【槍弓個人誌再録】天の秤 前編
版権元:Fate/stay night,Fate/hollow ataraxia
カップリング:槍弓(ランサー(五次)×アーチャー(五次))
医師として働くランサーの隣の部屋に、ある日変わった兄弟が引っ越してくる。
どうやら訳ありのようであるが、さて、どこまで深入りするべきか――。
というような感じの前後編作品の前編です。(完売済み)
古いお話ですがゆるぷち開催に合わせて再録させていただきます。当時お読みいただいた皆様、ありがとうございました。
前編は全年齢ですが後編はR18になります。
また、現代パロディですが特殊設定を含みます。
いきなり残酷な表現、流血表現からスタートします。苦手な方はご遠慮ください。
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零.
「そいつを殺させろ」
アーチャーの保護者がそのようなことを言って、二人きりでも狭い無機質な部屋へと拘束された人間を放り投げた。頭には袋を被せられ、手足は厳重に布と縄で縛られ、呻き声すら僅かにしか聞こえない。体格から男性であることはわかるが、そこまでだった。極力まで殺された個は、殺す側の罪悪感を緩和する。この光景はアーチャーがかつて経験した儀式そのままであった。
儀式。あるいは教育。ナイフの扱い、銃器の扱い、人の急所、耐えられる攻撃と避けるべき攻撃、絶対に逃げなければならない状況、食べられる野草、川水の毒の抜き方、人の精神を壊す方法――それらの集大成と終着点がこれだった。カラン、と投げられた抜き身のナイフが、身を捩る顔の見えない男を飛び越えてアーチャーの足元にまで転がってくる。
切嗣はいつものように、入口を塞ぐような位置に立ち止まって、逆光のままこちらを見下ろしている。命令だ、いつも通りの。七年前生後間もない赤子を寄越して「育てろ」とだけ告げた時と同じ、十年前同じような人間を引きずってきて「殺せ」とだけ告げた時と同じ、日常とでも言うべきありふれた命令の一つだった。
転がるナイフを拾い上げる。アーチャーはただ、ついに来てしまったか、と静かに思った。アーチャーが士郎をこの家で育ててきた以上、この日が来ることは遠い未来の話ではないとわかっていた。
「アーチャー……?」
背中からの声が呼ばう。人の名とは言いがたい己の名を。
自分で名乗ったものではない。ただ個体を識別する記号がないと不便であるという理由で切嗣から与えられ、自分の名となった言葉だった。弓を引く者。生まれ落ちてから力尽きるまで、人を殺すためだけに稼働する戦闘機構。
外で仕事をこなすようになって、自分の名が名乗ったところで本名だとは信じてもらえない類のものだと知った。だから託された赤子の個体名を考える時、人の名前として違和感のないちゃんとしたものをつけようと思った。
「士郎」
振り返る。七年経って、赤子は少年にまで成長していた。あの小さな生物が大きくなったものだ、と感心する。それでもまだ見下ろす背丈は随分と小さく見えた。この大人用のナイフはきっと手に余るだろう。
ウーウーと唸る声が聞こえる。士郎は布を被され蠢く男が気になるのか何秒かに一度視線をやっている。
殺すという概念は教えてある。急所だって完璧に諳んじられるように仕立て上げた。このまま順調に行けば、士郎は大人たちの求めた通り己を上回る優秀な暗殺者になるのだろうという確信があった。きっと喜んでもらえるだろう。与えられた役割を万全にこなし、自分の用意した人間がみんなの役に立つのだ。その未来を空想することは、かつてのアーチャーにとって数少ない楽しみですらあった。
だけど、今日儀式の日を迎えて、アーチャーの気持ちはただただ重く沈んでいた。
このナイフを士郎に手渡して、何をすればいいのか教えてやるだけだ。今までこなしてきたあらゆる課題よりもずっと簡単なことが、どうしてかひどく難しく感じられた。
「何をしている。早くしろ」
