自動翻訳がほぼ完璧になった。で、外国語を学ぶ理由は?
「AIがあれば、もう外国語を勉強する必要はないのではないか?」
ここ数年、劇的な進化を遂げた自動翻訳やテキスト生成AIに触れた誰もが、一度は頭をよぎった疑問だろう。私も大学で語学を教える教員として、学生の持つそのような疑問にどのように答えたら良いのか悩み続けた。
実際、単に「意味を伝達する」「情報を取得する」という目的において、人間がAIの処理速度と正確性に太刀打ちできる領域は急速に狭まっている。
ちょうど最近SNSのXにて英語圏の投稿が日本のアカウントに、日本語の投稿がアメリカなどのアカウントに自動的に翻訳された上で、おすすめのタイムラインで表示される機能が実装された。
Xの製品責任者のニキータ・ビアも「歴史上最大の文化交流」というふうに表現している。実は私は、この背後に昨年のアメリカのTikTokユーザーが中国のREDに大量に雪崩れ込んだ「TikTok難民」という文化交流の経験があると睨んでいるが、その話はまた別の機会に。
The largest cultural exchange in history just dropped.
— Nikita Bier (@nikitabier) March 29, 2026
話を戻すと、もし語学を「コミュニケーションのための実用的な技術」や「情報をやり取りするための外部ツール」としてのみ捉えるならば、その技術はすでにAIによって代替されつつあると言っていい。しかし、だからといって「人間が外国語を学ぶ意味」が消滅したわけではない。むしろ、実用性という重い鎧を脱ぎ捨てたことで、語学はまったく別の新しい価値、すなわち「自分自身の変状のためのプロセス」としての輪郭を現し始めている。
その新しいパラダイムを紐解くための最適な補助線の一つが、「フィットネスとしての語学」というイメージなのではないかと思うようになった。
ただし、私は何も新しいことを言おうとしているのではなく、単に語学にずっと備わっていた側面をよりイメージしやすくするための言葉を組織したいだけだということを注意されたい。
AIは「私の代わり」に筋トレをしてくれない
語学をフィットネス(身体的トレーニング)になぞらえるとはどういうことか。
ジムに行って最新のトレーニングマシンを前にしたとき、「代わりにこのバーベルを上げておいてくれ」とAI搭載のロボットに頼む人はいない。なぜなら、フィットネスの目的は「重りを持ち上げること」そのものではなく、重力という負荷に対して自分の筋肉を動かし、筋繊維を破壊し、再生させることで「自らの肉体を変容させること」だからだ。AIがいくら効率よく100キロのバーベルを連続で持ち上げたところで、あなたの筋肉は1ミリも成長しない。
未知の文法規則に戸惑い、口の筋肉を不自然に動かして新しい発音を試み、自分の母語には存在しない概念の枠組みを無理やり脳内にインストールする。このプロセスには、強い身体的・認知的な負荷が伴う。しかし、この「負荷」こそが、AIには決して外部委託できない語学学習の大事な価値の一つなのではないか。
中国語という「高負荷トレーニング」がもたらすもの
この認知的な負荷がどのようなものか。例えば、日本語話者が新たに「中国語」という言語体系に直面したとき、そこには強烈な脳内ストレッチ、あるいは「認知のスクワット」とも呼べる負荷が発生する。
第一の負荷は「肉体的な再配線」である。中国語の「四声(声調)」という厳密な音のアップダウンのルールは、単なる知識の暗記ではない。自分の喉や舌、聴覚の回路を、これまで全く使ってこなかった別の運動のためにチューニングし直すという、極めてフィジカルな訓練である。私が大学の中国語の授業でも最初に学生に、発音に関しては文科系の科目ではなく、体育だと思って臨んだほうが良いと言っているのもそのためだ。
第二に「思考の構造的解体」だ。助詞で関係性を決定する日本語の回路に慣れきった脳にとって、空間的な「語順」が絶対的な意味を持つ中国語の構造に合わせて思考を並べ替える作業は、世界を認識する順序そのものを解体し、再構築する重めのトレーニングとなる。
さらに第三の負荷として、「アンラーニング(学習棄却)」の苦しみがある。「手纸」がトイレットペーパーを意味するように、同じ漢字文化圏であるがゆえの既存の知識(ゲシュタルト)が心地よく裏切られる瞬間が無数に存在する。思い込みを一度バラバラにし、新しい概念を上書きしていくこの作業は、強烈な知的摩擦を生む。『ブルーロック』という漫画を読んだことがある人ならばこの感覚をよくイメージできるのではないだろうか。
基礎体力から「スポーツとしての対話」へ
こうしてフィットネスとしての語学を通じて認知の柔軟性と基礎体力を養った先には、次なる段階が待っている。それが、実際に生身の他者とその言語を交わす「スポーツとしての語学実践」である。
