三国志の魏・呉・蜀の実際の人口について (三国志に詳しい方に質問です。) 三国志の魏・呉・蜀の人口は実際のところどの程度だったのでしょうか? 調べたところ後漢時代最盛期には戸籍に載っている人口で5000万~6000万人いたとされていますが、三国志が始まったころの資料には魏・呉・蜀すべてあわせても1000万程度だったそうです。 まさか戦争だけで人口が五分の一に激減したとは考え難いですから実際の人口は4000万~5000万だとして(後漢のころも全員把握はしていないだろうからこの予測も怪しいが)実際の人口は魏・呉・蜀にそれぞれどの程度配分していたのでしょうか? 三国志に詳しい方、お願いします。 おおよそで構いません。 なんとなく呉・蜀は魏よりも戸籍をとるのが難しいような気がするので実際の人口はもっと多いような気がします。 また、ついでですが戸籍に載っていない人々から税を徴収したり、彼らを兵士にしたりすることは可能だったのでしょうか? これも知りたいです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

やはり魏の国力は蜀・呉を圧倒していますね、お二人ともありがとうございます。 私がいかに三国志について勉強不足なのかを改めて再認識しました・・・

お礼日時:2009/8/23 1:08

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把握していない人口についてははっきりとしたことは言えないですね。把握して いない人と言うのは基本的に流浪状態ですから、把握しづらいのです。 分かることと言えば戦乱のある地域にはこう言った流浪の民は拠りつかない、 と言うぐらいでしょうか。群雄割拠の頃(200年ぐらいまで)は北方は各群雄が 争っていたので南方へ避難していた人が多く、逆に三国鼎立後は北方が一番 安定していたのでそちらへ帰っていく人が多かっただろう、と言うぐらいでしょうか。 三国成立後の把握人口ですが 魏400万ちょっと(260年頃) 呉230万ほど(280年頃) 蜀94万(265年頃) と三国合わせても700万強程度しか把握できておらず、三国とも之だけ見るとかなり 脆弱な国家と言うことになります。ただし、後に魏の後を継いだ晋が全土を統一した 時は人口が1600万とほぼ倍まで把握人口が増えています。 このからくりは魏において大規模な屯田民政策が行なわれていましたが、そのことと 深く関係があると思います。屯田民は魏国にとっての私民のようなものですから、これ は人口に入っていなかった可能性が高いのです。つまり増加900万の内の大部分が 魏国の屯田民であったと仮定すると、戸籍上は見えていないですが、魏の把握人口 は1000万を越えるほどになっており、呉や蜀を圧倒する力を持っていたことになるかと 思います。 魏はこの屯田民から主に税を徴収しているので、国力自体は相当なものがあったと 思います。呉蜀も魏の成功を参考に同じ事をやっているようなのですが、やはり規模 や開墾できる面積などを考慮すると魏の優位は揺るがないですね。 兵制については魏は兵戸制と言って兵士専門の家族を登録すると言うやり方を行なって います。他の国も同じ事をやっています。当然戸籍に載っていない人を募集したりもして いますので、可能です。 追記:frogman03544さん 例えば曹操は青州黄巾を自勢力に取り込み、その中の精鋭を軍隊としています。 彼ら黄巾族の連中は言わば食い詰めた流浪の民の集団のようなものですから 当然戸籍から抜け落ちている可能性が高い人達の集団、と言う事になります。 こういった人物達は兵として登録後は当然実数把握されているでしょうが、徴兵の 際にはそういった選別がわざわざなされているか、となった場合、そこまで厳密に吟味 しているとは思いません。とにかく働き手はいくらでも欲しかった時代でしょうから。 まぁ言い方が悪いのかな、徴兵ではなく、募兵ですね。流浪の民は募兵にて登録 し、実数把握するようにしていってる、と言う形だと思います。 追記の追記 確かに曹操が死んだ時のエピソードは知っています。しかしこの時は青州黄巾が曹操 に降ってから25年以上、代替わりなどもしている状況です。また彼らが降伏した時から 魏武の強が始まった、とあるように降伏時に編成した兵数が数百数千の規模でない 事もほぼ間違いないでしょう。 それら数万のもの私兵を数十年に渡り(代替わりも恐らくしている状況で)、登録せず に管理し続けられるものでしょうか。私は彼らも普通に兵としての登録はされ、一般兵 の中に吸収されていったと見る方が自然だと思います。 それに曹操が亡くなった時に去っていった青州兵が全員去ったとしたらそれこそ魏にとって は数万規模の精鋭が一気に失われることになり、常識的に考えてそんなことを認めると は思えません。 私見ですが、青州兵の中でも曹操と特に結びつきの強かった曹操の親衛隊だけは曹操 直属の兵、と言う事で彼らが故郷に帰るのを許したのではないでしょうか。(規模は数千 レベルぐらい?)他の青州兵は普通に常備軍として登録され運用されたと見る方が自然 かと思います。 それと青州兵が曹操との個人契約だったからと言って、それが他の流民は募集しない と言う理由にはならないと思います。むしろ流民の集団を兵として雇っている事実から、 他にも流民を募兵した可能性が高い、と見る方が自然かと思います。 兵戸制で確か寡夫にわざわざ妻をあてがったりとかしてたと思いますが、こう言うのも 流浪の民は己が生きていくのがやっとで独り身の人物が多いから、それを解消させ、 代々兵を供出させるために行なった措置、と言う風にも見れないでしょうか。