他者論を乗り越えて⑭ デリダ
ジャック・デリダ(Jacques Derrida)は、フランスの哲学者である。彼の脱構築について視ていこう。
今回書かない (ジャック・デリダいい)
視ていこう (ジャック・デリダいい)
一、脱構築という概念
脱構築というのは、〔二種類に分類された〕二項対立にとある新の種類によって新たな構築を設けること、とも言えよう。構築された二項対立という概念の次には、再構築という概念が現れ、それは、二項対立間内の再構築を指すことが懸念されうる。二項対立外の概念によっては脱構築することが懸念されうる。二項対立外の概念とは、例えば、男/女という二項対立に関する男女混合という概念があって、もうひとつは、話された言葉/書かれた言葉に関する映像としての言葉という概念がある。
二、男/女という二項対立に関する脱構築
男と女は対(つい)を成している。この二項対立にどうして何らかの導入が可能なのか、読者は不可思議であろう。わたくしは、男と女が合わさった生命体を存在していたと認定している。体内に子宮があるのにかかわらず、男性器を持っている存在がこれに該当する。いわば、男かつ女という存在である。この男かつ女という概念をデリダは考慮していなかった。デリダは男かつ女なんているわけがない、と考えていた。この男かつ女という生命体は、三つ子全員に当て嵌まるという結果がえられている。三つ子にしても、男性器はあるし、子宮もある。読者は本当に、「子宮を持ち、男性器も持つ」存在がいたことを疑うかもしれない。しかし、様々なタイプの存在、あるいは、ホラー映画を見てきた方なら、エイリアンのような特殊な存在がいるように、今回の男かつ女という存在もいたことを受け入れてくれるような、そのような気概を持ってやまない。プレデターという特別な存在のように、男かつ女という特別な存在が存在していたことを受け入れてくれる方は決していないわけではなく、男かつ女伝説として高く評価してもらえる可能性もあるのである。能力的にはさきほどの三つ子は頭が良くなくて、足も遅かったと悔悟している。男かつ女の方が男や女より頭がいいとは限らないし、足が速いとは限らない、というデータ結果がある。男かつ女の存在は、健康には一番自信があるが、能力は低いというデータ結果がある。三つ子を産んだ母が、男女混合の存在であったか、という疑問があったが、男女混合ではなかったとデータ結果がある。
三、「話された言葉」と「書かれた言葉」に関する脱構築
「話された言葉」とはパロールと呼び、「書かれた言葉」とは、エクリチュールと呼ぶ。われわれは、普段、パロールを使用して、レジの店員や家族と触れ合っている。手紙やlineにおいては、エクリチュールを使用して、遠距離の人々と交流することが可能である。もう一つわたくしは提案したいのが、ダイナミューという、普段、メールを見ないのに、相手の声を聴くだけで視界に文字が映ってくる現象(ダイナミュー)のことである。手紙を見てダイナミューすることも可能であるし、パロールを受けてもダイナミューをすることは可能である。携帯を持っていなかったとしても、相手に映像や文字を見せることは可能であって、そしてさらにテレパシー(音信発信)することも可能である。少し相手に意識しただけで、映像は見せられるし遠距離にも声を届かせることが可能である。この遠距離に声を届かせる方法を考慮していくと、ラジオやテレビが生まれるように、新たな分野が生まれる可能性がある。ダイナミューという概念を真剣に考えていくことで、性犯罪が起きそうなときに、女に対して、メッセージを送ることを考えることも懸念され、性犯罪を受けそうな女を救うことにもつながる、とわたくしは考える。
四、デリダの『痕跡』
織田信長が本能寺の変で窮地に立たされたこと、あるいは、織田信長が自刃したあと、炎に巻き込まれたうえで、死体が焼かれたということは、デリダは『痕跡』という表現をする。『痕跡』とは焼死体や歴史的ターニングである事態を指すとデリダは考えた。デリダは、『痕跡』を事実上の何かと観ていたはずである。いわば『痕跡』は歴史的事実である。彼は、『痕跡』の
痕跡 (デリダ神)
焼死体 (デリダ神)
歴史的ターニング(デリダ神)
意味を知っていたために『痕跡』という語を使用していた。さて、われわれは、二つの脱構築を目の当たりにしてきた。女という単性の方が、女性ホルモンが出て幸せである、という意見もあるであろう。何としても、男かつ女という存在が気に食わなく思っては面白くない。われわれは、彼らが、両性であることの奇形的事態に陥っていると評することもできるであろう。しかし、両性といえば蛙もこれに当て嵌まる。蛙の両性性と三つ子の両性性、どちらにも子宮と雄性器、あるいは男性器が関与してくるが、幸せを願ってあげたい。


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