悪魔と聖職者
いつも閲覧ありがとうございます!!
今回は悪魔と聖職者の槍弓のお話です。
プロット交換しようって出したネタが思いのほかツボでつい書いてしまいました。
誤字脱字ございましたらご連絡ください!
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街外れの丘の上。そこに静かに佇むのは街を見守る聖堂。
日曜日になると人々が集まり司祭様と共にミサをたてる。正直なところ神様みたいないるかいないかわからない存在に祈りを捧げるなんて面倒だった。
けれどそんなオレがここに通うのには理由があった。
「主のみ教えを守り、み言葉に従い、つつしんで主の祈りを唱えましょう」
『天にまします我等の父よ、願わくは聖名の尊まれんことを、御国の来たらんことを。御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。我等の日用の糧を、今日我等に与え給え。我等が人に赦す如く、我等の罪を赦し給え。我等を試みに引き給わざれ、我等を悪より救い給え』
心地好いテノールが鼓膜を震わせる。彼の祈りはどんな讃美歌よりも美しく尊く、何故か悲しい。心臓の辺りがぎゅっとする、こう胸の奥に眠るしこりを穿つように。
影が落ちたと思った瞬間、こつりと頭に衝撃。
「今日は居眠りをしていないと思ったら考え事に耽っていたのかね?」
「神父様」
「他の子は皆お菓子を貰って帰ってしまったぞ」
「オレ、お菓子が欲しくて来てる訳じゃねぇもん」
この街では珍しい褐色の肌に白銀の髪。オレが産まれる前からこの聖堂を、街を守ってくださっているらしい。けれど誰に聞いても、いつから神父様がこの聖堂に赴任してこられたのかわからなかった。前任の神父様はどんな方だったのかもわからない。いつの間にかそこにいて、いつの間にか街に馴染んでいた。
だからオレたちの間では密かにとある噂がたっている。
『神父様は実は人間ではない』
それを聞いたときは馬鹿な話だと笑い飛ばした、神父様はどこからどう見ても人間にしか見えない。人間ではないというのならいったいなんだというのかと。
聖書にのっている天使様とはまるで容姿が違う。ならばその逆、甘美な言葉で我々を惑わす……。
「ほら、君の分のお菓子はちゃんと忘れずに持っていなさい」
くしゃりと大きな手で頭を撫でられる。やっぱりこんなにやさしいひとが悪魔であるはずがない。
「……あんま子供扱いするのはやめてくれ」
「それは失敬。なら、この私が作ったパウンドケーキはいらないのかね?」
可愛くラッピングされたお菓子がかさりと揺れる。神父様の手作りのお菓子は絶品だった。
「いるに決まってる!!でも、オレは神父様と話がしたくて」
「私と?私ができるのは聖書を読み聞かせることぐらいだが……」
「なんでもいい、神父様の話が聞きたい」
そういえば鋼色の瞳をそっとふせてなにかを考えているような素振りを見せた神父様。目を閉じているだけで絵になる、なんて。
オレはこの優しくて美しい神父様に恋心を抱いていた。けれど男同士、しかも神父様相手など神は許してくれないだろう。だからオレはこの想いを口にすることはないし、誰にも知られてはならない。
「そこまで言うのならば、とある聖職者の話をしようか」
長くなるからと温かいココアを淹れてこよう、そう言ってこの聖堂に備え付けられた食堂へと消えていく神父様。
聖職者の話……もしかして神父様の過去でも聞けるのだろうか?
