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山本浩二やまもとこうじ
旧名・別名 山本浩司
元プロ野球選手・監督 解説者

山本浩二

1946年生まれ、広島県出身。法政大から68年ドラフト1位で広島に入団。広島一筋18年、「ミスター赤ヘル」の愛称でチームの中心選手として活躍。ホームラン王4回、打点王3回、セ・リーグ最優秀選手2回など、多くのタイトルを獲得。現役引退後は、2回にわたり通算10年間、広島の監督を務め、91年にはリーグ優勝に導いた。2008年の北京オリンピックでは、星野仙一監督のもと日本代表の守備走塁コーチを、13年のWBCでは監督を務めた。NHKでは『サンデースポーツスペシャル』でキャスターを担ったほか、『レジェンドの目撃者』、『プロ野球誕生90年 白球プレーバック!あなたが選ぶ名場面』、『鶴瓶の家族に乾杯』などに出演。

出身地
広島県
プロ野球誕生90年 白球プレーバック!あなたが選ぶ名場面

 

 ゲストとして出演し、スタジオでは工藤(工藤公康さん)とも一緒でした。彼は、自分が現役最後に対戦したピッチャーで、広島と西武の日本シリーズ最終戦の第8戦、球種までは覚えていないけどサードゴロ。スタジオで工藤の球は打ちづらかったという話をしたんだけど、選手にはそれぞれ相性というかタイミングの違いがあって。自分のスイングとピッチャーとのタイミングが合わず、ちょっとずれると全く自分のバッティング、スイングができなくなる。工藤はそういうところがあったね。

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現役時代、山本浩二さんが最後に対戦したピッチャーだという工藤公康さんと並ぶ

 

 番組で昭和から令和までの名場面ランキングが紹介されていたけど、自分で一つ名場面を選ぶとしたら、「ミスター(長嶋茂雄さん)の引退」かな。やっぱり憧れの人であり、大ファンだったから。あのバッティングの独特な間の取り方を、自分なりに真似していたもんね。これまでで一番すごいプロ野球選手も、やっぱりミスター。もちろん技術的にもそうだけど、長嶋さんは周りを明るくさせることに長けた人なの。とにかくすごい人で、頭がいい人。この場面ではこうしようって自分で考えて常に準備しているわけ。ファンの人を喜ばせるプレーにしてもそうだし、成績も当然のことながら。誰しも準備が必要ということを学んだね。何度も一緒にゴルフに行ったんやけど、自分以外のスコアだけじゃなく、何番のクラブでどこから打ったっていうことまで覚えてるんだよ。それもスコアをつけずに。それほど頭の回転が速くてすごい人なのよ。本当にびっくりしたね。

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ゲストは山本さんほか、工藤さん、井森美幸さん、伊集院光さん

 

 ミスターが立教大時代に神宮球場で通算8本目のホームランを打った(当時、東京六大学野球のリーグ新記録)のをニュースで見て、自分も六大学に行きたいなと思ったの。その後、高校生の時に当時、南海の監督だった鶴岡さん(鶴岡一人さん)が知り合いの知り合いで、グラウンドに練習を見に来てくれたんだけど、ものすごく緊張して一つもいい思い出がない。その時に、ただ一言「今プロに行くより、大学に行ったほうがいいんじゃないか」って。鶴岡さんが法政大出身だったのと、地元・広島のスター、山本一義さんも法政大出身で憧れていたのもあり、自分も法政大を受けたわけ。

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 いざ推薦で大学に入ったんだけども、普通の野球部員の学生で、1年生の時はひたすら声を出していた。ピッチャーとして入部したので、毎日バッティングピッチャーをやっていたら、2年生ぐらいの時に当時の松永監督(松永怜一さん)が「野手に転向させる」と言うので、そこから地獄が始まった。全体練習でものすごく鍛えられたんだけど、同じように鍛えられたのが内野手の富田(富田勝さん)だったの。2人でへばって、でも負けたくないって思いでずっと我慢して。この時がどれだけ苦しかったか…。プロに入って我々が活躍している時に、松永監督に「なんでピッチャーから野手へ転向させたのか」聞いたら、「田淵(山本さんと同期の田淵幸一さん)が1年の時からレギュラーで、上級生になったら前後を打つバッターがいなくなる。その時のために2人を鍛えた」と。そう言われると納得はするんだけど、その当時はしんどかったわな。でも、あの練習のおかげで、プロに入っても大学の時ほど苦しいとは思わなかったね。

