嫌われ方の深度。時間は、信念を貫いた者の味方をする。今日を賭けて未来を残せ。
館の庭には、二本の古木が立っている。
どちらも、枝を大きく切り落とされている。
見た目は痛々しい。
しかし、理由が違う。
一本は、庭師が計画的に剪定した。
全体のバランスを考え、木の健康を考え、
未来の成長を見据えて。
もう一本は、素人が無造作に切った。
邪魔だったから。見栄えが悪かったから。
何も考えずに。
どちらも「切られた木」だ。
しかし、
一本は春に芽吹き、一本は枯れた。
嫌われる。その言葉は、一つだ。
しかし、嫌われ方には、次元の違いがある。
嫌われ役を買って出る者。
自覚なく嫌われている者。
外から見れば、どちらも「嫌われている」。
批判され、避けられ、陰口を叩かれる。
しかし、その内実は、天と地ほど違う。
ある外科医の話がある。
彼は、患者に嫌われることを恐れなかった。
「この手術は、リスクがあります。
でも、やらなければ五年以内に命を落とします」
患者は怯える。家族は反発する。
「そんな恐ろしいことを言わないでください」
しかし医師は、引かない。
「事実を伝えるのが、私の仕事です。
好かれるために、嘘はつけません」
彼は、確かに嫌われた。
「冷たい医者だ」と言われた。
しかし、彼の患者の生存率は、
他の誰よりも高かった。
一方で、別の医者がいた。
彼は、いつも患者に優しかった。
「大丈夫ですよ」と微笑み、
「心配いりません」と安心させた。
患者は彼を慕った。
「あの先生は、本当に親切だ」
しかし、彼は重要な診断を見逃した。
患者を安心させることを優先して、
厳しい真実を伝えなかった。
結果、手遅れになった患者が出た。
そして、彼は嫌われた。
「あの医者のせいで」と。
どちらも、嫌われた。
しかし、
前者は、覚悟の上で嫌われた。
後者は、結果として嫌われた。
前者は、嫌われることを選んだ。
なぜなら、それが正しいから。
後者は、嫌われることを避けようとして、
結局嫌われた。
その差は、絶対的だ。
嫌われ役を買って出る者には、軸がある。
「私は、これが正しいと信じている」
「だから、嫌われてもやる」
その信念が、ブレない。
批判されても、動じない。
なぜなら、予想していたから。
覚悟していたから。
嫌われることが、目的ではなく、手段だ。
一方、自覚なく嫌われている者には、軸がない。
なぜ嫌われているのか、わからない。
「自分は正しいのに」
「自分は悪くないのに」
その混乱が、さらに人を遠ざける。
嫌われる理由を理解していない者は、
同じ過ちを繰り返す。
ある経営者の逸話がある。
彼は、会社のリストラを断行した。
百人の社員を、解雇した。
社員は怒った。「裏切り者だ」と罵った。
メディアも叩いた。「冷血だ」と書いた。
しかし彼は、こう言った。
「今この百人を守れば、来年には会社が潰れる。
そうなれば、全員が路頭に迷う。
百人を切ることで、残りの五百人を守る。
私は、その責任を負う」
彼は嫌われることを知っていた。
しかし、やった。
五年後、会社は復活した。
彼を罵った社員の中にも、
「あの時の決断は正しかった」
と認める者が出た。
対照的に、別の経営者がいた。
彼もリストラをした。
しかし、理由を説明しなかった。
ただ、「業績が悪いから」と言っただけ。
実際には、
自分の失敗を隠すためのリストラだった。
彼も嫌われた。
しかし、彼の場合、正当に嫌われた。
なぜなら、彼は責任を取らず、
弱者に押し付けただけだったから。
嫌われ役を買って出る者は、孤独を引き受ける。
誰も理解してくれなくても、
誰も味方してくれなくても、
一人で立つ。
その孤独は、選んだ孤独だ。
しかし、自覚なく嫌われる者の孤独は違う。
それは、押し付けられた孤独だ。
自分が何をしたのかわからず、
なぜ人が離れていくのかわからず、
ただ取り残される。
ある教師の話がある。
彼は、生徒に厳しかった。
宿題を容赦なく出し、甘えを許さず、
妥協しなかった。
生徒は文句を言った。「あの先生、最悪」
しかし、卒業後、
多くの生徒が、彼に感謝の手紙を送った。
「あの時は嫌いでした。でも今、あなたの
おかげで今の自分があると思います」
彼は、未来のために嫌われた。
一方、別の教師がいた。
彼も厳しかった。
しかし、その厳しさは一貫していなかった。
気分で怒り、えこひいきをし、
理不尽な罰を与えた。
生徒は彼を恐れ、嫌った。
卒業後、
誰も、彼を思い出さなかった。
いや、思い出しても、苦い記憶しかなかった。
彼は、ただ嫌われた。
では、どう見分けるか。
嫌われ役を買って出ている者は、説明できる。
「なぜそれをするのか」
「何のために嫌われているのか」
その問いに、明確に答えられる。
言葉が生きている。目に光がある。
自覚なく嫌われている者は、説明できない。
「みんなが間違っている」
「自分は悪くない」
責任を外に求め、自己正当化し、学ばない。
嫌われ役を買って出る者は、時間が味方する。
今は理解されなくても、五年後、十年後。
「あの時のあの人は、正しかった」
と気づかれる。
自覚なく嫌われる者は、時間が敵になる。
最初は我慢されていても、
やがて全員が去っていく。
そして、何も残らない。
ある政治家は、こう言った。
「私は、次の選挙のためではなく、次の世代のために働く」
その政策は、不人気だった。
増税、規制、厳しい改革。
支持率は下がり、批判は高まり、
再選は絶望的だった。
しかし彼は、やり遂げた。
十年後。
その政策が、国を救ったと評価された。
彼の銅像が、建った。
館の庭に戻る。
剪定された木は、今、美しく枝を広げている。
切られた痕は残っている。
しかし、その痕から新しい枝が伸び、
より豊かな樹形を作っている。
痛みを経て、成長した。
一方、無造作に切られた木は、
枯れ、倒れ、もうない。
書斎で、一通の手紙を書く。
それを送れば、嫌われるだろう。
しかし、送らなければ、後悔する。
だから、書く。
嫌われることを恐れず、
しかし、嫌われることを目的とせず、
ただ、正しいと信じることを、貫く。
それが、嫌われ役を買って出るということ。
自覚なく嫌われるのとは、次元が、違う。
深海、静寂のなかで


コメント