もし目的が単なる「正確な情報の伝達」であれば、高性能なAI翻訳機を通せば事足りる。しかし、コートに立って実際に他者とボール(言葉)を打ち合う「スポーツ」の醍醐味は、得点という結果ではなく、その予測不能なプロセスそのものに宿っている。
相手の微妙な表情の変化を読み取り、飛んできた予想外のフレーズ(パス)に対して、手持ちの限られた語彙でどう打ち返すかを瞬時に判断する。文法を間違え、もどかしい思いをしながらも、ふとした瞬間に相手と息が合い、ラリーが続く。そこには、完璧に整えられたAIの翻訳テキストからは決して得られない、身体的な共鳴と生々しい摩擦がある。語学とは情報をやり取りするツールではなく、言語というルールを共有した他者との一回性の「プレイ」へと昇華される。
身体と欲望を媒介する「教師」の必然性
ここで、AI時代における「人間としての語学教員」の決定的な重要性が浮上してくる。AIは無謬の文法辞書であり、完璧な音声シミュレーターになり得る。しかし、AIには「身体」がなく、ゆえに「感情」も「欲望」も持ち合わせていない。
初学者にとって、教員は単なる知識の伝達装置ではない。その未知の言語体系と、生々しい身体や感情がいかに結びついているのかを、自らの肉体をもって提示する「最初の他者(最初のスパーリングパートナー)」である。
言語とは単なる透明な記号の羅列ではない。そこには、その言語特有の「欲望と感情の構造化」のルールが深く刻み込まれている。ある言語において、人はどのように怒り、どのように悲しみ、いかにしてアイロニーを立ち上げるのか。喜びや痛みを表現するとき、その言語はどのようなメタファーを使い、どのような身体的反応(息づかい、沈黙、声の震え、表情)を伴うのか。
私の拙著『闇の中国語入門』(ちくま新書、2024年)にある「闇」という言葉にまさにそのような「欲望と感情と絡み合った言語」というイメージも込められている。
言葉の向こうに複雑な感情と欲望を持つ生身の人間がいると想定することが言葉にとって本質的な特徴である。さらに言えば、私たちがAIにある種の人格を読み取ろうとしてしまうのも、そこに何らかの生身があってほしいからなのではないかと思ったりする。
ただ、AIが出力する最適化されたテキストや音声からは、この「血の通った構造」は見えてこない。人間としての教員が、目の前でその言語を生き、感情を身体化して見せること。それを通じて初めて、学習者は「異なる論理で世界を感受し、欲望する」というダイナミズムを直観的に理解するのだ。教員とは、学習者を言語という名の新しい生態系へと導き、そこで呼吸する方法を教える伴走者にほかならない。(だからこそ語学教員も今までのままではいられないだろう)
それによって語学学習のプロセスがより豊かになる。そして、このプロセスの豊かさこそフィットネス、そしてスポーツとしての語学が目指しているものにほかならない。
外的指標への従属から、内発性の回復へ
これまでの教育や社会では、私たちは言語を「実利をもたらすスキル」として扱ってきた。試験のスコア獲得、ビジネスでの交渉。これらはすべて、外部のシステムから評価され、外的な目的を達成するために行われてきた。
しかし、外的目的に依存した技術は、外部環境の変化やAIという圧倒的な効率性を持つツールの登場によって、容易にその価値を暴落させてしまう。自動翻訳が完璧になれば、「実務ツールとしての語学」の市場価値はゼロに近づく。
対照的に、「フィットネス」や「スポーツ」としての語学が何より重視するのは内発性である。自らの認知をストレッチする苦痛と快感、あるいは他者との予測不能なラリーそのものに喜びを見出すこと。この内発的な動機から生じる経験は、AIがどれほど進化しようとも毀損されずに残る、自らにとっての重要な価値の一つとなる。
「価値生成的な知」を生み出す素地として
そして重要なのは、このモデルが単なる個人の趣味や自己完結的な運動で終わらないことだ。
スポーツを範としながら、教員という他者を介して新たな欲望の構造を身体化し、既存の枠組みを揺さぶり続けるこのプロセスは、やがて究極的な「価値生成的な知を生み出すための素地」を形成する。
母語という一つのレンズに縛られず、他者の文脈に飛び込み、摩擦の中で思考を解体・再構築する知的な体力。それこそが、既存のデータセットの平均値(AIの出力)からは生まれない、オリジナルな概念や思想を立ち上げるための源泉となる。
効率化と最適化が極まった社会において、人間が自らの身体と認知の主権を取り戻すということ。その意味において、内発性の快楽を追求した結果、フィットネスとしての語学学習は私たちの知的な「健康」に資するものにもなりうるだろう。
※一言を付け加えるならば、このような認識の先に「文学」の言葉の意義が表れてくるだろう。


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