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20位と13位に山本さんにとって忘れられない名場面がランクイン

 

 選手を引退した後は広島で2回、WBC日本代表でも監督を務めました。最初に広島で監督をやっていた時に気を付けていたことは“いかに選手を信頼するか”。なかなかそういうわけにいかないときもあるんだけど。あとは、コーチを信頼する。選手と近くで接しすぎるとあまりよくないんだけれども、一言は励ましの言葉を必ず入れていました。広島とWBCの監督は違うといえば違うんだけど、WBCの監督は一流選手ばかり来るのでやることがそんなにない。しいて言えば、いかにチームが一つになるか。そのために、毎日コミュニケーションを取っていました。あとは、日の丸を背負っているっていうプレッシャーが、とてつもなかった。選手として日本代表を経験したことはないけど、これはもう選手たちは大変だったと思います。

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近鉄にとって最後の優勝へと導いた、北川博敏選手のホームランについて、工藤さんの「見ていて気持ち良く振っていた」というコメントに深くうなずく出演者たち

 

 第3回WBCのメンバーは、大リーグのチームに所属する選手が誰も参加していない。それぞれ電話したけれど、チーム方針で出られないと。だから、国内組だけで戦うことになって、今よりは少し戦力的には落ちていたのかもしれない。でも、当時は十分、優勝できると思っていましたよ。台湾戦で大逆転勝利して、その時にチームが一つになったのを感じたね。今の日本代表チームを率いる井端(井端弘和監督)が当時、大活躍したんだよね。もともと、井端に電話して「ピンチランナーやピンチ守備、ピンチヒッター含めて終盤で出てもらおうと思っているから」って伝えたら、それでも了承してメンバーに入ってくれたわけ。ところが、ふたを開けてみたらチームで一番打ったのよ。それだけ状態が良かったんだろうけど、本当に助かったね。井端が日本代表の監督になってから、1回だけ本人と話したかな。「監督になれたのは、浩二さんのおかげですよ。WBCに選手として出られて…」って言うから、「わしのおかげじゃない、お前が頑張ったからだよ」って伝えたけどね。もちろん選手たちの間にライバル心もあるだろうけど、それぞれつながりがあるし、WBCで勝つには当然、チームが一つになってやっていかないかん。最近はさらに大リーグのチームに移籍する選手が増えて、日本のスターがいなくなるって言われているけど、スターっていうのは出てくるものなのよ。どんどん若い選手が出てくるから、そんなに心配しなくてもいいと思うけどね。

インタビュー・記事を読む
レジェンドの目撃者「ミスター赤ヘル 山本浩二」

 

 今までNHKに出演した中でも思い入れのある番組の一つだね。昔一緒にやっていた人たちとか、いろいろな人が証言してくれて、まあ悪口はないだろうなと思って聞いていました。スタジオでは、司会の土屋(礼央)さんのしゃべりがうまいしすごくしゃべりやすかったのを覚えています。番組の中で、大学卒業後の進路について、親から「広島に入団するか、サラリーマンになるか」の2択だと言われていたという話が出てきたけれど、まあそれはあとから言えること。もちろん、広島の生まれだから地元のチームでやりたいっていうのはありましたけど、本当に野球が好きで、できればプロに行きたい。とにかく野球一辺倒でしたね。でも、いざプロに入ってみると、野球ができるうれしさというよりも、こんなにきついのかと。毎年キャンプから始まって、勝ち負けがあって。次の年も当然あるわけで、来年も頑張りたいと思えばまたキャンプから練習して、何年もその繰り返し。もちろん優勝してうれしかったし、苦しさの中に達成した時の喜びというのは毎年それぞれあるんだけど、引退するまで楽なことはなかったし、年々苦しくなっていくんだもん。勝てば勝ったで、タイトル取れば取ったで、相手にマークされるようになって、それ以上に練習しなければいけなくて。だから、引退した時はもう練習しなくていいのかと正直ほっとしたし。それほどプロって大変だし、決して楽しくやれるわけではないんですよね。

