正しさに殴られ続けて死ぬ
ここ数日、SNSが最悪だ。
連日あらゆる作家さんたちが「売れない創作物は……カスです!」という話をしている。
そのとおりだ。そのとおりすぎてうんざりする。
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「売れるものを作りましょう」
「売れるものとおもしろいものは両立できます」
「売れておもしろいものを作るためにいっぱい勉強しましょう」
「作品をたくさん作って経験を詰みましょう」
ぜんぶ正しい。
だがこうした正しい意見の厄介なところはまさにその正しいところにある。「お金を稼ぎましょう」
「野菜をたくさん食べましょう」
「運動をたくさんしましょう」
「友達をたくさん作りましょう」
「結婚して子どもを生みましょう」
「街のゴミを拾いましょう」
「部屋を片付けましょう」
などなど……
そして正しい意見というのは反論を封じる。正しいからだ。
口が裂けても「マンガは売れなくたっていい!」と言うことはできない。
だが現実問題として「できない」「やれない」「やりかたがわからない」「生活を崩さずに取り入れる方法がわからない」ということはあり得る。
自分がいいと思っていることを読者におもしろく伝える方法が全然わからないし自分の描いたネームを「ええやん」と描きあげた次の日に見直して「ここを直したらもっとよくなるんじゃないか」という分析やブラッシュアップの仕方がわからない。多くの時間を費やしてマンガを描いても描いてもまったくお金にならないのでお金がなくて読んだことがないマンガが買えないしお金がないからいっぱい仕事をしなくちゃいけないので読んだことがないマンガを読む時間がない。
そして正しい意見に対してそうした「弱い」「言い訳」を並べるヤツは努力と勉強が足りないカスという結論に自動的に至る。つまりマンガで商売できてない私はカスであるということが自明に導き出され、カスである現実を受け入れて苦しくなって泣くしかできなくなるのだ。
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先月いろんな人たちにマンガを読んでもらったりした。みんなバラバラの人たちで、それぞれに関連性はなかった。
だが反応はどれも等しく「あなたに問題があるね」ということだった。
もちろんマンガとしての技術が欠けているのは前提条件だが、その意見のどれもが私のコミュニケーション能力の低さ、共感性の低さ、社会人としての未熟さ、社会に駄々をこねながら嫌々仕方なく生きていることを指してきていた。
そしてそれは残念ながら事実なので、私は否定することができなかった。全部自分の責任です。
結局この世の中でもっとも大事で尊ばれるものはコミュニケーション能力であり、コミュニケーション能力に欠陥があるものは社会で生きることが許されず(だから私は会社をやめて自営業になるしかなかった)、マンガも広く受け入れられることはない。周波数があった人にはおもしろがってもらえるが、世の中にはそうでない人が大半なので(そうでなければ私は社会人としてバリバリ働き、知人友人がたくさんいて恋もして結婚して子どもを生んでいるでしょう)商業として成立し得ない。
じゃあどうすればいいんでしょうか。別人になるしかないんでしょうか。
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マンガを描くという行為そのものは宇宙一楽しいのだが、マンガを描いて人に見せるという社会的行為を行うことでそれまでゼロに近かったはずの希死念慮が年々積み重なっていっていつの間にかチキンレースになってしまった。
いつか楽しさを辛さが上回ってなにも描けなくなる日が来るのだろうか。そのとき自分はどうなるのだろうか。
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