「自分の心と身体は自分のもの」という考え方
「イエス」「ノー」をはっきりと伝えるためには、バウンダリー(境界線)という概念を持つことも大切です。人にはそれぞれ「ここまではいいけれど、ここから先は不快に感じる」という、身体的にも精神的にも守りたい境界線が存在します。
バウンダリーはどのような人間関係にも存在します。友人関係にも恋人・夫婦関係にも、親子関係にもバウンダリーは存在します。親や教師など大人は、つい子どもたちの言動を制して、自分が正しいと思うことを押し付けてしまいがちですが、子どもの人生は子どものもの、子どもの意見も身体も子どものもの。大人として子どもが引いたバウンダリーを越えてはいけない場面もあるのです。
バウンダリーを他人が越えてきてもいいか、あるいはダメなのか。それを決めるのは身体の持ち主であるその人自身です。自分の境界線も、他人の境界線も目には見えませんから、「越えてもいいですか?」と、その都度確認し合うことが大切。そして、「越えてもいい」といったん同意をしても、「やっぱり違った」「やっぱり嫌になった」と、途中で取り消して断ってもいいのです。これは身体的な関係に限られたものではありません。
そこには「自己決定権(オートノミー)」という考え方が存在します。オートノミーとは他人に自分の運命が決められたりすることなく、「自分のことは自分で決める」「する/しないを自分で決めていい」「他人と異なる意見であっても自分の意見を持ってもいい」ということです。
恐怖や圧力、他人のコントロールから自由になり、自分の人生や自分の身体に関することを、自分自身で選択していい、「自分の意思には力がある」と認識することでもあります。大人でも子どもでも、他人に自分の決定権を尊重される感覚は、安心感を生み、うれしいものです。どんなに親しい相手でも、愛している相手であっても、心と身体のボスはあくまでもその人自身なのです。
身体の自己決定権について、「世界人口白書2021(国連人口基金発表)」では、次の3点が守られているかどうかという問いが投げかけられました。
・ 性交渉を断ることができる
・ 避妊するかを自ら決められる
・ 健康管理を自ら決定できる
その結果、世界的に多くの女性の身体の自己決定権が侵害されていることが明らかになりました。性別にかかわらず、ちょっとした性的なからかいや、いたずらのつもりで身体に触れることが日常的に繰り返されると、バウンダリーがどこにあるかが曖昧になることがあります。そのうちにバウンダリーが少しずつ侵されていき、最悪の場合はそれが性加害につながってしまう。その頻度は想像を遥かに上回るものとなっています。
『ジェンダー・ジャスティス』(幻冬舎)
たびたび発覚する性加害事件。それらは、特別な人間による例外的な出来事といえるのだろうか。問題の背景にあるのは、加害者の悪意・無自覚だけではなく、社会に埋め込まれた偏見、メディアが再生産する固定観念、声を上げない組織文化である、と解くのはハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんだ。自身の経験と心と脳のメカニズムから問題の構造を解き明かす一冊。
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