とうとう俯いたアーチャーの頭上から感情のない男の声が降ってくる。アーチャーはびくりと肩を震わせた。
切嗣は計画外のことが起こるのを嫌った。自分が完璧に仕事をこなす分、もたつく他人を見ていると苛立つのだろう。
ナイフを持つ手の力を強くする。何てことはない使い捨てにされるような量産品だったが、刃こぼれの一つもないよく手入れされたナイフだった。ここでは道具は大切に扱われる。暗殺者として手間を惜しまず最高峰の調整や改良を受けていたアーチャーはそれをよく知っていた。
だけど。だからこそ。
――そうだ、士郎は自分よりも慎重に手掛けていくべき個体だ。大切に扱われるべきだ。だから今の自分の判断に、論理的におかしな点はないはずだ。
そんな風に自身を勇気づけて、アーチャーは決意とともに俯けていた顔を上げて切嗣の黒い瞳を見上げて言った。
「……士郎には、まだ早いと思う」
いつも通りの口調で言ったつもりだが、喉は張りつきそうなほど渇き、絞り出す声は震えていた。こちらを無感情に見据える切嗣が目を細めるのに体までもが震えだしたが、手にしたままのナイフを強く握りしめて視線を逸らさなかった。
「まだ七歳だ。体もできあがっていない。精神的にも幼いし、殺人の練習はもう少し成長してから始めた方が――」
「僕は殺させろと言った」
「……切嗣。だが、士郎は、」
「これは命令だ。復唱以外で口を開くな」
懸命に言い募ろうとしたが、再三言葉を重ねられて決心が揺らいでいく。アーチャー自身、自分のしていることが理解しきれていないのもあった。
アーチャーは自分が切嗣たちにとっての道具だということを理解していた。だから役に立てると嬉しかったし、期待に応えられない時の失望を何よりも恐れた。持ち主の意向に逆らわないなんて道具としての最低条件だ。それを果たせず切嗣を苛立たせている今は、アーチャーが一番恐れていることのはずだった。
――恐れている、という表現ではまだ生易しかったかもしれない。自分という存在を己で否定する行為への強烈な忌避感。自己矛盾を避けようと懸命な本能の焦燥は、遂にはアーチャーの口から反論を奪った。唇を強く噛む。見下ろす切嗣の熱のない視線が、いつ失望とともに逸らされるのかと思うだけで恐怖のあまり叫び出しそうだった。それでも俯くことなく見上げ続けたのは、恐怖と同じくらい強くアーチャーを揺さぶる感情の叱咤があったからだ。
士郎、と。あちこち仕事をしながら命名法なんかも聞き齧って、最後まで自分一人で悩んで、そうやって名前をつけた。自分が切嗣に存在証明のすべてを預託したように、士郎にとってはまさに己こそがすべてであるのだという自覚がアーチャーにはあった。
だから一言告げれば、やり方なんて今更おさらいするまでもなく、士郎の手によってここで蠢く名も知れぬ男は永遠の眠りに就くだろう。それが、切嗣に逆らうのと同じくらい恐ろしかった。
「……初めてだな、君がこんなガキみたいな駄々をこねるのは。四度目だ、次はないぞ。『そのナイフを渡して殺させろ』」
語気が強い。命令だ。
体ごと心臓も肺も縮んでしまったかのようで、とても息を吸えるとは思えなかった。緊張に震える鼓動が、足りない酸素を求めて強くなる。喉が渇く。
命令は絶対だ。指示を受ける以外の選択肢はないのだから、こうしている時間に何の意味もない。切嗣が無駄を嫌うことをよく知っているし、アーチャー自身無為な時間を過ごすのは好きではなかった。このナイフを渡してやってみろと告げる。ただそれだけで、全部解決するっていうのに――。
「……アーチャー。いいよ、俺やるよ。ちゃんと教わったとおりにできるからさ」
進展のない二人のやり取りに、アーチャーが背中に庇った士郎がとうとう声を上げた。握りこんだままのナイフにまだ幼い手が伸べられるのを察して、アーチャーは弾かれたように振り返った。
「黙れっ! 余計な真似をするな! 貴様には関係ない、今はおとなしくしていろ」
「なんでだよ、俺が関係ないわけないだろ。俺がちゃんとできるかできないのかって、そういう話をしてるんだから」
