細野投手の速球は120キロ台で、当時はまさに「技巧派」と呼ぶべき投手でした。特に牽制技術が極めて高く、走者を背負っても何度もアウトに仕留めていたのを思い出します。同年夏の東東京大会でもそのスタイルに大きな変化は見られませんでしたが、秋を境にその印象は一変します。
迎えた2年秋の都大会。チームは準決勝で敗退したものの、細野投手が投じる直球は130キロ台後半へと進化を遂げていました。わずかな期間で球速が10キロ以上も向上したことはもちろん、技巧派から本格派へと変貌を遂げる投手は極めて稀であり、大きな衝撃を覚えました。
その後、細野投手は東京都選抜に選出され、キューバ遠征を経験します。筆者もその遠征に帯同しましたが、現地での練習中、バットを手にしてシャドーピッチングに励む細野投手の姿が印象に残っています。
その意図を尋ねると、「腕が外回りしてしまうとき、それを修正するためにやっています」と答えました。内回りで腕を鋭く振るためのメニューだったのです。研究熱心な姿勢が各メディアで報道されていますが、当時からその片鱗が見えました。
キューバ遠征での細野投手は、強打者を力でねじ伏せるだけでなく、牽制で幾度も走者を刺す姿も強烈に印象に残りました。その卓越した牽制技術は、東亜学園を強豪へと育て上げた上田滋助監督の教えによるものだといいます。
「上田先生からは、『一塁走者は走りたいと思うと力みが生じ、それが動作に現れる。だからベンチにいるときからずっと観察しなさい』とアドバイスをいただきました。確かに、走りたいときの動作は、走らないときと比べて明らかに違っていたんです。上級者になるほどその差は見えにくくなりますが、キューバの走者は走る意欲が露骨に動きに出ていたので、日本で投げるよりも楽に感じました」
東京都屈指の左腕へと成長を遂げた細野投手でしたが、高校最後の夏は初戦敗退。その後、名門・東洋大へと進学し、ここでさらなる進化を見せることとなります。
大幅球速アップもドラフトでは悔しい外れ外れ1位を味わう
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