2017年冬の富士山
ニューヨークからこんにちは。
今日はこちらの続きです。
長い記事ですが、よろしければどうぞ読んでみてください。
「女性天皇が誕生する日は来るのでしょうか?」
東京アメリカンクラブで行われた講演会で講師として参加された高円宮久子さまは、この質問に英語で答えられました。
アメリカ人はじめ外国人の参加者が多かったのでしょう。
「私もだれかに教えていただきたいです」
「私が答えるべきことではありませんが、この問題は政治や社会だけでなく、学問的にもとても興味深いテーマです。
夫(故高円宮)がよく言っておりましたが、私たち皇族は、国民のみなさまから、こうしてほしいと望まれることをする存在なのです」
「もし私たちが必要とされていないのであれば、その時はその存在そのものが必要ないのです」
「けれど私たちは希望を胸に国民のために祈り続け共に歩み続けます」
「天皇皇后両陛下も同じ気持ちでおられます」
「今後も、私たちが歩みを続けていけるかどうかは、国民のみなさま次第なのです。」
久子さまはわたしたち世代にはとても馴染みの深い方です。
80年代、わたしがファッション誌の編集者として働いていた頃、故高円宮殿下はまだ独身でいらっしゃいました。
その頃、そのファッション誌では、高円宮殿下にコラムなどでご登場いただいていました。
編集部に、殿下と学習院時代ご学友だった編集者がいてそのご縁がつながったのです。
その先輩編集者に、まだ新人に毛が生えた頃だったわたしは可愛がっていただき、殿下とのお話をいろいろと聞く機会がありました。
高円宮殿下はとても親しみやすく気さくな方である。
当時お住まいだった赤坂のおうちではカレーなども召し上がる。
その殿下が当時国際的な同時通訳として活躍されていた鳥取久子さんとご結婚されました。
どうやら殿下のお父上である三笠宮さま(昭和天皇の弟)が太鼓判を押されたのです。
聡明で知的、笑顔しか浮かばない明るい方で、リーダーシップが取れる思いやりあふれる素晴らしい女性です。
ご結婚されてからは、お世話になっていたファッションデザイナーのショーに行くと、開演直前ににこやかに、周囲の方々に挨拶をされながら入場されます。
凛と姿勢がよく颯爽として自然体、気品と知性溢れる方だと感じました。
その久子さまもどうやら愛子さまの「味方」であるようです。
日本の天皇家はいわば老舗です。
老舗が長く生き残っているのはただ伝統だけを重んじ大切にしているからではありません。
一方でよる年の流れにもしなやかに乗り、古式ゆかしきものに、常に新しいエネルギーを注ぎ込み、日々進化していくからこそ。
であるなら、日本も皇室を長く残したいのであれば、世界の流れに沿って皇室典範を変え、女性天皇もありとしてもいいのではと思うのです。
日本では、明治時代に岩倉具視が主導した旧皇室典範により、天皇は男系男子であるべきということになりました。
男系男子、つまり父が天皇なら母は皇后でなくてもオッケーなのです。
事実、大正天皇の母親は明治皇后ではなく天皇の側室でした。
つまり非嫡出子です。
非嫡出子は欧米でBastard(ドイツ語、フランス語も同様。イタリア語でBastardo)です。
私生児という意味ですが、同時にかなり侮蔑的な俗語の意味もあります。
日本は男系男子を重んずるあまり、非嫡出子の男子を次期君主に選んだ時代もあったということです。
これはクリスチャンという宗教的背景を持つ欧米諸国では、とても理解しにくい部分です。
現代は日本でも非嫡出子の男子を天皇に選ぶことはなくなりました。
欧米に倣い天皇家も一夫一婦制に変わったためです。
では正統に天皇と皇后から生まれてきた女子ではなぜダメなのか。
愛子さまは天皇皇后両陛下のお子様として誕生し、国民に絶大な人気があり、学業成績も抜群によかった。
現在は公務にも真剣に取り組まれ、海外でも大変に評判の良い愛子さまが次期天皇で良いのではないか、そんな声が上がっています。
ところで愛子さまはまだお若い頃、一時的に登校を拒否された時期がありました。
さらに食事を摂らなくなりお痩せになったこともありました。
実は我が娘も中学生ぐらいの頃、お部屋で食事を摂ると言って食べなくなり、学校へ行ったと思っていたら、アパートのサービス用の階段に息をひそめて座り、本を読んでいたことがありました。
当時は肌を触れ合うことも嫌がったのですが、抱きしめてみたら痩せて肩のあたりが悲しいほど骨張っていて胸が潰れそうになった経験をしました。
今も当時のことを思い出すと涙がこぼれます。
雅子さまは当時、ご自身も世間から多大なバッシングを受け、精神的にズタズタに傷ついていらした頃でした。
どれだけお辛い思いをされたことか。