「さて……何しろ私も思い出しながらになるから、多少つまることは許してくれたまえ」
ココアを片手に神父様はゆっくりとその口を開いた。
街外れの丘の上、そこにあるのは小さな聖堂。
その聖堂で祈りを捧げるのはひとりの神父。彼は一際人目を引く容姿をしていた。青く揺らめく大海のような髪をひとつに束ね、長い睫毛に縁取られたそこにあるのは血よりも赤い瞳。肌は透き通るように白く、見る者すべてを魅了した。
人当たりのよい青年を慕って街の人々も欠かすことなく神に祈りを捧げに通っていた。彼の笑顔はまるで太陽のように皆を明るく照らしていた。
彼らは幸せだった、そう……しあわせだったのだ。
彼らに潜み寄った悪夢、それは流行り病だった。街の医者もお手上げ、いまだに治療法の見つかっていない不治の病。感染方法もわかっていないため予防のしようがなかった、誰もが皆自分のもとへは来ないようにと神に祈っていた。
「神様……どうかうちの子の病を治してください……私はどうなっても構いません、だからあの子を……」
教会によく来ていた少女の母親が毎日毎日、酷いときは朝から晩までここで祈りを捧げている。これでは彼女も身体を壊しかねない。
「御婦人、効力はないかもしれんが祈りを込めた聖水だ。これをあの子に」
「ありがとうございます、神父様」
所詮は気休めでしかない。オレは医者ではない、ただ祈りを捧げることしか出来ない聖職者だ。だからこそオレは誰よりもよく知っている、神は誰も救わないことを。
なんてことを言っているから教会の上層部から疎まれ異端児だと言われるのか。
大事そうに聖水を抱えて彼女は少女の待つ家へと帰っていった。しんと静まり返る聖堂、礼拝者は彼女で最後。ここにはオレしかいない、はずだった。
「こんばんは、礼拝の時間はもう終わったんだ。また明日にしてくれねぇか?」
誰もいないはずの聖堂の一角に向かって声をかける。ちょうどそこは柱の影になり闇が出来ていた。そこに身を潜ませていたそいつはゆらりと姿を現す。
「こんばんは、祈りを捧げに訪ねた訳ではないから安心したまえ」
「ほぅ?ならばこんな夜中に何用か」
「君に恨みはないが……死んでくれ」
膨れ上がった殺気と突如そいつの手に現れた刃がオレに向かってくる。なるほど道理で"ヒト"の気配はしないはずだ。
同じく顕現させた朱色の槍でそれをいなして距離を取る。彼の背にある黒い翼は異形の証。
「聖職者がそんな物騒なものを持っていていいのかね?」
「今のご時世何かと物騒だからな、護身用だよ。実際今役に立ったじゃねぇか」
「なるほどそれは一理ある。今後の教訓にさせてもらおう」
なんの教訓だ。聖職者を襲うときに気を付けるってか?被害者を増やさぬ為にもここで仕留めておくべきかもしれん。悪魔は人間に害しか与えない。
「名前ぐらい聞いておいてやるよ」
「聖職者に真名を明かす馬鹿がいるとでも思ったのかね?」
まぁそりゃそうか。悪魔にとって真名を明かすことはそいつに魂を握られるも同然のことだ。故に我らは身を守るためにも悪魔の名をなんとかして聞き出そうとした。
名を知ればその悪魔を従わせることだって出来るのだから。
「今から殺す相手の名を知りたいって思うのは普通のことだろ、墓に名を刻んでやらなきゃなんねぇ」
悪魔を殺したところで死体が残るのかなんて知らないが、供養はしてやるつもりだった。オレが殺される可能性?んなもんねぇに決まってる。
「聖職者様が殺すなんて言葉を吐いていいのかね?」
「聖職者だってただの人間だぜ?」
「……君は、変わっているな」
「綺麗事だけじゃなにも救えねぇことも守れないことも知ってる。だからオレはオレに出来る最善を尽くすだけだ」
さて会話も程々に先程の続きをしようじゃねぇかと槍を構えたオレを真っ直ぐ見つめる悪魔。その手から刃が姿を消す。
「あ?なんだよ止めるのか?」
「君に興味がわいてしまった。だからここで殺してしまうのは惜しいと思ってね」
