プロデューサーが結婚して絶望したアイドル達だけど、プロデューサーが離婚して復活したアイドル達の話【樋口円香編】
忘れられた頃に投稿します。
リテイク5にてようやく投稿します。
追記
7/11 11:20 少し内容を更新しました。
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今日もまた、いつも通りの日が流れる。
「ん~っと……これはこうで……」
あの人は小さく独り言のように呟きながら、目の前のPCとにらめっこしている。手の動きは残像が見えているのではと勘違いしてしまうほどに、素早くキーボードを打ち込んでいる。
……ほんと、仕事のできる人。
「はい、これ」
私は、デスクの横に彼専用のマグカップを置いた。
「ん?ああ、コーヒーか。ありがとう樋口」
「いえ」
そっけない。
自分自身に悪態をつきながら、自分のマグカップを持って近くのソファに腰を下ろす。
ただのインスタントコーヒー。普段から口にしてるから、今更美味しいとも思わない。
「美味い。いつもありがとな」
それなのに、彼はいつものように美味しいと言う。ほんとに……わからない。
「いえ」
そっけない。
もっと感情を出せばいいのに……。
「おはようございまーす!あ、円香ちゃん来てたんだ」
「小糸。ええ、おはよう」
「うん、おはよう!」
小糸はいつも通りの花丸の笑顔で挨拶を返してくれる。
見ているだけで癒される笑顔。
「二人とも今日は撮影だったな。透と雛菜は別の仕事で現場合流になるから、到着したら二人に説明を頼む」
今日の仕事はあの人はついてこない。だからタクシーで現場へ向かう。
「わかりました。いこう、小糸」
「うん!じゃあいってきますね!プロデューサーさん!」
「いってらっしゃい。がんばってな」
私と小糸は彼に見送られながら事務所を後にする。
私は今も、アイドル活動をしている。
二年前のあの日のことは忘れるつもりはない。忘れるわけがない。
だって、初めて浅倉が本気で泣いた日だったから。
幼馴染であった私でも、浅倉が泣いていた姿を見た記憶がない。昔を辿ればあるはずなのだけど、それでも私の記憶に浅倉の泣き顔をこの目に焼き付けたのは、あの日が初めてだった。
すぐには起きなかった。
プロデューサーが結婚を報告したあの時、浅倉の方を見ると、普段通りの涼し気な表情から、ほんの少しだけ目が開かれていた。それくらいの変化だったと思う。
周り阿鼻叫喚だったけど、ノクチルは大げさな変化は『その場』では起きなかった。
不気味だったのは、雛菜からも何のアクションも起きなかったことくらい。
あでもの後、私たちは予定通りレッスンがあって、レッスン上に着いた時、最初に変化が出たのは雛菜だった。
レッスン上の隅に座り込んで、両ひざを抱え込んで蹲ってしまった。声も出さず体を丸めるだけ。小糸が慌てて雛菜の方へ寄って声をかけても反応がなく、私もどうしたらいいかと遠目から雛菜を観察していた。
私の視界の僅かに見える端にいた浅倉が、静かに床に座り込んだ。
すぐに目を向けると、浅倉は座ったまま壁に体を預けて、目に大きな涙を溜め込み、それを何度も袖で擦っていた。
何度も何度も、擦っても次から次へとあふれる浅倉の涙に、私はそれを見て固まってしまっていた。
「浅……倉……」
なんとか絞り出した声にも、浅倉は反応することなく、間もなく大きな声で……浅倉は泣き叫んだ。
幼馴染が号泣する姿を見て何もできない私が嫌だったし、そして二人をそうさせたあの人が許せなかった。
だから、その日の夜……私はあの人に……。
「――ちゃん?……円香ちゃん?」
「え?あ、……なに?」
仕事場へ向かうためのタクシーの中、いつの間にか隣の小糸から声をかけられていた。
「ううん。ただ、すごく思い詰めた表情だったから」
「そう……。ごめん、少し昔を思い出していただけだったから」
「昔?でも、そんなに暗くなるなんて不安だよ」
「ごめん、でも大丈夫だから」
「そう?でも、何かあったらすぐ言ってね!相談に乗るから!」