けれど雅子さまも愛子さまも、そして父親である天皇陛下も家族一丸となってその危機を乗り越えられました。
愛子さまは決して順風満帆でいらしたプリンセスではないだけに、人の痛みがわかる優しい方にご成長されたのだと疑いません。
こんな面もお持ちです。
ご自身の長所と短所を聞かれた時。
長所は、、どこででも寝られることと答えられました。
16歳の頃より夏はイギリスのイートンのサマースクールにお一人で参加されています。
きっとどこででも眠れる長所が大きく役に立ったことでしょう。
ちなみにイートンは、イギリスの王侯貴族が通う全寮制の男子校で、歴代首相の多くを輩出しています。
が、サマースクールだけは共学なのでしょう。
短所は主に「少しマイペースなところ」と「人見知り」。
特に成年時の記者会見では「自由にのびのびと育ったようで」と語り、自身の性格を分析されました。
最近では、日本赤十字での勤務や国際的な公務を通じて「人見知り」も克服されつつある様子が伝えられています。
他にもわたしが好きなエピソードがあります。
能登地震があった際、お見舞いにいらした愛子さまは、現地でボランティア活動をしている若い人たちと会話を交わされました。
「僕たちの活動が本当に現地の方のお役に立っているのか不安に感じることがあります」
と、ある男子が答えると
「そのような思いやりあるお考えがあるからこそ、きっとお役に立っていると思います」
と、なんとも思いやり深いことを愛子さまがお答えになられました。
するとその男子がつい嬉しくて
「マジですか?」
と、若者言葉で話してしまったそうです。
一瞬、周囲に緊張した空気が走ったのですが、愛子さまは
「マジでございます」
とお答えになったそう。
この切り返しが素晴らしいと思いました。
マジですか、と聞かれ「はい」とただ答えたのでは、彼が恐縮してしまう場面を救うことはできません。
そこで、マジでございます、と。
またアフリカのある国の国王が日本にいらした際は、その国王に対し、とても優雅なカーツィをなさいました。
その国はかつてイギリス領だったのでしょうか。
国王に対しカーツィをする習慣があることをきちんと予め調べていらしたのです。
さすが外交官だった雅子さまが天塩にかけてお育てになったプリンセスです。
最後に、長くなってしまいましたが。
なぜ女性天皇に意義があるのか。
イギリスのビクトリア女王の時代は、ヨーロッパ諸国の王制がどんどん崩壊し共和政に移行する時代でした。
ヨーロッパでかろうじて王室が残ったのがイギリスです。
その背景には、ビクトリア女王が男たちのゲームと言って良い戦争という選択肢を好まなかったことが大きいかと。
ビクトリア女王が長く君臨する間、イギリスが共和制に移行しなかったのは、彼女の個人的な資質(戦争を好まないこと)と、9人もの子宝に恵まれ、次々とヨーロッパ諸国に嫁がせた「ヨーロッパの祖母」としての外交的影響力が大きいと思うのです。
そして立憲君主制という制度(君主の権力が憲法により規制され君主は象徴である)が確立され国民に支持されたことが複合的に作用した結果と言えます。
国民に寄り添い思いやりがある。
深く外交問題を理解している。
簡単には戦争に賛同しない。
幼少のみぎりから天皇になるための特別な教育を受けた(天皇は帝王学ではなく象徴学と呼んでいる)をしっかり学んだ人格者である父と優秀な外交官でいらした母を両親にもつ愛子さま。
きっと素晴らしい天皇になられると思うのはそんな理由によるのです。
※皇位継承資格を「男系男子」だけに狭く限定するルールは明治の皇室典範で初めて採用したもの。
※過去に皇太子という確定的な立場を内外に宣明される「立太子の礼」という儀式はあっても、秋篠宮が行った皇嗣という暫定的な立場を宣明する「立皇嗣の礼」は前例がなかった。
※ところが、政府主導で無理やり秋篠宮「立皇嗣の礼」という前代未聞の儀式をこしらえて、内閣の助言と承認(=内閣の意思)に基づく国事行為として(天皇の承諾の必要はない)実施した(令和2年=2020=11月8日)。
※しかしこれによって次の天皇として即位されることが確定するわけではない。
※立皇嗣の礼は、どこまでも暫定的に「皇嗣」である事実を改めて表明する儀式にすぎない。
※傍系の皇嗣はどのような儀式を行っても皇嗣のまま。
※皇太子は直系である必要があり、現在は不在。
このポストを埋められるのは愛子さまのみ。そのため皇室典範改正は必至。
(ダイヤモンドオンラインより)
皇室研究家の方によると、まだ秋篠宮さまに継承権が決まったわけではなさそうです。
女性皇族の方々のお立場も宙ぶらりんのままです。
そろそろ日本国民ばかりか、世界が納得する形で決着すると良いなと願うばかりです。