「誰がお前みたいな悪魔に殺されるかよ」
敵意のない相手に槍を向ける必要はない。そっと朱槍を消して悪魔と向かい合う。翼さえなければ人と見違えてしまうだろうその姿。なるほど悪魔は人に近しい存在なのだと言われるのも無理はない。
「さて聖職者様、くれぐれも私を幻滅させないでくれたまえ」
そうして悪魔は言いたいことだけ言って消えやがった。
「何様のつもりだよ」
悪魔がいた場所に残された黒い羽をそっと摘まみ上げる。消えないそれは確かにヤツがそこにいたという証拠だった。
光に透かせば様々な色が溶け混ざり黒に見えているのだとわかる。赤、青、緑に黄色……最初はどんな色だったのだろう。
「案外髪色と同じで真っ白だったりしてな」
なんて、それではまるで聖書の中で語られる天使ではないか。
眠いから馬鹿な考えが浮かぶのだと、眠りにつく準備を始める。あぁ今日も悪くない一日だった。最後の最後に爆弾が落とされたが、それすら悪いものではなかった。
翌日もヤツは同じぐらいの時間に現れた。聞けば姿を現さなかっただけで昼間もずっとここにいたらしい。
「……そういやお前さん悪魔のクセにここに入っても平気なんだな」
「あまりいい心地ではないが平気だ」
なら悪魔から逃れるために聖堂に逃げ込んだところで意味はないってことか。普通にこうして入ってこれちまうんだもんな。それに聖堂に逃げ込んだところで神様は助けてくれやしない。
「なんなら祈りでも捧げてみせようか?」
「は……?」
ばさりと白いカーテンを身に纏い胸の前で手を組みそっと目を伏せ、その口を開く。
「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。……アーメン」
耳に心地好いテノールが鼓膜を震わせる。
「ふふ、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているぞ?悪魔が祈りを捧げるのはそれほど可笑しいことかね?」
「いや……悪くねぇ」
カーテンの向こう側は今日はもう暗闇だったが、陽の下ならばきっと彼の白い髪に光が落ちてさぞ美しかっただろう。
「あ、なんなら昼間の礼拝に参加するか?オレの代わりにミサ仕切ってくれよ」
「普通悪魔を進んでたくさんの人間がいる礼拝に参加させようとするかね?あぁ、君の頭は少し足りないんだな、すまない」
なんだその可哀想なものをみるような目は。
「というかその、君ってのやめろよ。オレにはちゃんと名前が」
「そこまでだ。悪魔である私に真名を明かしてどうする、本当に君は馬鹿なのか?私に名を知られるということは契約を迫ることだって出来るということだぞ?君には警戒心というものがないのかね?まったく私でなければころっと契約に持ち込まれて魂を奪われていたぞ」
「お、おぉ」
なんでオレは悪魔に母親のように心配され怒られているのだろうか。悪魔とは人を甘美な嘘で騙し堕とす、そんな存在だと聞いていた。
優しいというか……そもそもこいつ悪魔に向いてねぇんじゃねぇか?
「あー……ならランサーとでも呼んでくれ、これなら文句ねぇだろ?」
「ランサー。ふむ……君がそう名乗るのなら私のことはアーチャーとでも呼んでくれたまえ」
おかしな話だ。悪魔と聖職者、相反する存在がこうして名乗りあって共にいるなど。これは神への裏切りになってしまうのだろうか?
もし許されないというのなら、そんな心の狭い神様などこちらから願い下げだ。
「よろしくな、アーチャー」
もはや日課になってしまった悪魔であるアーチャーとの密会。気が付けばアーチャーと知り合ってから半月ほど経っていた。
アーチャーは悪魔のクセにいいヤツだった。オレが疲れている日は甘いホットミルクを準備して待ってくれていたり、アイツの気が乗れば菓子まで作ってくれた。
オレはどんどんアーチャーと話をするのが楽しくなったし、それはアーチャーも同じであればいいと思っていた。秘密の友人を手にいれた、アーチャーが相手だと普段は話せないような愚痴も自然とこぼれてしまう。