どうしてこのタイミングであの日のことを思い出してしまったのだろう。
わからないけど、どうしようもなく喉が渇いた。
その日の仕事も無事に終えて、私は家には帰らずに一度事務所へと戻った。
「ただいま戻りました」
「ああ、樋口。おかえり」
事務所にはあの人だけがいました。
時間は19時を少し回った頃。夕日が事務所の窓から差し込んでいて、事務所一体を茜色に染めていた。
「先行からすでに話は聞いてるよ。今日の仕事も完璧だったみたいだな」
「当然です。あなたが作ったノクチルですから」
「ははっ、俺も鼻が高いよ」
あの人はそう言いながら目線をPCの画面へと戻した。私も仕事用のバックをソファに下したところで、またあの人は視線を私へ向けた。
「あ、そうだ樋口。すまないがコーヒーくれないか」
「……この時間ですよ?今からコーヒーを飲んでどうするんですか」
「いやぁ、ははは。まだ仕事がなあ」
「残業45時間6か月まで」
「う゛っ」
「今月やってしまったら法律違反ですよ?この会社を違法会社にしたいのですか?」
「返す言葉もない」
「なら早く帰ってください。もちろん自宅でも禁止ですよ」
「へ~い……」
あの人は観念したように首を横に振って、PCの画面をブラックアウトした。
「やれやれ。今年は監査の睨みがより一層強くなったな」
「それまでの貴方が当たり前のように法律違反をしていたからです。自分を正してください」
「ぐぬぬぬっ」
彼は恨めしそうに私を見ながらタイムカードを切った。私はそれを確認した後に冷蔵庫から麦茶を取り出して、グラス二つに入れてソファの前のテーブルに置く。
「はい、仕事終わりの一杯です」
「どうせ仕事終わりならビールが……」
「それは自宅でお願いします。いらないのなら下げますが」
「うそうそ!ありがとな樋口!……うん、うまい!」
「ただの麦茶ですよ。……ふふ」
あの人は誰かから与えられたものにはどんなものであれ彼は喜び、感謝を伝える。
そういう人だってわかっているのに、それでも胸の内で小さな喜びを感じてしまう。
こんなこと、数年前の私では考えもしなかった。
「そういえば最近は現場でも樋口の好感度が上がっているらしいぞ。なんか棘がなくなったとか、話しやすくなったとか」
「それは以前の私は話しかけづらかったということですか?」
「心当たりがないのか?」
「さあ、どうですかね」
うそ。心当たりなんていくらでもある。
あの人へ向けての態度とは違うけど、それでも私は……生意気で達観したガキだったから。
「……腕をまくってもらえますか」
「どうしたんだ急に?」
「……今日、昔のことを思い出したので」
「…………」
彼は神妙な表情で私を見つめる。やがてあの人は「わかった」と一言呟いて、半袖のYシャツを肩の上まで上げた。
「…………」
私はその一点をじっと見つめ、その箇所に指を置いた。
「…………痛みます?」
「いいや」
「そうですか。……私はまだ痛いです」
「…………樋口」
「その呼び名がとても心地いいです。浅倉が呼ぶとは正反対。とても心地いい。そう呼ばれるたびに、私に刃物が突き刺さる感覚に浸れるから」
「…………」
「お願いです。一生それを残してください。それを私に見せてください。一生私を……憎んでください」
「…………憎まないよ」
「それはダメです。ミスター・聖人」
「ははっ、ありがとう」
「…………うるさい」
私は自分の分の麦茶を飲干して、彼の分の空のグラスを持って、キッチンの洗い場へ持っていった。
「じゃあ私はもう帰ります。お疲れさまでした」
「ああ、お疲れ様。また明日な」
「はい。……ちゃんと帰りますよね?」
「信用ないな。もう今日はやる気ないよ」
「それならいいです。お疲れ様でした」
私は事務所を出た後、一応外から事務所の窓を見た。すると窓からこちらを見ているあの人と目が合い、あの人は私に手を振った。
それが癪に障る。だから私はポケットにしまっていた右手をそっと出して、小さく彼へ向けて手を振った。
「……じゃあな、円香」
続編も待ってるで〜