呑気なことを言う士郎に、一気に視界が赤くなる。喉の震えも忘れて叫んだ。
「できるかできないかなんて単純な話じゃない! 何もわかっていないなら黙ってろ。オレが今どんな気持ちで……!」
そこで言葉が途切れたのは、そんなことを言っておいて自分でも自分がどんな感情でいるのか言い表せなかったからだ。
切嗣の命令に並び立つほどの優先事項が他に存在するなんてありえない。だというのに、命令に沿おうとする士郎を黙らせようと躍起になる自分はなんなんだ? こんな日が来るとわかってここまで育てて来たのに、土壇場になって何を喚き散らしているのか。
咄嗟に口をつぐんだ士郎も、アーチャーが何に怒っているのかわかっていないようだった。不満を視線に湛えたまま、納得のいかない表情で黙り込んでいる。
「――そうか。わかった」
沈黙した子供二人を救ったのは、言葉の終わりとほとんど同時に響いた重い銃声だった。狭い筒の中で大量の火薬が爆発する音は間近で聞くには強烈で、肩を揺らしたアーチャーは慌てて士郎から切嗣の方へと向き直った。
皮膚から頭蓋を破り脳奬をぶちまけた上で更に固い床に銃痕を残すだけの威力。振り向いたアーチャーの視界では、切嗣の愛銃コンテンダーからちょうど硝煙が立ち昇っていた。
「命令は撤回だ。こいつを殺させるのはやめにしよう」
急な宣言だったが、今まさに眉間を撃ち抜かれ絶命した拘束衣の男が切嗣の発言を何よりも肯定していた。アーチャーは自分でもなぜかわからないまま深く安堵して、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。自分の拙い言い分を、切嗣はわかってくれたのだと感謝しようとして、
「アーチャー。代わりに君が士郎を殺せ」
「――」
ありがとう、と言いかけた一音目で口が止まる。ポカンと、間抜けな顔のまま、自分よりずっと背の高い保護者を見上げていた。
「な、にを。待って、何かおかしい。すまない、ちゃんと聞こえなかった」
「君が士郎を殺すんだ。ほら、早く。今度は四回も言い直さないぞ」
はく、とでき損なった呼吸が耳につく。
左右に首を振って言い直してくれるのを期待したが、切嗣はコンテンダーをしまい込んでからは体どころか眉一つ動かさずただアーチャーの実行を待っていた。
『君が士郎を殺せ』――頭の中で反響する言葉の意味を理解するのを必死で拒絶して、さっきよりも大きく首を振った。
「おかしい、切嗣。あなたにだって、そんな権限はないはずだ。だって士郎は私の後継だ。ここで処分しては今までのコストが回収できないじゃないか。理屈にあわない。そうだろう? なんでそんな、急に、そんなこと……」
言葉尻が沈んでいく。アーチャーの反論に、切嗣は何の反応も返さなかった。聞き分けのない子供を叱るでもなく、ただ果たされて当然の結果だけを待っている。
ぐらりと視界が歪んで、一瞬平衡を見失った。どうすればいいのか、本当にわからなくて途方に暮れる。
おかしいのは自分だ。今まで一度だって、殺害に理由なんて求めなかった。十にも満たない子供や、まだ産まれてすらいない腹の中の胎児が殺されなければならない道理こそどこにもなかっただろう。殺しに理由が必要なら、理由などなかったアーチャーの今までの仕事はすべて実現不可能だったということになる。
そうだ。私はただ従うことだけ求められた道具、殺人を最高効率で果たすために作られ調整された機構に過ぎない。数えきれないほどの人間を殺してきて、今更小僧一人がなんだと言うんだ。
混乱の只中、従順な道具として形成されたアーチャーの人格は、なんとか命令実行の筋道を立てようと、指定された殺害対象へと一度振り返った。
琥珀色の瞳とまともに目があう。殺されることがわかっていないはずもあるまいに、士郎は逃げる素振りはおろか恐れる様子すらなかった。
命令がすべて。その不達成以外は己の命であっても恐れるなと教えたのはアーチャーだ。だから士郎が逃げ出さないのも、己が無意味に殺されることよりも混乱するアーチャーにこそ不可解な様子であるのも、アーチャーが望んだ通りの姿――であるはずだ。