「そういや昼間はなんで姿を現さないんだ?」
「私は悪魔だぞ?陽の光はあまり得意ではないんだ」
「聖堂に住み着くのは大丈夫なのにか?」
「神聖な空気は少し気持ち悪くなる程度の影響しかないが、陽の光は肌を焼く」
そりゃ出てこなくて正解だ。
「まぁ姿を現さないだけで傍にはいるぞ?悪魔とはそういうものだ、人間の傍で常に誘惑出来る瞬間を狙っている、だから気を付けたまえ」
どんな聖人であれ、所詮はただの人間だ。その心には人知れぬ闇があり、欲がある。他者を羨む心恨む心、そういう負の感情を私たちは好んで利用する。なんて忠告を残してアーチャーは姿を消した。
そう……どんなに真面目な使徒であれ、我々は罪深い人間という生き物なのだ。
「神様……どうしてあの子だけが罰を受けなければいけないのですか……?いつも一緒遊んでいたお隣の子は今も元気です。なのにどうしてあの子は今も苦しんで、どうして、あの子だけ」
彼女はこのままではいけないと思った。あれは祈りではない……呪いに近しいものになっている。
どこかで誰かが止めてやらなければ……けれど彼女の憂いは少女の病が治らなければ晴れることはない。オレにはその力がない……なんて無力なのか。
『ランサー、彼女のそばに私ではない悪魔がいるぞ』
アーチャーが耳元で囁く。なるほどオレには見えないがアーチャーには同業者の姿がみえているのだろう。
悪魔がそばにいるのならば急がなければいけない、オレに出来る最善を……。
「アーチャー、お前と契約すれば願いを叶えてくれるんだろう?オレと契約してくれねぇか」
いつものように現れたアーチャー。雑談が途切れたタイミングで切り出す。
悪魔との契約。人間は悪魔に三つの願いを叶えて貰える、その対価は命。
ガシャンと彼が持っていたコップが床に落ちて割れた。熱いココアがじんわりと拡がっていく。
「あっぶねぇな。火傷してねぇか?」
「ば……」
「ば?」
「君は馬鹿か!私と契約することの意味がわかっているのか?!君は神から見放された存在になり、その魂は救われることもない。永遠に闇をさ迷い続けるのだぞ?!」
とてもオレを殺そうとしていたヤツの台詞とは思えない。オレが三つの願いを叶えれば当初の目的は果たされるというのに。
「お前さんにデメリットはないと思うんだが、何故止める?」
「ランサー……私は君を殺したくない」
なんて苦しそうな顔をするんだ、悪魔は己の欲望に忠実で他者を顧みることなどないはずだろう。
「けどまぁオレにはこの方法しか浮かばねぇんだわ。オレの願いを叶えてくれ、アーチャー」
「……後悔しても知らんぞ」
「後悔なんてするかよ」
自分で決めたことだ、後悔なんてしねぇ。それにオレの最期がお前に看取られるものだというのなら、悪くないと思ってしまった。
「ならばここに契約を……我が名はーーー」
手の中にあった温かいココアはすっかり冷えきってしまっていた。神父様の口から紡がれるその物語に引き込まれ、まるで己のことのように考えてしまっていた。
「つい私も話し込んでしまったが、今日はもう遅いから帰りなさい」
「つ、続きは?!」
「また明日。ほら、親御さんも心配しているだろう」
そんな中途半端なところで終わらなくてもいいのに……そう思ったが重い腰をあげて聖堂を後にする。背中に感じていた神父様の見送りの視線は厚い扉が遮ってしまった。
辺りはすっかり闇が落ちて昼間とはまったく雰囲気が違ってみえる。誰かに見られているような、そんなあるはずないことを想像してしまう。
神父様の話のなかで聞いた言葉を思い出す。
『悪魔は……人間の傍で常に誘惑出来る瞬間を狙っている』
もしかすれば今だってオレの傍に悪魔がいるかもしれない。オレの秘めたる心の揺らぎに付け入る隙を狙っているかもしれない……なんて。