人物録_山本浩二さん_レジェンドの目撃者_1
腰を痛めてから内角の打ち方がわかってきたと話す山本浩二さん。大先輩の山内一弘さんの打ち方を実際にバットを持って説明

 

 プロに入った時はインコースが苦手で、山内さん(山内一弘さん)とかに話を聞きに行っていたね。その時は理解できていなかったけど、腰を痛めたり故障したりしたときに当時の話を思い出してスイングしてみて「ああ、この打ち方だ」って徐々に分かっていったんだよね。試合の中ではほかにもいろいろな打ち方があって、その中のただインコースの打ち方で毎回打てるわけじゃないんだけど、だんだん体が覚えていって自信がついてきて、プレーの幅が広がっていく。ほかにも、自分の中で毎年ノルマを決めて、それをがむしゃらにこなしていっていました。チームの練習とは別に、例えばシーズン中は毎日寝る前に腹筋をいろいろな方法で100回ずつやるとか。毎日、毎年、同じことを繰り返してその積み重ねなんだけど、知らないうちに技術面でうまくなったり、精神面で視野が広がって周りが見えるようになったり。そうすると、年齢とともに落ち着きが出てきて、それがプレーにもプラスになっていくんですよね。

人物録_山本浩二さん_レジェンドの目撃者_2
水谷実雄さんが「30歳になっても、30歳を過ぎても、山本は強いんよ」と証言

 

 番組では、洞察力がすごかったという証言もあったけども、なぜそう言われるようになったのかを振り返ると、入団した当初、先輩から「相手の仕草やクセを見るのが大事」と言われて、ノートに対戦したピッチャー一人一人のデータを書くようになったんです。打席に立って常に相手の仕草を見てクセを盗もうとしながら、この1球を打つにはどうすればいいのかを考える。そうしていくうちに、徐々に洞察力もそうだし、集中力もついていったんじゃないかなと思います。もちろんクセを盗みやすいピッチャーもいるんだけど、だんだん警戒されると相手もごまかして分からなくなっていく。でも、毎日継続して集中して観察していると、必ず何か気づきがあるのよ。オフの間も、東京に出てきていろいろなチームの選手と話をしていると、大体その人の性格が分かってくるので、それも試合で活用していました。例えば、星野(星野仙一さん)がピッチャーの時は、何度もインコースに投げてきて当たりそうになったこともあるけど、性格をよく知っているから絶対に当ててこないと思っていれば、体が開かなくなって自分のスイングができる。もし当ててくるかもしれないな、痛そうだなと思っていると、体が開いてまず結果はよくならない。こうしたいろいろなことをトータルして「この1打席にかける、この1球で勝負する」っていうことをやってきました。3つストライクがあるうち、1球でも打ち返すぞというのをずっと信条にしてやってきたから。もちろん三振もするし、フォアボールもあるんだけど、そういう気持ちは常にもっていました。

人物録_山本浩二さん_レジェンドの目撃者_3

 

 そうやって自分の中でいろいろな工夫をしてシーズンを過ごしていく中で、チームが球団創設26年目で初めて優勝した年は、これまでのシーズンと全く雰囲気が違ったね。それまでは5月まで調子がいいんだけど、そのあとから下り坂で、優勝の「ゆ」の字もなかったの。でも、この年は6月、7月になっても上位にいて、最初はまさかという感じ。だんだんゲーム数が少なくなってきて、ひょっとしたらという感覚になっていくわけ。そうすると、勝つためにどうすべきかっていうのをそれぞれが考えるようになっていって、それがプレッシャーになって「誰か打ってくれ」って気持ちが芽生えてくる。ついに初優勝した時っていうのは、プロ野球生活18年の中でも一番うれしい瞬間だったね。子どもの時からカープファンで、スタンドから試合を見ていたけれど、誰も優勝の味を知らなかったわけやから。それがついに優勝できた時はとてつもない嬉しさがこみあげてきましたよね。