ナイフの握りを強くする。やらねばならない。ここでまさか、自分の感情などという不確かで未熟なもののために命を天秤にかけるなど、あってはならないことだ。それは今まで果たしたすべての殺人に対する裏切りだ。私が意思を持たない人形であるから、彼らは意味などなく殺されたのだ。そうでなくては……そうでなくては……。
――そう。だから、やらなくては。
凶器を持つ手を振りかぶる。体が震えていないことに感謝した。
できる。簡単なオーダーだ。これはアーチャーという人間が破綻を来さないために必要な儀式なんだ。切嗣を信じろ。彼はできない仕事は初めからやらせない。教育者として完璧な人なんだ。十四年間、この人の言うことだけを標に生きてきた。できるはずだ。やらなくてはならないのだから。
アーチャーと違って生まれたままの色でここまで育って来た士郎の黄土の瞳が金属質な輝きを湛えて加害者をただ見据えていた。もう長いこと黒と白灰に変色した肌と髪と瞳で生きてきたアーチャーは、同じ遺伝子に調整された士郎の色合いを見てはかつての自分の外見を想像したものだ。
余計な回想を挟もうとする自分を追い払う。目を逸らさぬまま死ぬ子供などいくらでもいた。こんなものは唾棄すべき感傷だ。すべてに例外なく終わりを与えてきたからこそ、自らの行為には道具としての価値がある。命を秤にかけてはならない。私はせめて、平等でなければ、今まで奪ったすべての命に申し訳がたたないじゃないか――。
肉を破り血管を断つそれだけの作業に覚悟を要するのは初めてのことだった。思えば、こんな長く一つの生命に向き合ったことはなかった。
アーチャーの経過が良好だったからこそ生まれた後継。実験の次の段階として準備されたヒトの子供。
……七年間。言葉を教えて、ものの食べ方を教えて、名前をあげて、名前を呼ばれて、寒くもないのに隣り合って眠った、七年間。
「――無理だ」
声も、体も。震えてなんかいなかった。アーチャーは冷静に、アーチャーという個体の状態を俯瞰して結論した。
切嗣たちは失敗したのだ。私に完璧を求めるなら、この小部屋に我々を一緒にしておくべきではなかった。
従順な道具であることを求められ、自らもそう課してきたアーチャーは、己の欠陥を正しく認識した。気づいてはいけない矛盾だとわかって、肯定した。
「無理だよ、切嗣。その命令だけは実行できない」
ナイフを持った手を力なく下ろす。知らず俯いている自分に気づいて、アーチャーはブンブンと首を振った。勇気を奮って切嗣の方へと振り返る。
「逆らいたいわけじゃない。他のことならなんだってする。こいつの分も働くし、長生きだってしてみせる。そうだ、もう一人練習用を連れてきてくれるなら、今度はちゃんと殺させてみせるから。だから、今のオーダーだけ取り下げてほしい。それだけは、私には無理なんだ」
必死に言葉を尽くした。これだけの言葉を一度に紡ぐことは今までなかったかもしれない。
果たして切嗣は、まだ幼さを残すアーチャーの最初で最後の懇願を前に全く揺らぎのない平坦な声で繰り返した。
「撤回はない。これは大事な通過点だ、アーチャー。君がやるんだ」
「……できない。なんでだ、切嗣。私が士郎を殺すことに何の意味があるって言うんだ。それ以外なら全部逆らわないから……お願いだ、やらなくてもいいって言ってくれ」
「…………参ったな。ナイフの使い方からやり直さなきゃダメかい?」
その声は滅多にないくらい優しげなものであったが、アーチャーの悲痛な願いはすべて無視された。切嗣はゆっくりとアーチャーのもとへ歩み寄り、ナイフを持つ少年の右手を上から包み込んで静かな動作で手を引いた。アーチャーの体は切嗣に引かれるがまま再度反転し、士郎のいる部屋の奥の方へ向き直る。
息を呑んでアーチャーは咄嗟に手を抜こうとしたが、大きな手のひらにすっかり覆われていて抜け出せない。アーチャーはゾッとした。切嗣のこの行為は、かつてアーチャーに骨を避けて内臓を突く方法を手ずから教えた時とまったく同じだったからだ。