けれど神父様の話に出てきた悪魔は恐ろしいと感じなかった。悪魔にもいいヤツがいるのかもしれない。そう……それこそ神父様みたいに優しい悪魔だって……。
神父様と悪魔を並べて比べるのは失礼すぎた。ふるりと頭を振って暗闇のなかを家路を急ぐ。
その日の夜、変な夢を見てしまった。オレは神父様のような服を着て横たわっていて、そばに神父様にそっくりな人がいた。
オレの手をそっと握って神父様が悲しそうに言うんだ。嫌だ……いかないでくれ、と。
神父様にそんな顔をさせるなんて……オレならば神父様を悲しませることなんて絶対にしないのに。
けれど夢の中のオレは酷いヤツで、泣きそうな神父様に向かってこんな言葉を告げた。
『オレは必ずお前を迎えに来る、だから待っててくれ』
絶対なんてこの世にはない、なのにこの男は神父様を約束で縛り付けた。何処へだって行けたはずの神父様を、こんな寂しい場所にひとり残して……。
夢のことを神父様に話そうか迷ってやめた。たかが夢の話だ。神父様はきっと笑ったりしないと思ったが、それよりも昨日の続きをはやく聞きたかったということもある。
「神父様、はやく昨日の続き聞かせて」
「わかった、わかった。まったく……そんなに面白い結末ではないが構わないかね?」
手の中の紅茶を一度傾けてから神父様はその口を開いた。
「神様、神父様ありがとうございます、あの子の病が治ったんです……!お医者様もこれは奇跡だと」
「神は救いを求める我らを見捨てたりしない。貴女の祈りが届いたんだろうよ」
あれだけ負を纏っていた彼女は憑き物が落ちたよう。無事に少女の病は治ったようだし、めでたしめでたしってやつだな。
『……』
なにか言いたげなアーチャーの視線を感じた。けれどそれには気付かぬふりをする。心優しい悪魔、今までもこうしてお人好しを発動させて悪魔らしからぬ行動をとってきたのだろうか?
悪魔としては異質な存在、仲間内から疎外されてなければいいのだが……。
『君はどうしようもなく、ばかだな』
オレはお前も相当なばかだと思うぜ。
あぁけれど教会に悪魔と契約したなどと知られれば、ただでさえ目障りなオレを叩き潰すいい口実を与えてしまう。なんとかして隠し通さねぇとな。
「神父様、今度うちにいらしてください。聖水のお礼に食事でも……きっと娘も喜びます」
「気持ちだけで充分だ。もしどうしても礼がしたいって言うなら、娘さんがちゃんと元気になってからまた一緒に礼拝に来てくれ」
そう言って彼女を見送る。病が治ったとはいえまだ本調子ではないはずだ、母親がそばにいる方が安心するだろう。
一人きりになった途端、すっと背後に姿を現すアーチャー。まったくいつも以上にひどい顔をしていた。
「……もう私になにも願ってくれるな。三つ願いを叶えなければ君が死ぬこともない」
「その事なんだけどよ。三つの願いを叶えなかった場合、お前にデメリットはないのか?」
「私の心配などしなくていい」
「あるんだな。なら二つ目の願いも今聞いてくれよ」
「私の話を聞いていたのかね?!」
「アーチャー、オレの命が終わるときまでそばにいてくれ」
「な……っ?」
口を大きく開いてこちらを信じられないものを見るような目で見ている顔は少し幼くて可愛かった。
「たわけ!そんなしょうもない事を願うやつがあるか!」
「看取ってくれる身内もそばにはいねぇ。だからお前に看取られたいと思うのは悪いことか?」
「私は、悪魔だぞ……?君とは違う、君に害しかなさない」
「オレはお前と過ごすのは案外悪くねぇって思ってんだが?」
お前は違うのか?そう問えばぎゅっと眉間に皺を寄せ苦虫を噛み潰したような顔をしてから、私も同じだと消えそうな声で言ったのを聞き逃さなかった。
神に……誰にも許されぬとしてもこいつと共にいたいと思った。この不器用で心優しい悪魔のそばにいたい。
「じゃあいいじゃねぇか、なんの問題もごほっ……あー……風邪でもひいたかね」
「腹を出して寝ているからだぞ。何度布団をかけ直しても蹴り飛ばしてしまうのだから……」