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山本さんの話を熱心に聞くMCの土屋礼央さん

 

 一度、優勝すると「またみんなで優勝したい」って気持ちが強くなっていく。それまでは、衣笠(衣笠祥雄さん)を含めて選手同士がライバルで負けたくないというのがあったんだけども、優勝するとみんながこの「優勝の味」っていう感激を忘れられなくなる。もう一回優勝したいと思うと、それぞれが自分の役割を理解できるようになって、じゃあ何をすべきなのかっていうのが分かってくるんだよね。だから、同じライバルでも勝つための言い合いをしたり、腹を割って話をしたりできるようになりました。そうすると、徐々に人間的にも精神的にも成長していって、心の余裕ができて技術面をより追求するようになっていく。それほど優勝っていうのは大きなものなんだよね。今シーズン(2025年)の大リーグのワールドシリーズもそうだけど、ドジャースの山本(山本由伸投手)があれだけ連投したのはそれだけ勝ちたい思いがあるからやるのであって、そうすると勝った時の喜びも倍増するんですよね。

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 もともと、この番組のことは知っていました。面白いもん。実際に出演してみると、スタジオの雰囲気がすごくいいし、やっぱり鶴瓶さんはたいしたもんだよね。忙しいだろうに、今でも続けていてすごい。やっぱり、ああいう行き当たりばったりでやるっていうのがいいよね。計算してないんだもん。それほど楽しみがいろいろあるから、長寿番組になるんじゃないかな。でも、まさか本当に何も計算されていないとは思わなかったね(笑)。鶴瓶さんは年が5個下で、この番組の前にも何度か別の番組で会っていて知っていたので、久しぶりに会えてうれしかったね。ロケの撮影があったのは、東日本大震災の直後。神社に行って復興が進みますようにとお参りをしました。当時の服装が赤いセーターの上に革ジャンを着ていたんだけど、放送されたのは暑い時だったからちょっと違和感があったね。

人物録_山本浩二さん_鶴瓶の家族に乾杯_1
砂浜で鶴瓶さんと合流。「久しぶりだね、まぁ一年は経たんか」とうれしそうに握手を交わす

 

 洲本を選んだのは、高校時代、大学に入学するためのセレクションがあって、その合宿をやった場所で懐かしかったから。といっても、当時は旅館とグラウンドの往復だけで、街のことは全く知らないし、行ったことがなかった。だから、当時のことを知るお母ちゃんに会えたのはよかったなあ。最初、合宿中に泊まっていた旅館に行ったらもう残っていないし、出会えてなかったらどうしてたんだろう。助かったねえ(笑)。

人物録_山本浩二さん_鶴瓶の家族に乾杯_2
偶然、山本浩二さんが高校時代に合宿で洲本に来ていたことを知る方と遭遇。おにぎりやお刺身の盛り合わせをいただく

 

 そのあとに出会った喫茶店のマスターが同い年で、コーヒー飲んでいたら「孫がソフトボールをやってる」っていうから学校に行って。ここでも、ロケは自分でやってくれっていう感じだったから、校長先生にも許可取りのあいさつに行ったね(笑)。最初に指導したソフトボール部でも、そのあとの野球部でも、少しでもうまくなってほしいし、間違ったことをやっていても成長しないので、理にかなった説明をしたつもりです。どちらでも、共通して伝えたのは「一番大事なのはキャッチボール」だということ。野球を始めたころから壁当てを毎日やっていて、ピッチャーだったということもあり、とにかく強くて速いボールを投げようとしていたし、遠投も結構やっていました。今思えば、あの時からキャッチボールを一生懸命やっていたからプロでのプレーに生きたなと思います。プロに入ってから、監督やコーチから「キャッチボールをしっかりやれ」と言われていたので、これまでやってきたことは間違っていなかったんだなと思いました。