「――嫌だっ! もういい、切嗣、私は不良品でいい! これは私の欠陥だ、私を処分して士郎でやり直せばいいじゃないか! こんなことできなくていい、殺してくれて構わないから! なんでこんな……、いやだ、やめてくれ、切嗣……頼む……」
振り向いてもくれない男の背中に向かって、弱々しく首を振って嘆願する。ずるずると引きずられていく体が怖くて堪らなかった。
切嗣を挟んだ向こう、困惑している士郎が見える。それが例え『死ね』という命令でも絶対に従えと教えてきたアーチャーが、ここにきてこうまでして切嗣に逆らっているのがわからないんだろう。
「アーチャー……? 泣いているのか?」
判断に迷ってアーチャーを見た士郎が、心配そうに呟いた。
泣いている? そうなのかもしれない。視界が歪んでひどく見づらいのはそういうことか。泣いて叫んだところで意味はないと知っているのに、どうしてそんな無駄なことをしているのだろう。
泣き喚いたところでなんにもならない。よく知っていた。命乞いにと縋り付く人たちに耳を傾けず始末してきたのは、今までのアーチャー自身だったからだ。
(どうしたらいいんだ)
撤回はない。彼がそう断言した以上、アーチャーは士郎を殺さなければならない。それが嫌なら、――命令そのものをなくすしかない。
どうしたら、と惑う感情を置き去りにして、アーチャーのよく鍛えられた殺人機構は彼の手を引く男の殺し方を考え始めていた。対象の主武装はピストルで、今はコートの内ポケットに戻されている。格闘戦優位な間合いで、体格では己が劣るが純粋な筋力では調整された分有利をとれる。今掴まれている手に抗うのを一時止めて体勢を崩し、速やかに押し倒して手にしたナイフで首を斬る。
――可能だ。私は切嗣を殺せる。
出た結論に、結論を出した自分に、アーチャーは呆然と息を止めた。
「切嗣、わたしは――わたしは、殺したくない」
祈るように口にした。彼が一言、士郎を殺さなくていいと言ってくれたらいいだけだ。そうすれば、アーチャーは誰も殺さなくて済む。
「殺したくない存在ができたなら好都合だ。それを殺して君が優秀な製品であることを証明して見せろ」
「――」
唇が戦慄く。
おしまいを悟った。呼吸ごとこの鼓動も止まればいいと思った。
アーチャーは祈りになんて何の意味もなく、感情に何の力もないことを知った。
そういうことだ。殺したくないなら、殺すしかない。それしかない。私はそういう機械だから、ようやく見つけた心の重さを、『どちらを殺すか』なんて救いがたい選択にしか活かせない。
アーチャーは初めて生じた心の秤に、自分が育てた士郎と、自分を育てた切嗣とを乗せて、命の重さを量りにかけた。
「大丈夫か、アーチャー?」
自分の呼吸がうるさい。内から胸を叩く心臓が不快だ。抉りとったら、少しはマシな気分になるだろうか。
あらゆる動作が億劫だった。だけど、選んでしまった以上、その責任を果たさなくては。
「……ここから出よう、士郎」
自分にこそ言い聞かせるように言って、うつ伏せの死体をひっくり返す。後頭部から頭蓋骨に邪魔されないよう角度をつけて差し入れたナイフは過たず彼を絶命させたが、おかげで正面から見た死に顔は随分と綺麗なものだった。
彼の持つコンテンダーやセキュリティキー、それから指紋認証と虹彩認証に必要な部位をもらっていこうと思っただけの行為だったが、ひっくり返して見えた切嗣の表情にアーチャーはギクリと息を呑んだ。
(笑ってる?)
穏やかな表情だ。裏切りにあって死んだ男の顔ではない。アーチャーも初めて見るような、満足そうな微笑だった。
……だから。十年経った、今になっても。
毎日のように、この日のことを夢に見る。
汗に濡れたシーツに縋り早鐘を打つ心臓が落ち着くまでの間、彼の表情の意味を考えて、そうしていつも切嗣を殺した以上永遠に得られない答えだと結論する。
確かなのは、彼を殺して指を落とし眼球をくり抜いた自分の手に震えの一つもなかったという、どうしようもない事実だけだった。