「何度もかけ直してくれてんのか?」
「ぁ……ち、違うぞ?!私は別に契約者である君がコロッと死んでしまうのが困るからであって」
「はいはい、オレのことが大切なんだよな。あー……可愛いヤツめ」
真っ赤になってそっぽを向いてしまったアーチャーは知らない。手のひらにべたりとついた赤を。
どうやら心の狭い神様はオレの行為を許さなかったらしい。けれど己の心に嘘をついて生きるぐらいならば罰を受けることも厭わない。
彼は目に見えてどんどん衰弱していった。悪魔である私にとって寿命を見ることは簡単だが、どうしても現実として受け入れたくなかった。
「……ランサー」
私の声に反応する回数もどんどん減っている。目を開けることすら辛いらしい。
元気な君がみたい……出会った頃のように明るく太陽のように笑う君がいい……。
そこまで思って私は理解してしまう。"私"が彼と出会わなければ、こんなことにはならなかった。
"私"が彼を、殺すのだろう。
「アーチャー、またひでぇ顔してる」
「っランサー!無理はしないでくれ、なにか食べたいものはあるかね?なんでも作ってこよう」
「はは……これは三つの願いに入っちまうのか?」
「これは、私が君にしたいんだ。願いでもなんでもない。ただの私が、君のために……」
「泣くなよ、アーチャー」
彼に言われて気が付く、道理で視界が不明瞭だと思った。涙なんて、悪魔になった時にもう枯れてしまったと思っていた。
「誰のせいだと思っている」
「オレのせいだな」
「……馬鹿なことに二つ目の願いを使わなければ君の病だって治せた」
「それなんだけどよ……オレはもう十分生きたと思ってる。病だって神が定めた運命ならば受け入れるつもりだ」
君をこの世界から奪う神などくそ食らえだ。君のような人間がこの世界に必要だ、優しく明るく皆を太陽のように照らす君はこんなところで死ぬべきではない。
「ならば子供を治したのはどうしてだ?あれも神が定めた運命だったはずだ、あの子を救って君を救わないのはおかしい」
「子供には未来がある、まだまだこれから先がある。オレは今まで結構好きに生きてきたし、やりたいことだってしてきた」
だからもういいのだと笑う、後悔も未練もなにもないのだと。
よくない、そんなのよくない、君はよくても私がよくない。
「お前にも出会えた、それだけでオレの人生にも価値があったと思わねぇか?運命なんて信じたことはなかったが、きっとお前はオレの運命だ」
私に会ったことでその人生が狂ってしまったというのに、君はそんなことを言うのか。
「……なぁ神父様。ひとつ私の懺悔を聞いてくれないかね」
彼にはすべてを話さなければいけないと思った。
ずっとずっと昔、私は天に遣える存在だった。その頃はこの翼は真っ白で美しいものだったんだ。私は人々を救うためにあちこち飛び回り、困っている人がいればそのすべてを救おうとした。
今思えばそれこそが傲慢で私には過ぎた考えだったんだろう。
私の小さな手で救えるものは限られてくる。こぼれ落ちたものの叫びが、嘆きが、私の耳にこびりついて離れない。だから私はなんとかして全てを救おうとして……天使として手を出してはいけない力にすら手を出してしまった。そうして気が付けば私の翼は黒く染まり、神の声も聞こえなくなった。
そこまで堕ちてからようやく自分が堕天したのだと理解した。受け入れることは出来なかったけれど、私の行動は変わることはなかった。
救いを、助けを求める声に応じては、その願いを叶えた。天使であった頃よりも力は増しているらしく、どんなことでも叶えることができた。
悪魔になって、ようやく私は理想を叶えることが出来たと……そう思ったのは一瞬だった。
酷い声をあげながら闇に溶けていった人間の魂。これが、願いを叶える代償なのか。結局私はこの人間を幸せにすることが出来なかった。
なんて酷い話だ。私が願いを叶えることで、この人間は堕ちてしまった。