人物録_山本浩二さん_鶴瓶の家族に乾杯_3
球児たちにキャッチボールの大切さを説明する山本さん

 

 もうオファーは来ないと思うけど、またロケに行きたいね。今度は行ったことのないところに。でも、もうあの時みたいに歩き回れないから番組関係者には言わないでね(笑)。

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 プロに入ると、初対面の時は年齢がいくつかどうかで先輩か後輩かが決まるから、プロに先に入ったかどうかは関係ないの。衣笠(衣笠祥雄さん)は、高卒で先にプロ入りしていたけど、会う前から同い年だと分かっていたからね。チームが球団創設26年目で初めて優勝するまでは、野球以外の私生活で会うことはまずなかったね。お互いが本当に負けたくないライバルで、性格もそんなに合うほうじゃなかったし(笑)。でも、優勝した時は抱き合って泣いて喜んだの。それくらい優勝っていうのはいいことで、それからは2人でもっと優勝したいねって話し合うようになりました。家が近所で、キヌ(衣笠さんの呼称)とはお互いの家に行って飯食うようになって。ただ、性格は最後まで合わなかったよ(笑)。

人物録_山本浩二さん_思い出のスポーツドキュメンタリー_1
「山本浩二さんにとって衣笠祥雄さんはどんな方か」という青山祐子アナウンサーからの質問に「良きライバル」と語る山本さん

 

 優勝してもこいつには負けないわと思っていたし、ライバルであることには変わりないんだけれども、それぞれが同じように打たないと勝てないから、一番近くで見ているからこそ、いつもと違うところがあったら指摘したり、互いの欠点について意見を言い合うようになったりして、腹を割って話せる仲になっていったね。チームにとってこれが一番大きかったんじゃないかな。当時、我々は30歳くらいで先輩より後輩のほうが多かったんだけれども、キャンプで互いに冗談を言いながらも負けないぞという気持ちで張り合って練習をやっていると、若い選手たちはそれを見て自分たちより早く帰れないじゃない。そうすると、自分たちもと練習をやるようになっていったのよ。あの頃、カープは練習量が多いって言われていたんやけど、我々が頑張ったから。晩年、キヌとは「わしらは結構やったよな、頑張ったよな」っていう話はしていたね。

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怪我をしても痛みを押して試合に出るメンタルを衣笠さんに教えてもらったと語る

 

 キヌは集中力や相手に向かっていく姿勢がすごくて、デッドボールもたくさんくらっていたね。でも、ものすごく元気なやつやから骨折しても試合に出ていて、それがこっちにもいい刺激になっていたね。腰が痛くて試合に出られないなと思った時も、いや出なきゃいかんなと。だから痛くても我慢してずっと試合に出ることができたのは、キヌのおかげなの。何があってもゲームに出るっていうのは尊敬していたね。

人物録_山本浩二さん_思い出のスポーツドキュメンタリー_3

 

 とにかく野球が好きで、練習が好きで、とにかく練習していた。後半は成績がそんなに良くないときが何年かあって、2割ちょっとしか打てていない時でも、監督からすれば連続出場がかかっているから休ませるわけにはいかんじゃない。本人も監督も苦労しただろうね。1回だけ監督がスタメンから外したことがあるの。あまりにもスランプで、結局代打で出たんだけど、もし突然雨が降って試合が中止になっていたら連続出場がストップしているんだもんね。本人も「この記録は当然、自分ひとりで達成したわけじゃない」って周りに感謝していたよ。一緒に優勝を味わえたおかげで人間的にも成長できて、チームワーク、チームプレーをできる選手になっていって、キヌはよき仲間であり、ライバルでもある、そんな存在だね。

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