それでも悪魔としての私は求められればその声に応じて願いを叶えるしかない。なにも願ってくれるな……私はもう誰も……。
悪魔としての自分に苦しむ私のもとにいつものように声が届く。
『とある神父を殺して欲しい』
とんでもない願いだった、人が誰かを殺したいと思うなど間違っている。しかもそれが神に遣える存在であるはずの神父の願いだなんて世も末だ。
あぁ……もう気が付いたかね?私が君を殺しに来たのは願われたからだ。
「……けれど、君は聞いていたような酷い人間ではなくて。むしろ私が理想としたような人間だった。だから……命を奪いたくない、生きていて欲しい」
「あー……まぁそんなことだろうと思ってたぜ。オレは教会の上層部のヤツらから疎まれてるからな」
「ランサー、最後の願いは君の病の治療にしてくれ。そしてすぐに私を殺せ。そうすれば君は死なずに」
馬鹿なヤツだ。人のために尽力して、神から見放された後もその理念は変わらず人のためだけに生きて……。
お前はよく頑張った、だからもうその肩の荷をおろして自分のために生きても誰も怒らねぇし罰も当たらねぇと思うんだ。
もし文句を言う輩がいるならオレがぶっ飛ばしてやる。
「……アーチャー、オレの最期の願いを聞いてくれるか……?」
さっき未練はないと言ったが訂正しよう、お前と陽の下を歩きたかった。暗闇に隠れての逢瀬も悪くはないが、陽の下で堂々とお前と共にいきたかった。
「アーチャー、お前を人間に変えること、それをオレは願う」
「は…………?」
三つ目の願いを口にしたからか、心臓がどんどんと冷えていくような心地がする。オレの命が終わりへと向かっていくのを感じる。
「き、みはなにを……そんな、こと」
「なぁアーチャー、人間はなにも難しいことは考えなくていい。お前の生きたいように生きればいいんだ」
あー……まずい、目が霞んできた。指先の感覚ももうあまりない。
「君がいない世界で、どう生きていけばいい……?私にはなにも、わからない」
ぎゅっとオレの手をアーチャーが握ってくれているはずなのだがなにも感じない。
「大丈夫、お前ならひとりでもなんとかなる」
「嫌だ……いかないでくれ。ランサー、君がいないと私は……っ」
「はは、熱烈だな。わかった、約束しよう。オレは必ずお前を迎えに来る、だから待っててくれ」
ぎゅっとアーチャーの手を握り返したつもりだったが、ちゃんと握れただろうか?
もう目も開けられない。ただ、アーチャーが不細工な笑顔で頷いた……そんな気がした。
あぁ……愛するヤツが最期に隣にいる、悪くない人生だった。
きらきらと光の粒子となり溶けていくランサーを見送る。悪魔と契約した彼の魂が天に還ることはない……。彼はどこへいくのだろう、私はこれからどうすればいいのだろう。
私の背から抜け落ちた羽がふわりと舞う。何故か勝手に開いた扉の隙間から光が差し込み風が吹き込んだようだ。
彼が呼んでいるような、そんな気がして私の足は自然と扉の方へと向かう。
「あぁ……やはり朝日は美しいな、ランサー」
美しくて、眩しくて、私は朝日をみてひとり泣いた。
街外れの丘の上、そこにあるのは小さな聖堂。
神父になった私は今日も彼が迎えに来てくれるのを待っている。
口のなかがカラカラだった。手の中の紅茶はもうすでに飲み干してしまって、ごくりと己の唾を飲み込むことしか出来ない。
今の話は、どこからどこまでが本当なのだろうか。全て本当だというのなら、今目の前にいる神父様は元悪魔で……。
「随分と青い顔をしているが体調でも悪かったのかね?」
「今の話、本当の話なの……?」
心臓がばくばくと脈打つ。
「君はどっちだと思うんだね?」
神父様の鋼色の瞳がすっと細められる。けれど神父様から目を逸らすことが出来なかった。
まさか、あの夢はただの夢ではなくて、オレの過去の記憶だったというのだろうか……?オレはもしかして、神父様がずっとここで待ち続けている、ランサーの生まれ変わりなのではないか?
「神父様……いや、アーチャ」
「エミヤ!お前はそうやって作り話で子供をたぶらかしてんのか?悪い神父様だなぁ?」
「人聞きが悪いぞ、クー。私はただこの子が面白い話を聞きたいと言うから、演出としてだな」
「どうだかな。坊主、この神父様は悪いがオレのなんだわ。オレから奪うっていうのなら……それ相応の覚悟を抱いてこい」
青い髪がゆらりと揺れたと思えば気が付けば目の前にその人がいて、赤い血のような槍が胸元に添えられていた。
「っわ?!」
「クー、子供相手に大人気ないぞ」
「神父様、また明日も話を聞きに来てもいい?」
「明日はダメだ。日曜のミサの準備が忙しくてね」
「坊主、オレが構ってやろうか?」
にたりと笑うその男。とても容姿が整っているが故の圧を感じる。いや……違う、生き物の本能としてこの男は危険だと判断している。今だって神父様がいなければすぐにでも逃げてしまいたかった。
「ランサー、君も手伝いがあるだろう」
「悪いな坊主、やっぱ遊んでやれねぇわ」
「……さぁもうお帰り、親御さんも心配するだろう」
神父様に背を押され聖堂の扉の前に向かう。その時、オレは柱の影に見つけてしまった。カラスのように真っ黒な羽が忘れられたようにそこにあった。
「あ、の神父様」
「子供はもう家に帰って寝る時間だぜ」
ひどく冷たい声が背中に投げられた。氷が背骨をつっと滑ったような、そんな冷たさ。
さっさとここを去れと言われているような、そんな心地になった。
「さようなら」
逃げるように聖堂を後にする。辺りはすっかり闇に包まれていて足がすくむ。
神父様のあの話はどこまでが本当なのだろう、あのクーと呼ばれた男は神父様にとってどういう存在なのだろう。
わからないことだらけだ……けれど、きっとオレが考えたところでなにもわからない。神父様だって教えてくれやしないだろう。
けれど難しいことを知ったところで、オレの小さな世界はきっとなにも変わらない。そう、なにも変わらない。
その日はなんの夢もみなかった。
翌日、いつものように聖堂に向かって皆と共にお祈りをした。
「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように」
「アーメン」
ミサが終わった後も神父様の周囲には人がたえない。慈愛に満ちた青い瞳で皆を見つめながら話を聞いている。
それにしても今日はミサが終わったのにお菓子を貰う子供の列が出来ていない。みんなお祈りが終わったのと同時に外に遊びにいってしまった。
いや……そもそもミサは神に祈りを捧げるためにひらかれるのだからお菓子なんて配られていなかった、ような?
かさり
コートのポケットの中で音がした。
そこには誰に貰ったのか忘れてしまった可愛いラッピングの施されたパウンドケーキが入っていた。
一口食べると、涙がぽろりと一滴落ちた。甘くて優しくて、少し悲しい、そんな初恋の味。
「ん……おいしい」
「別れは告げなくてよかったのか?あの坊主のこと気に入ってたんだろ?」
「忘れてしまった方があの子にとってもいいことだってあるだろう。それこそ抱いてはならぬ想いも共に」
「やっぱあの坊主お前さんに惚れてたのかよ、この天然の人タラシめ」
彼の美しい指が私の短い髪をそっと撫でる。あの日と変わらぬその姿、唯一変わったところといえば彼が背負った美しく黒い羽だろうか。
「……というか君は陽の下でも平気なんだな」
「悪魔としての格の差ってやつかね?」
そう言って笑う。私が悪魔としては弱かったと言っているのか?いや……まぁあまり意欲的に活動はしていなかったから否定はしないが。
「お前と今度こそ共にいるために頑張ったってことにしてくれ」
あぁくそ……顔がいい。それにそんなことを言われて嬉しくないわけがない。
どれだけ長い時間、君を待ったと思ってるんだ?もう私との約束など忘れてしまったのかと、人知れず枕を濡らしたこともあったようななかったような。
「アーチャー」
「な、なんだね。急に真面目な顔をして」
「汝良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み。他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、オレを想い、オレのみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
真面目な顔をしてなにを言い出すのかと思えば……。
「答えなどもうずっと前に決まっている。答えはイエスだ、ランサー」
「誓いはここに」
触れるだけのやさしい口付け。あぁ……そういえばこれがハジメテのキスになるのか。彼の生前は叶わなかったから。
「今度こそ誰にも、神にも邪魔されることなく陽の下で生きていこうぜ」
「あぁ、君としたいことがたくさんあるんだ、聞いてくれるかね?」
死が二人を分かつまで……いや、死程度では私と彼は分かたれることはない。
なんせ彼は私の運命なのだから。